人を全否定しない生き方
私は今「意識解明プロジェクト」
というものをやっていて
(Twitterのスペースにて毎日生配信しています)
人の意識について日々、研究しレポートを書いています
脳科学者の茂木健一郎さんが
「人間の意識を解明できた人はニュートンとアインシュタイン
を合わせたよりもすごい!」
というくらい意識、つまり人の心の世界を
解明することは人類にとってとてつもない悲願なのですが…
私の師はもうすでに
人の意識を解き明かしておられます!
だからアスペルガーだった私の複雑な心を
訓練によって直し
アスペルガーをほぼ完ぺきに克服させるなど
一般的には不可能と思えることをやってしまわれます
それが
「神の神」
といわれる所以です
その意識解明プロジェクトの中で出た
今回の課題がこれです
「人を全否定しない考え方」を解明せよ!
これについて自分なりにレポートを書いてみました
今日の記事はその「全否定しない考え方」
「人を全否定しないためにどうしたら良いか?」
「心の余裕とは?」
ということについてまとめてあります
あなたには殺したいほど、憎くてたまらない、嫌いな人はいますか?
人間だれしも、嫌いな人はいます
人によっては殺したくてたまらないほど憎い人がいるでしょう
それらの人を全否定するのは簡単です
ひたすら嫌い、悪口を言えば良く、感情のままに生きれば良いので
とても簡単です
でも、いくら悪口を言ったりしても
本当にあなの心は救われますか?
相手を全否定するのは、
負の感情や負の連鎖しか生まないのではないでしょうか?
相手を嫌う
↓
相手も嫌われていることを感じる
↓
相手もこちらを嫌いになる
↓
さらに相手は嫌なことをしてくる、負のスパイラル
また、「嫌う」というエネルギーは強いので
相手を嫌うことで自分も嫌われ、攻撃されることもあり得ます
そうならないためにも相手を「全否定」するのは
やめた方が良いと思いませんか?
私のかつて好きだった言葉に
「人間万事塞翁が馬」という言葉があります
何か悪いことがあっても、それが良いことに繋がるかもしれないし
良いことがあったら逆に悪いことに繋がるかもしれない
幸か不幸かは簡単には判断できないという意味を持つ言葉で
この言葉のお陰で以前は悪いことがあっても
「良いことに繋がるかもしれない」
と思えるようになる、
つまり意識が使えるようになるので気持ちを楽にすることができました
しかし、意識を学ぶ中で
既に起きたことに対し、
後からこじつけて良いか悪いかを考えるのではなく
全てのことにあらかじめ自分で意味を持たせることが大事だとわかったので
塞翁が馬的に考えるのではなく、
自分から物事に意味を与えて考えるようになりました
何か意味を持たせてから
物事に取り組む
例えば料理を作るにしても
「家族に栄養を与え、楽しく美味しい食卓を作ることで
素晴らしい1日の思い出を作る、イベントにする」
と思うことで
ただの夕飯作りがより価値あるものになりました
そうすると
食材1つ選ぶのにも拘りが生まれ
色合いや組み合わせなどがさらに良くなり
自分も嬉しい、家族もニコニコになりました
過去に意味を与える「後付け」ではなく、
現在と未来に意味と価値を持たせるのです
それを「全否定しない考え方」に当てはめると
どんなに大嫌いで憎い相手でも、
その人がいてくれる意味を考えると
全否定できなくなるのではないでしょうか?
例えば私は某都知事が大嫌いですが
あまりにも悪事を働いてくれるお陰で人々が政治に関心を持ち
「このままではいけない!」と強く思うようになりますし
私は都の経済についてより学ぶきっかけになりました
また、顔を見るだけで吐き気がするサイコパスの人がいるのですが
その人がいるお陰で、メンタルが強くなり
サイコパスの対処法を学ぶことができました
嫌いという感情はどうしようも無いのですが
全否定せず、その人がいてくれる価値を見出す
「余白」を心の中に作ることが
心の余裕というものなのではないかと思いました