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オニヤンマの産卵
子どもたちが生まれてからしばらくの間住んでいた住宅は、諏訪湖を望む高台にあり、自然環境は抜群だった。上の息子は毎日、隣の空き地で虫捕り網を手に、チョウやバッタ、トンボを追いかけていた。住宅の側溝にはきれいな水が流れていて、サワガニが棲んでいた。息子は喜んで側溝をのぞいてはカニを探していた。
長男5歳、次男が2歳になった年の6月始め、側溝の清掃をすると、オニヤンマのヤゴが出てきた。子どもたちに飼いたいとせがまれて、ヤゴとカニをそれぞれバケツで育てることになった。サワガニには炊いたご飯を与えたが、ヤゴは生きた餌しか食べない。釣具店でミルワームを買い求め、恐る恐る与えていたが、カニもヤゴもすぐに死んでしまった。
ヤゴがいるならトンボになるんだろう。そうしたら 息子はまた喜んで虫取り網を持って追い回すことだろうと思い、それから側溝を確認するのがわが家の日課となった。
その年7月のある日、保育園から帰ってくると、二人は側溝の上を飛び回るオニヤンマを見つけた。長男はすぐに虫取り網を構えてオニヤンマを追い回し始めた。まだよちよち歩きの次男もそれに続き「お兄ちゃん、がんばれえー!」と応援する。
それは初めて見るオニヤンマの産卵だった。オニヤンマのメスは、夏の夕暮れの光をバックにホバリングしながら、文字通り「命がけで」産卵していた。私は無事に産ませてあげたかった。どうかつかまらないでほしいと思った。同時に、オニヤンマのメスを捕まえたら子どもたちはどんなに喜ぶだろうとも思った。長男はしばらく激しく飛び回るオニヤンマを追いかけていたが、とうとう捕まえるのを諦めた。産卵するオニヤンマの気迫が昆虫少年の熱を上回っていたのかもしれない。
その後わが家は長野市に引っ越し、あの住宅も取り壊しになったと聞いた。オニヤンマのいた側溝はどうなっただろう。
夏になるとオニヤンマを追いかけていた元・昆虫少年は、虫が苦手でゲームに夢中の中学二年生になった。