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祭礼を歩く

私が外を歩いていた昼の12時前後は32℃程度だったらしい。
体感的には、もっと暑かったように思う。

歩いていて息苦しさを感じるほどの暑さというのも久しぶりである。
七夕の日。
まだ梅雨の真っ最中とは思えぬ暑さ。

私が住む街ではこの時期に祭礼が多い。
時期が時期なだけに、ほぼ確実に雨に見舞われる。
雨と蒸し暑さ。そして祭りの熱気。
こうして文字にするだけでも、何やら息苦しさを覚えるが、今年はどうやら雨の代わりに猛暑に見舞われたらしい。

何もこんな時期にやらなくとも、という気持ちはある。
実際、私の世代では運動会と言えば秋だったが、今では気温が安定する5月あたりに催すことが増えたらしい。

同じように祭りの時期も動かしてしまえばいいのに、と関わりのない無責任な私は思ったりもする。
けれど、祭にはそもそもの由来というものがある。
参加している人のどれだけが、その由来に通じているかわからないけれど、その言われや来歴を無視することもできないのだろう。
「12月だと寒くてつらいのでクリスマスは8月にしましょう」というわけにいかないのと同じである。

別の用事で街に出ていた私は、祭の中心地へ向かう列とは反対の方向に歩く。
色んな表情、色んな服装、色んな言葉とすれ違う。

その中に、私の様に「なんでこんな暑い時期に…」などという気配は微塵もない。
暑さにやられている表情はいくつもあるが、それはそれでどこか風情ととらえているようにも見える。

祭の高揚感の前に暑さなどは些末なことなのだろうと思う。

浴衣、夏らしい軽快な装い、暑さを超越したオールブラックのモードな装い。
この日、この時のために考えてきたコーディネートなのだろう。
好きな服を着ている人たちは、やはりいい顔をしているな、と思う。

コロナがまた流行っている。
けれどマスクをしている人はそこまで多くはない。
いつの間にか戻ってきていた日常。
ニューノーマルはどこに行ったんだろう、とふと思う。

不謹慎ではあるけれど、コロナ禍の人の消えた街が私は好きだった。
出かける場所は限定されても、行ける場所では、確実に混雑を避けることができた。
ニューノーマルが性に合っていた私にとっては、オールドノーマルに戻ってしまったことが少し寂しい。

けれど、こうして多くの笑顔に触れてしまうと、やはり、これでいいのかもしれない、とも思う。

用事を済ませて、次の用事へと向かう。
ゆっくり祭を楽しむ時間はなかったけれど、イタリアンレストランが売り出していた500円の唐揚げを買い食いしながら歩く。

さすがにうまい。

でも。

今日は祭ならではの出店で買うべきだったかな。

少しだけ後悔して、街を後にした。

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