街歩き #004 | 東京都目黒区の旅
東京都目黒区
こんにちは。本日ご紹介する街は「東京都目黒区」です。
目黒を歩く際には、いつもは目黒駅から行人坂を下り、寺町のお寺を巡りながら目黒不動尊へというコースが多いのですが、この日は3年ぶりに目黒のさんま祭(目黒区民まつり)が行われているということで、目黒川沿いをぶらぶらと歩くことにしました。
元林業試験場だった林試の森公園・獨鈷の瀧が必見の目黒不動尊・酉の市で有名な大鳥神社・ さんまは目黒に限るの目黒さんま祭・中目黒鎮守の中目黒八幡神社など…。
今回は「東京都目黒区」の東部地区を、東急目黒線武蔵小山駅から東急東横線中目黒駅まで歩きます。
林試の森公園
武蔵小山駅から5分ほど歩いたところにある林試の森公園。
1900年山林局目黒試験苗圃設置。後に林業試験場に改称。78年林業試験場はつくば市へ移転。89年都立林試の森公園として開園。現在も林業試験場当時の樹木が残されている公園です。
最近、街歩きの際、その街に大きな公園があれば街歩きコースに入れるようにしています。
こちらは元林業試験場で当時の林が残されている公園です。朝は犬の散歩のラッシュアワー。都心の目黒にありながら自然を感じられる気持ちのいい公園ですね。
目黒競馬場跡
林試の森公園から住宅街を歩いて10分。目黒通り沿いに目黒競馬場跡の記念碑があります。
1907年目黒競馬場開設。馬券発売が禁止とされ、競馬場が閑散としていた時期もあったようです。32年に第1回目の東京優駿(日本ダービー)を開催。33年東京競馬場として府中へ移転。
目黒通りに”元競馬場前”というバス停があります。記念碑はそのバス停のすぐ近く。この地に広がる下目黒の住宅地が目黒競馬場跡地です。
当時を偲ばせるものは残されていませんが、住宅地の中に当時のコースそのままに曲がっている道路があります。
瀧泉寺・目黒不動尊 (天台宗)
目黒競馬場跡の ” トウルヌソル号 " の碑から住宅街を10分ほど歩くと、見えてくるのが瀧泉寺・目黒不動尊。
808年円仁開基。円仁が独鈷を投じ湧き出した " 獨鈷の瀧 " にちなんだ瀧泉寺。1634年3代家光の帰依により目黒御殿とも呼ばれた大伽藍を復興。江戸随一の行楽地として名所となったお寺です。
江戸時代、3代将軍家光が鷹狩で訪れた際、愛鷹が行方不明に。不動尊に祈願したところ、本堂前の松の木に戻ってきたという伝説があります。この鷹居の松伝説により、家光は瀧泉寺・目黒不動尊を手厚く庇護するようになったと伝わります。
賑やかな境内の瀧泉寺・目黒不動尊は見所が多いですね。1945年の東京大空襲で被災を受けたため、伽藍の大部分は戦後の再建ですが、江戸時代の一大行楽地であったことを感じさせる私のお気に入りの寺院です。
< 獨鈷の瀧 >
開基の円仁が堂塔建設の敷地を占うために、持っていた獨鈷(法具の一種)を投げたところ瀧が湧き出したという伝承から獨鈷の瀧と名付けられました。寺名の瀧泉寺はこの獨鈷の瀧が由来です。
獨鈷の瀧は不動行者の水垢離場として有名でした。島津斉彬が病に倒れた際に西郷隆盛が水垢離をしたのもこの獨鈷の瀧です。大河ドラマ"西郷どん"でも描かれていましたね。
現在は水垢離はできませんが、代わりに水かけ不動明王像に湧水をかけてお参りすることができます。
< 青木昆陽墓 >
瀧泉寺・目黒不動尊の本堂裏手から出て少し歩いた場所に青木昆陽墓があります。
国史跡。墓所は瀧泉寺の飛地境内にあります。墓石の"甘藷先生墓"は昆陽自らが刻んだもの。青木昆陽は江戸中期の儒学者。1732年に発生した享保の大飢饉を受け、救荒食としてさつまいもを普及させました。
境内の青木昆陽像もさつまいもを手にしてますね。
目黒寄生虫館
瀧泉寺・目黒不動尊から徒歩5分。目黒通り沿いに目黒寄生虫館があります。
1953年設立。寄生虫学権威の亀谷了が私財を投じ設立した寄生虫専門の研究博物館。世界有数の研究機関であると同時に、資料の展示公開を通じて寄生虫に関する知識の普及啓発を行っている施設。
初訪問でしたがとても興味深い博物館でした。展示にあるような人体寄生虫は衛生状態の改善・予防対策により日本ではほとんど見られなくなっているようですが、世界では今でも多くの寄生虫症が流行しているとのこと。
有名な展示が " 8.8mのサナダムシ " 。40代男性に寄生していました。3ヶ月前に幼虫が寄生したマスの刺身を食べたのが原因だったんですね。
大鳥神社
目黒寄生虫館から歩いてすぐ。大鳥神社は目黒通りと山手通りが交差する場所にあります。
806年創建。日本武尊が東征の際に当地で祈願したことが起源。没後に日本武尊の霊が白鳥として当地に現れたことで、鳥明神として祀り、社殿が建立されたと伝わります。
大鳥神社は江戸時代から酉の市で有名な神社です。酉の市の起源は、日本武尊が焼討ちにあった時に、薙ぎ倒した草を熊手でかき集めて火を防ぎ、逆に向火で敵を征伐したという伝承に由来する火難除けの神事。
大鳥神社の酉の市は、1835年下目黒の造り酒屋・大国屋與兵衛が浅草より熊手を取り寄せたことから始まりました。付近の農民が野菜や実用品を売る市も並び、今の形にまで発展してきた毎年11月の恒例行事です。
今年の酉の市は11月4日・16日・28日でいずれも平日にあたってしまいました。毎年、どこかの酉の市には伺うようにしているので、今年も酉の市に行ければいいなと思っています。
今では通常でも授与されるようになっている大鳥神社の御朱印。数年前までは酉の市の日など年数回しか授与されていませんでした。昔、御朱印を頂くために、酉の市の日を狙って参拝したことを思い出しました。
目黒のさんま祭(目黒区民まつり)
大鳥神社から徒歩10分で、目黒のさんま祭会場の田道広場公園へ。
コロナ影響で3年ぶりの目黒のさんま祭。秋の風物詩ですね。6年前のお祭りでは早朝から並んで美味しいさんまを頂きました。
今回は目黒区民限定の事前抽選制ということでさんまは頂けず。せめてもということで焼ちくわを頂きました。
2016年の " 目黒のさんま祭 " の写真。目黒通りに交通規制をかけ、目黒駅前で盛大に開催されていました。今では考えられない密状態ですが、秋の訪れを感じさせる賑やかなお祭りでした。
落語 " 目黒のさんま " は、鷹狩途中の殿様が庶民の魚・さんまを食べて大喜びする噺。サゲは " さんまは目黒に限る " ですね。
めぐろ歴史資料館
田道広場公園から目黒川沿いを10分歩き、めぐろ歴史資料館へ。廃校になった中学校を活用しています。
2008年開館。目黒の歴史を紹介する資料館。江戸時代の目黒は将軍家が鷹狩を行う鷹場でした。行方不明になった3代家光の愛鷹が戻ってきた目黒不動尊の"鷹居の松"。家光は目黒不動尊を深く信仰するようになります。"目黒のさんま"も鷹狩の際の噺でしたね。
中目黒八幡神社
めぐろ歴史資料館から徒歩5分。住宅地の中に鎮座する神社が中目黒八幡神社です。
創建不詳。江戸時代中期には鎮座していたものと伝わります。中目黒の住宅地にある神社で村の鎮守の趣があります。
境内社の三峯神社は拝殿向かって左側。5年8ヶ月ぶりの参拝ですが、社務所が新しくなっていますね。月替わりの御朱印も素敵です。
小さな旅の終わりに
このエリアの中心は目黒川。桜の季節以外もいいですね。中目黒駅前の目黒アトラスタワーが正面に見えます。
武蔵小山駅から徒歩5分の林試の森公園。目黒にこれだけの自然が残っていることに驚きます。元林業試験場で当時の林が残されているとのこと。こういうところで散歩できるワンちゃんは幸せだな。
瀧泉寺・目黒不動尊は、鷹狩で訪れた3代家光の帰依を受け、江戸近郊の行楽地として栄えたお寺。今も境内は見所が多く、行楽地だった名残を感じさせます。
伽藍は、1945年の東京大空襲で大部分が焼失。文化財としては戦後再建のものがほとんどですが、唯一国史跡として指定されているのが青木昆陽墓。
東京都の史跡案内板は普通は黒色ですが、青木昆陽墓では甘藷色なんですね。色が剥げてたまたまそうなったのかもしれませんが。
都の天然記念物だった大鳥神社のオオアカガシ。2002年に枯死しましたが、碑と黒色の案内板が残されています。
目黒通りと山手通りの交差するところにあり、交通量が多いところなので、樹木の生育にも影響があったのかなと想像します。
目黒さんま祭のポスター。「さんまは目黒に限る」がサゲとなっている落語「目黒のさんま」は、殿様(3代家光がモデルか?)は庶民の食べ物・さんまを食べて大喜びする話。
それにしても、さんまは庶民の食べ物だったはずなのに、不漁続きで最近さっぱり口にできてないな。
目黒川を眺めながらの目黒の街歩き。秋を感じる散歩道でした。
目黒での一曲は Em Beihold の " Numb Little Bug " 。目黒寄生虫館に行きましたが、寄生虫は英語でParasite。虫全般のことはBugと言います。" Numb Little Bug " とは " 何も感じない小さな虫" という意味。
メンタル不調になった自分を表現したというちょっと変わった曲です。心を” いまここ ”に取り戻すマインドフルネスはとても大事ですね。