軒端の驟雨
秋の気配がする。
誰かがそう言っていた。
いつまでも梅雨のような蒸し暑さから解放されない日々なのに、何を言っているのか、と思った。
でも、確かに言われてみれば、朝晩は涼しさを感じる日も増えた。
気が付けば日没も早くなっている。
こうして季節が巡ってゆく。
8月ももう終わる。
今年に至ってはもうとっくに折り返し点を過ぎている。
節目が来た。
私はまた色々と思い出す。
どの思い出も美しい。
そして、そのほとんどが今や失われていることにまた気づく。
失くしたものを取り戻す、失くしたものよりも素晴らしいものを探して彷徨い歩く。
その不毛さに気づいていても、私はそれを繰り返す。
過去は過去であることに私はとっくに気づいている。
失くしたものは戻らないことも、失くしたものよりも素晴らしいものは存在するかもしれないけれど、存在しないかもしれないことも気づいている。
それでも私は彷徨い歩く。
愚かと思う一方で、そういう自分を少しだけ好きだとも思う。
その方がきっと人間らしい。
今日はこの記事をスタバではなく、地元のコワーキングスペースで書いている。
初めてきた場所。
初めてのコワーキングスペース。
日曜だからか、人の数はまばら。
集中したいのでブースを借りようかとも思ったが、窓際の景色に惹かれて、この席にした。
見慣れた場所を見慣れぬ位置から眺める。
遠い空はかすみながらも青い。
けれど、真上には黒ずんだ雲。
時折、ざっと強い雨が降っては止み、降っては止みを繰り返す。
傘を広げて歩く人
傘を持たずにダッシュする人
屋根のある場所で呆然と立ち尽くす人
学生と思われる人たちもちらほらと見かける。
彼らの夏休みももうすぐ終わる。
彼らにとっては大きな節目だ。
その節目に彼らは何を思うのか。
音のない世界。
空気のない世界。
窓ガラスの先にある世界は、現実の世界。
それなのに。
集中するために来たはずのコワーキングスペース。
けれど、ここに来てから私はずっと窓の外の景色に心を奪われている。
私が探しているもの、求めているものが、まるで、そこにあるかのように。
空が晴れてきた。
レーダーでも雨雲はない。
けれど窓の外は土砂降りの雨。
雨は、すぐに止んだ。
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