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#15 スキー クラウンホルダーインタビュー 当時史上最年少!?スキーを本格的に始めて4年、弱冠20歳でクラウンプライズに合格!!【白井勇樹さん】

【今回のスキー クラウンプライズホルダーは…】

「当時の検定員の方に『私が知ってる限りだと20歳での合格は最年少だよ』と言われましたね。でも、1級からクラウンまで全て3回受験と結構苦戦してるんですよね。今スキースクールやってるんですが、『私も3回受けたんだよ」というのを殺し文句にして、生徒さんを奮起させています。』そう語る白井勇樹さんのスキー観に迫ります。

【スキーのクラウンプライズホルダーにこんなこと聞きました!】

①クラウン合格証(写真)を見せてください


 
②いまの年齢を教えてください。
→ 51歳
 
③お住まいはどちらですか?
→ 長野県伊那市
 
④初めてスキーしたのはいつですか?
→ たしか家の前の坂道で9歳位だったかと思います。それから高校生になるまでは、スキー場に年1,2回行くか行かないかくらいの頻度でしたね。長野県とはいってもスケートの方がメインの地域だったので。スキー場以外だと近所の坂道をスワローのレンタルスキーみたいなので滑るくらいでした。でも友達が長靴にホームセンターで2,000円くらいのスキーを履いてる中で、僕はもう少しちゃんとしたのを履いてましたね。
 
Q:幼少期は他にどんなスポーツをしていました?
→幼少期は自転車のモトクロスとかトライアルをやってましたね。当時モトクロスをやってるのは学校でも県レベルでもそんなにいなかったんですが、私の場合は、父の影響ですね。父は国鉄職員の公務員だったんですが、モトクロスチームでに所属していたんです。
 
子供の頃は本当にモトクロス、BMXがメインでそれしかやってなかったですね。中学でも部活はモトクロス、トライアルという2種目のバイク競技をやっていました。学校では水泳部に所属していましたが、メインはプライベートの自転車競技ですね。
 
⑤スキーを本格的に始めたのはいつですか?
→ 市内にスキー場ができた平成元年です。
 
Q:スキーに熱中した経緯を教えて下さい。
スキーに熱中したのはスキーナウを見てカッコいいと思ったのがきっかけです。この時に「生涯スキーで食っていこう!」と思い、高校を辞めてスキーに人生をかけたんです。当時の担任の先生に「スキーで食って行く」と言ったら、笑われましたね。でも、その後、担任の先生に弊社のホーケンスキー(※駒ヶ岳ロープウェイの宝剣岳から取った名前のロット)No.1番を贈りました。ちなみに、高校生時分の座右の銘は「芸は身を助ける」でした(笑)
 
ちょうどその頃近所にスキー場が出来たこともあって、高一の時はシーズン券を買ってしょちゅう行ってましたね。近所とはいえ、そこそこ距離はあったので、自転車で1時間くらいかけていったり、親に送り迎えをしてもらったりで、通ってました。
 
Q:先生喜ばれてたんじゃないですか?
→そうですね。「教師生活で教え子からこんなスキーの板をもらったのは初めてだ!」と感激してくれました。息子さんが僕のお店の方を手伝ってくれてたりで縁もあったんでしょうね。学生時代は散々怒られて叩かれたりもしましたが、シーズン券を買って滑りに来てくれたりで僕も嬉しかったですね。
 
⑥-1 2級とったのはいつですか?/どこで取りましたか?
→ 2級が平成2年一回目 地元伊那スキーリゾートです。
※この時スキー場でバイトしてました※
 
-2 何回目のチャレンジですか?
→ 1回目
 
⑦-1 1級とったのはいつですか?/どこで取りましたか?
→ 1級が3回目 地元伊那スキーリゾートです。
 
-2 何回目のチャレンジですか?
→ 3回目
 
⑧-1 テクニカルとったのはいつですか?/どこで取りましたか?
→ 翌年平成3年の乗鞍高原
 
-2 何回目のチャレンジですか?
→ 3回目
 
⑨-1 クラウンとったのはいつですか?/どこで取りましたか?
→ .翌年の平成4年栂池高原
 
-2 何回目のチャレンジですか?
→ 3回目
当時の検定員の方に「私が知ってる限りだと20歳での合格は最年少だよ」と言われましたね。でも、1級からクラウンまで全て3回受験と結構苦戦してるんですよね。今スキースクールやってるんですが、「私も3回受けたんだよ」というのを殺し文句にして、生徒さんを奮起させています。
 
ちなみに、クラウンに合格してから準指、指導員と受けたのですが、準指でも2度落ちたんですね。そしたら県連の人に言われましたよ、「恥をかかせないでくれ、クラウン持ってて準指落ちたのお前だけだぞ」って(笑)座学のところは取れてたんですが、プルークとかやったことなかったので、指導のところで落ちたんですね。
 
Q:スキーを本格的に始めてわずか4年でクラウン合格、かなり異例のスピード合格ですね。
→確かにそうかもしれませんね。私も店出して20年、スキースクールもやっていて、色んなスキーヤーと会う機会は多い方ですが、はじめてから4年でクラウンに受かったという人は会ったことないですね。
 
Q:学校を辞めてという話がありましたが、どのようにスキーに打ち込まれたんですか?
→まず学校なんですが、高2の冬まで在籍はしてたんです。私は行きたかったんですが、学校側から「来なくていい」と言われてしまい(笑)。なので、スキー場で常勤で働いていました。月に1回くらいですかね。学校に行ってたのは。
 
Q:学校からそう言われるってことは、昔は結構やんちゃだったんですか?
→素行不良だったんですかねぇ。私たちの時代はビーバップハイスクールの時代なので、学校の9割くらいがリーゼントだったんです。その中で特にという感じではなかったと思うんですが。
 
Q:本格的にスキーをやり始める前のスキーのレベルってどれくらいだったんですか?
→2級~3級くらいのレベルだったかなと思います。
 
Q:そこからどうやって上手くなっていったんですか?
→ほぼ完全に我流ですね。パトロールのお兄さんと仲良くなって一緒に滑って技術を盗んだりってのは
ありましたが、人からしっかり教えてもらったのはほとんどないです。指導員の試験の時に大谷定雄太谷陽一さんに教えてもらったくらいです。
最初の頃は三浦雄一郎さんに憧れてアドベンチャースキーをやっていましたね。確か三浦さんがズームイン朝のコーナーか何かで出てたんだと思います。それを見て自分もアドベンチャースキーをやりたいなと。なので、基礎スキーには全然興味なかったんです。
 
Q:基本的には我流でということでしたが、教わらなかったのには何か理由があるんですか?
→シンプルに、当時そのスキー場でそんなに凄い上手い人がいなかったんですよね。何しろ、スキー場もスキースクールもまだ日が浅かったですから。だから人に積極的に教えられるような指導者がいなかったんです。
 
Q:高校生の時はどれくらいスキー場にいかれていたんですか?
→高一の時はシーズン券を買って1日おきくらい、なのでだいたい50日くらいは行ってたかなと思います。高2の時はバイトをスキー場でするようになっていたので100日くらいは滑ってたかなと思います。高一の時はレンタルのバイトをしてたんですが、今でもお付き合いさせていただいてるそこの支配人から「一級取ったらパトロール入れてやる」って言われたんですね。で、パトロールで練習時間を確保するために、一生懸命練習しましたね。よく滑りましたし、スキーなうのビデオが出てたんで、同級生と一緒に何度も何度もビデオを見ましたよ。
 
⑩年間滑走日数は何日ですか?
→ 海外と夏場立山に山籠りにホテル立山勤務で9月以外250日以上は滑ってました。
1級からテクニカルまでの間に、立山で200日くらい滑って、その時の仲間とオーストリアにスキー留学に行ったんです。立山に夏場に来る人って全国レベルの選手、技術選に出るような人たちばかりなので、その人たちと密度の高い練習をして、そこで革新的に上手くなった感はありますね。
 
Q:スキーで食っていけるようになったのはいつからですか?生活は苦しかったですか?
→当時まだライダーという言葉さえなかった時代で、スキーなうに出てる人が契約金でやっと食えていけるかどうかという感じで、それ以外の人はスキーだけでは食っていけなかった。
そんな折に、スノーボードをやってる人と知り合って、物の提供以外にも、1社あたり4~500万円もらってるという話を聞いて、これだったらやっていけると思って、そこからスノーボードに転向したんです。
 
…なんですが、ボードに転向してもなかなか食っていけなかったですね。1年目でスポンサーはついたんですが、物品共有で、お金出たのはもう少し先。もらえた時も数十万のレベルだったのでそれでは食っていけなかった。なので、スキーのパトロールとかをやって、スキー学校にも所属してお金を稼いでいました。92年の20歳からは夏場大工もやってて、「長野五輪が終わる98年までに500万貯めて、そのお金で店を建てよう!」と少し軌道修正しました。
 
Q:お店はすぐに売り上げがたったんですか?
→そうですね。結構早いタイミングで特殊なビンニングとかをやってたんですが、それが楽天ランキングとか1位になったりと好評になって。スキーの板の流れが切れ味より乗り味になってきたなと感じたんですが、だったらうちでも出せるなと思って作り出したのがきっかけですね。もちろん10万以上もするような高い板はそれなりに良いですが、じゃあ5万円の板の倍良いかというとそれはそれでもないので、こんなにイージーな板ならうちでも作れるなと。うちの板で検定を滑るとなると少し厳しいかもしれませんが、普通に滑る分には十分だと思います。ビンニングビンディング付きで7万円で提供しています。
 
⑪ホームゲレンデはありますか?/どこのスキー場ですか?
→ 木曽の藪原高原スキー場でスクールの運営をしております。
 
⑫スキーにはどうやって行きますか?車/電車/バス?
→ 車で毎日通っております。
 
⑬定宿はありますか?
→ 特にありません。キャンピングカーなんで遠征はほぼ車中泊です。
 
⑭普段は誰と行きますか?
→ スキーメーカーになったので撮影や営業でスタッフと行きます。
 
⑮クラブやサークルには入っていますか?
→以前は技術選に出てたので地元のクラブに所属しておりました。
 
⑯レッスンは受けていますか?特定のコーチがいますか?
→レッスンは準指を取る時に太谷陽一さんに教わっただけです。
 
⑰年間スキーに使うお金は?
→ 昔は海外遠征も入れて100万以上は使ってましたが現在は用具は支給されてる物が殆どで遠征費が20万~50万位です。
 
⑱スキーをするために仕事や家族の理解を得るように工夫していますか?
→スキースノーボードショップとスクールの運営。スキーメーカーとして生業になっております。
 
⑲クラウン取ってからスキーへの取り組み方/楽しみ方は変わりましたか?
→特に変わりはしませんでしたが本格的に初めて4年でしたのでその上があればと考えた事はあります。クラウンは通過点としか考えてませんでした。
 
Q:レジャースキーを楽しむことはありますか?
→現在はレジャーでも行きますしガイドでバックカントリースキーのツアーも行っております。
 
Q:スキーを辞めようと思ったことはありますか?
スキーはその後94年にスノーボードで長野オリンピックを目指す事になり、10年余りやりませんでした。大好きだったんですが、ついスキーをやってしまうので。ボードに専念するために、92年には頭を丸めて、店のテーブルに「スキーを封印します」と紙を添えて板を置きましたね。
再会してからは、辞めようと思った事は一度もありません。
 
Q:スノーボードはどれくらいのレベルまで行かれたんですか?
→強化指定選手までいきました。スノーボードも独学で技術を身に着けました。スキー同様、とにかく映像を分析して、ノートに書きこんで、今振り返るとマニアみたいな研究をしてたなと思います。簡略的な指導はされたと思いますが、スキー同様、身近なところで自分より上手い人がいなかったんです。逆に僕がいろいろ聞かれるくらいでしたから。
ただ、ここで誤解をされないようにしときたいのが、周りに上手い人がいるなら、教えてもらったほうがいいです。やっぱりスキーにしてもスノボにしても、上手くなるコツがあります。それを教えてもらって反復練習する、これが結局一番速いですよね。でも、複数の人に教わるのは色々デメリットもあるので、その点は注意です。
 
Q:04年から久しぶりにスキーに復帰された経緯について教えて下さい。
→友人からバックカントリースキーに誘われたんですが。「歩いて山に登るのはいいよ」と最初はのりきじゃなかったんですが、結果ドはまりしました。
 
:久々にスキーを履かれて板の変化とかはどう感じました?
→強烈なカービングにビックリしましたね。技術の進歩に本当に驚きました。あと2,3年早くカービングスキーが出てたらスノーボードに行ってなかったかもしれません。それからヤマハもカザマも無くなってるのにびっくりしましたね。
 
Q:周りでスキーを辞められた方はいますか?
→昔の仲間も今でも滑ってますし皆さんスキースクールや大会などまだ出てる同級生もいます。
 
Q:スキー上達に向けて特に重要だと思うことはなんですか?
→なんでもそうだと思うんですが、成果が出せる人は、習慣化が出来てる人ですよね。それが苦労だと感じちゃうと伸びが鈍化しちゃいますが、それを超えて習慣になれば苦労だとも感じなくなる。それからスキーで言えば、夏場にフィジカルを鍛えてるかどうか。これはかなり大事だなと思います。期中の練習はみんな一生懸命やってるから差なんてほとんど出ないわけですよ。夏場のフィジカルが圧倒的に差が出ます。夏場に体を作っておけば、シーズンインがスムーズになるわけです。僕も夏場にマウンテンバイクの大会とかに出てますが、スキーのイメージでやってます。スキーをイメージに見立ててやってるわけです。
 
Q:現在のスキーに楽しみ方について教えて下さい!
→シニア技術選というのができて、去年行ってみたんです。そしたら昔立山で一緒にす滑ってた人が出てて全国に2位になってたんですね。それで「自分も!」と思って、フォルクルに行って一番早い板とて硬度130のデルベロを買いました。来シーズンはシニア技術選に出ようかなと思ってます。
 
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「私は1級からクラウンまで3回落ちてるから、技術に難のある人を教えるのは自信があります!」とのこと。また最近では、スノーボードの技術部長がスキーのテクニカルに45歳、10回目の挑戦で合格し、「40代50代の方も大歓迎です!」とのこと。

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