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💿『亀響曲第3番≪オルガン付≫』サンサヌンス 『亀響組曲≪寄枯地≫』むベヌル

指揮ゞャン・マルティノン
挔奏フランス囜立管匊楜団
録音1975幎①/1974幎②
䜜曲サンサヌンス(1835〜1921)① ゞャック・むベヌル(18901962)②

【曲目】 
①『亀響曲第番 ハ短調 op.78≪オルガン付≫』
②『亀響組曲 ≪寄枯地≫ ぀の亀響的絵画』


サンサヌンス『亀響曲第番 ハ短調≪オルガン付≫』


▌サンサヌンス≪オルガン付≫ 指揮ゞャン・マルティノン 挔奏フランス囜立管匊楜団


モヌツァルトの再来ずたで呌ばれた倩才

サンサヌンスは1835幎、パリで官吏の父のもずに生を受けたす。しかし、父芪はそのわずか2か月埌に他界。二幎間結栞の治療を経お、母ず倧叔母のもずで育っおいきたす。

サンサヌンスは歳でピアノを始めたす。ようやく歩き方が板に぀いおきた幎頃です。それから、䞀幎も経たずになんず歳で䜜曲をはじめたす。䜕をそんなに生き急いでるんだずいう感じです。そしお、わずか10歳でベヌトヌノェンやモヌツァルトを挔奏しおコンサヌトデビュヌを果たしたした。

13歳でパリ音楜院に入孊。そこではピアノ、オルガン、䜜曲法、管匊楜法などを孊び、16歳のずきに䜜曲した『亀響曲第番』は䜜曲家グノヌから高い評䟡を埗たした。

音楜院を出たサンサヌンスは18歳でパリのサン・メリ教䌚のオルガニストに就任したした。その埌、22歳でオルガニストの最高の地䜍ず名高いパリのマドレヌヌ寺院のオルガニストに就任し、サンサヌンスはそれから20幎にわたっお掻躍するこずになりたす。たた、圓時絶倧な圱響力を誇っおいた䜜曲家であり挔奏家のフランツ・リストは教䌚でサンサヌンスの挔奏を聎き、その圧巻ぶりに䞖界䞀偉倧なオルガニストずたで賞賛しおいたす。

熟緎された技巧の数々

それから、ピアノ教垫やフランスの囜立音楜協䌚の蚭立など、倚岐にわたっお掻動しおきたサンサヌンスが51歳のずきに䜜曲したのが『亀響曲第番 ハ短調≪オルガン付≫』です。タむトルにもなっおいる通り、この曲にはオルガンが登堎したす。圓時、オルガンは調和の象城ずしお教䌚で神を讃矎するために䜿うものず考えられおいたした。オヌケストラの䞀郚ずしお䜿われる亀響曲はあったものの、゜ロずしお前面にオルガンを䜿うこずは掟砎りずもいえたした。それに、加えお四手のピアノも甚いられおいたす。四手のピアノずは、連匟のこずで手が四぀あるこずになぞらえおいたす。

このような挔奏圢匏を可胜にしたのは、圌がオルガンずピアノに察しお深い造詣があったからに違いありたせん。それぞれの楜噚の特色を理解し、オヌケストラに効果的に萜ずし蟌んでいったずいうわけです。たた、さらにこの亀響曲が他ず䞀線を画しおいたのがその構成にありたす。ふ぀う亀響曲は四楜章圢匏ですが、オルガン付は二楜章圢匏ずなっおいたす。各楜章を䞀郚・二郚ずに分け結果的に四分割されおいたすが、この曲は「オケのみ→オルガンあり、オケのみ→オルガンあり」ずいうシンメトリヌな構造になっおいるずころからも、その狙いがうかがえそうです。

さらに、この曲を構成するうえで欠かせないギミックがありたす。それが「埪環䞻題」です。埪環䞻題ずはひず぀の旋埋䞻題・テヌマが少しず぀姿を倉えお掟生しおいく手法のこずで、それぞれの楜章郚に䞀貫しお䞻題を眮くこずで曲党䜓に統䞀感を生み出しおいたす。

この曲には私が泚ぎ蟌める党おを泚ぎ蟌んだ

党二楜章、四郚から成るこの曲に぀いお芋おいきたしょう。

第䞀楜章前半郚は、物静かに始たっおいきたす。ずおも、ゆっくりず、割れそうな氷の䞊を歩くようです。それから、匊楜噚が第䞀䞻題を奏で、朚管楜噚に移行したす。そしお、第二䞻題が登堎し、ゆったりず終曲しおいきたす。

第䞀楜章埌半郚では、いよいよオルガンの芋せ堎です。オルガンの音色に導かれるように、匊楜噚が矎しい調べを打ちたす。やがお管楜噚ぞず䞻旋埋を受け枡したすが、続いお察旋埋を担うこずになった匊楜噚がその芳醇な銙りを匕き立おおいたす。そしお、最埌は垃をかぶせるようにしお浮遊感を保ったたた終わっおいきたす。

第二楜章前半郚は、スケルツォでずおも疟走感に満ち満ちおいたす。匊楜噚が力匷く䞻題を匟いおみせお、ピアノが裏で走句の圹目を果たしおいたす。そしお、埪環䞻題が再珟された埌、最埌の楜章ぞずそのバトンを繋ぐように幕を閉じたす。

第二楜章埌半郚、いよいよフィナヌレです。いきなりのオルガンの響きに床肝抜かれるでしょう。第䞀楜章の埌半郚ず同様に、オルガンを䞭心にたずたったオヌケストラがふたたび䞻題を䜕床も再珟させながら、壮麗に膚れ䞊がっおいきたす。そしお、高揚感ず満腹感をワンセットにしたような匷靭な音の壁が過ぎ去るようにしお、この曲は終わりを告げたす。

サン「どうだ、これが俺の音楜だ」
芳客「ブラボヌ玠晎らしいなんお曲なんだ」
サン「ああ、この拍手に飲たれおしたいそうだ」
芳客「すげえな。サンサヌンス」
サン「ああ、聞こえる。俺を称賛しおやたない声が」
芳客「小さい頃から祭り䞊げられおずっず倩狗だったけど、やっぱさすがサンサヌンスだ」
サン「ん あれ」
芳客「お前、できない人の気持ちがわからないずかなんずかで、けっこう呚りから嫌われおるみたいだけど、俺は奜きだぞ」
サン「やっぱりなんか倉だな」
芳客「叀兞掟を意識しすぎお叀臭いっお蚀われおるけど、そういうずころも含めお俺は認めおるぞ」
サン「阪神タむガヌスの遞手にでもなった気分だ」

サンサヌンス自身が指揮した、ロンドンでの初挔は倧絶賛の嵐でした。
この曲は、もずもず自身に倧きな圱響を䞎えたフランツ・リストに献呈する予定でしたが、その申し出の半幎埌にリストは他界しおいしたいたす。そのため、「F・リストの思い出に」ずいう献呈の蟞に差し替え、この䜜品を出版したした。たた、䜜曲したサンサヌンスはこの≪オルガン付≫に぀いおこう語っおいたす。この曲には私が泚ぎ蟌める党おを泚ぎ蟌んだ、ず。その蚀葉に嘘停りはなく、あらゆる技巧を駆䜿しお、埌にも先にも類を芋ない挑戊的か぀調和の取れた䜜品になっおいたす。


むベヌル『亀響組曲≪寄枯地≫぀の亀響的絵画』


▌むベヌル≪寄枯地≫ 指揮ゞャン・マルティノン 挔奏フランス囜立管匊楜団


ゞャック・むベヌルずは

ゞャック・むベヌル。クラシックファンでない限り、この名前を聞いおピンずくる人はそうはいないでしょう。なかなか銎染みが薄いですが、排脱で掗緎された䜜品を数倚く残したフランスの䜜曲家です。

ゞャック・むベヌルは1890幎にパリで、商品茞出の䟝蚗業務を行う父芪ず高玚官吏の嚘である母芪のもずに生たれたす。父は趣味でノァむオリンを匟き、母はピアノの腕が立ったこずもあり、幌少より自然ず音楜教育を受けるこずになりたした。

12歳のずき、䜜曲に興味を持ち始めた圌は和声を独孊で孊び、歌曲や簡単なワルツを詊䜜し、䜜曲家ずしおの道を目指し始めたす。
21歳のずきにパリ音楜院に入孊し、本栌的な和声孊や察䜍法、そしおフヌガやオヌケストレヌションに぀いお孊びたす。

1914幎、圌が24歳のずきに第䞀次䞖界倧戊が勃発したす。それにずもない圌は担架兵兌看護人ずしお戊地に赎くこずになりたす。そしお、戊争が終わる頃には海軍の士官にたで昇り詰めたした。

1919幎、ようやく平穏な生掻を取り戻した圌は、フランスの䜜曲家の登竜門であるロヌマ倧賞に応募したす。そしお、『カンタヌタ《詩人ず劖粟》』で芋事ロヌマ倧賞を受賞したす。その副賞ずしお、むタリアぞの留孊がありたした。圌はロヌマにあるフランス・アカデミヌに滞圚し、䜜曲の勉匷に励みたす。そしお、その滞圚䞭に䜜曲されたのが『亀響組曲≪寄枯地≫぀の亀響的絵画』になりたす。


぀の亀響的絵画

この組曲には぀の亀響的絵画ずいう副題が぀いおいたす。ずいうのも、≪寄枯地≫は぀の曲から構成されおいたす。

第曲「ロヌマ â€• ãƒ‘レルモ」
こちらは、ロヌマからシチリア島のパレルモを目指す航海の情景です。

第曲「チュニス â€• ãƒãƒ•ã‚¿ã€
チュニゞアのむスラム教埒の町チュニスから、北アフリカの砂挠にあるオアシス街ネフタぞの旅の情景です。

第曲「バレンシア」
スペむンの東偎に䜍眮する枯町バレンシアの「火祭り」をテヌマにした楜章になっおいたす。

このようにそれぞれの楜曲においお、地名が぀けられおいたす。しかも、それらはすべお地䞭海沿岞の郜垂にあたりたす。その土地土地に圌は、海軍士官時代に蚪れたずいいたす。そしお、ロヌマ留孊䞭にたたぞろ地䞭海に赎いた圌は、さたざたな異囜の印象をスケッチに残したす。それらを基に䜜られたのがこの亀響組曲でした。

むベ「むタリア、ロヌマ、地䞭海・・・。あゝなんお矎しいんだ」
持垫「おう兄ちゃん、芋たずころ、ここの人じゃないね」
むベ「さようで。わたしはパリの出身でね」
持垫「なんだパリゞャンか。それよかこれ買っおくか 今朝獲れたばかりで新鮮だぞ」
むベ「いったい、これはなんでしょう」
持垫「淡氎魚のアロワナだ」
むベ「川魚じゃねえか」

地䞭海に近いロヌマはむベヌルのお気に入りだったようです。ロヌマ倧賞受賞埌に暮らしおからも、次は自らがフランス・アカデミヌの通長に就任し、1937幎にふたたびロヌマに着任したす。ですが、今床はむタリアがフランスに宣戊垃告したため、1940幎には離任せざるを埗なくなりたした。しかし、第ニ次倧戊埌の1946幎にたたぞろアカデミヌ通長ずしおロヌマ入りし、その圹職を1960幎たで続けるこずになりたした。

曲の玹介

≪寄枯地≫は党曲から成り、ずおも、異囜情緒あふれた䜜品になっおいたす。物語性に富んでいお、フランス人のバカンスはきっずこんな旅路なんだろうず想像できるほどです。ここではその3぀の䜜品に぀いお迫っおいこうず思いたす。

第曲「ロヌマ â€• ãƒ‘レルモ」
曲目はロヌマを出発しお、シチリア島のパレルモぞず向かいたす。シチリア島はむタリアの長靎の先端に匕っ付いた島で、パレルモはその最倧の郜垂になっおいたす。曲の冒頭、倜明けの静かな海を圷圿ずさせるフルヌトの音色で幕を開けたす。続くノァむオリンの高いトレモロが航海の始たりを予感させ、そこから䞀気に駆け䞊がっおくるノァむオリンの挔奏が旅の華やかさを䞀局匕き立おたす。この瞬間にはもうあなたは旅をしおいるず錯芚しおしたいたす。そのぐらい躍動感ず情景描写に優れおいたす。終盀は朚管楜噚の萜ち着いた音色にほだされ埐々に終着しおいきたす。

第曲「チュニス â€• ãƒãƒ•ã‚¿ã€
続いおチュニスからネフタぞず向かいたす。チュニスずはチュニゞアの銖郜で同囜の商業工業の䞭心地にもなっおいたす。ネフタずはチュニゞアの郜垂でアルゞェリアずの囜境近くに䜍眮しおいたす。ナツメダシが茂る「花かご」ず呌ばれるオアシスがあるこずでも有名です。曲はコル・レヌニョずいう匊を匓で叩く奏法で始たりたす。そこからオヌボ゚がこの曲を䞀貫しおリヌドしおいきたす。その笛の音色はたるでコブラを自由自圚にあや぀る蛇䜿いさながらで、䞀瞬で砂挠の枇いた倧地がそこに広がっおいきたす。

第曲「バレンシア」
最埌のモチヌフになった堎所はスペむンのバレンシアです。マドリヌドずバルセロナに次ぐ第䞉の郜垂で、ペヌロッパ屈指の湟岞郜垂ずしお有名です。バレンシアず聞くずオレンゞを思い浮べる方も倚いでしょうが、バレンシアオレンゞはアメリカのカリフォルニアで䜜られた品皮です。曲はピッコロ、オヌボ゚ずいった朚管楜噚の现かく刻たれた音からスタヌトしたす。カスタネットの朚がパチパチず燃える音だったり、チェロの心地いいピッチカヌトだったり、金管楜噚のブリッゞだったり、ずにかく芞が现かい印象を受けたす。その䞀぀䞀぀がスペむン的なリズムの䞭に溶け蟌んで、䞀぀の情景を䜜り䞊げおいきたす。

曲あわせお15分ほどず決しお長くはありたせん。ただ音楜で旅ができるずいう実感を埗たのはこの曲が初めおだったかもしれたせん。15分がさらに短く感じおしたうほどです。情緒豊かで、町の特城をよく捉えおいお、瞌を閉じれば私たちは県前に地䞭海を望むこずになるでしょう。たさに亀響的絵画ずいっお申し分ない䜜品です。


たずめ

今回はサンサヌンスの≪オルガン付≫ずむベヌルの≪寄枯地≫を玹介したした。どちらもフランスの䜜曲家で、私の手元にある音源はフランス囜立管匊楜団の挔奏でフランス人のゞャン・マルティノンが指揮をずっおいたす。もっずも、この䞀糞乱れぬオヌケストレヌションのトリガヌはここにあるのかもしれたせん。フランスずいう囜でフランス人ずしおのアむデンティティを確立し、その誰しもがフランス流ずいうものを内に宿しおいる。それらが、自然ず共鳎しあっお、なるべくしおなった挔奏なのかもしれたせん。過去の偉人からのメッセヌゞを受け取った圌らの挔奏にぜひ耳を傟けおみおはいかがでしょうか。




いいなず思ったら応揎しよう