マンションにある溜め池から考える(居住者としての実体験)


今回は僕が住んでいた、賃貸マンションの水盤(以下:溜め池)に関するお話を書きたいと思います。
この話は管理会社としてではなく、居住者としての自分の実体験になります。

そのマンションには、敷地内に溜め池がありました。外構的にはモダンな感じでおしゃれなのですが、定期清掃の頻度が少なく、いつも落ち葉やビニール袋が浮いている状態でした。
マンションには約60世帯が居住するものの、自らで片付ける人はいません。
マンションの居住者であれば、毎日通りかかる場所にあり、僕自身も気になっていたのですが、いざという時に「ゴミ袋や手袋を持ち合わせておらず、なかなか動き出せない」という状況が続いていました。

マンションの溜め池(イメージ写真)
溜め池のゴミ(イメージ写真)

ある日、木の棒が落ちていた

そんなある日、その日の夕食や明日のゴミ出しのことを考えながらマンションに帰宅しようとしていたところ、その溜め池の前に、普段は見かけない木の棒が1本置いてありました。
普段から溜め池が気になっていた僕は、不自然に置いてある木の棒を見てふと思いました。

不自然に置いてある木の棒(イメージ写真)

「この木の棒を置いた人は、木の棒でゴミをすくい取ろうとしたんじゃないか…?」
「このマンションにも、溜め池をきれいにしたいと思っている人がいるんだ…!」

この木の棒をきっかけに、僕はその後自宅にゴミ袋などを取りに行き、木の棒を使って溜め池に浮いてあるゴミを片付けることができました。
普段から気になっていたところが片付いてよかったというのもありますが、元々住民間での挨拶などが少ないこのマンションで、顔の見えない住民の方と思いを共有できたような気がしたことが何より嬉しかったです。

木の棒が教えてくれたこと

この木の棒は、誰かが意図して置いたものではなかったかもしれません。
真相真意はわかりませんが、普段から「溜め池をキレイにしたい」と思っていた僕にとっては、木の棒が「ゴミをすくい取るもの」であり、片付けをするという行動の「背中を押してくれたもの」でした。

今回お伝えしたかったのは、この木の棒が、価値観に「気付く」体験(仕掛けづくり)だったということです。
価値観とは、誰かに強いられたり与えられたりするものではなく、自分で気付くものであると僕は思います。
同じ木の棒を見て何も感じない人もいれば、普段から溜め池のゴミが気になっている人が見ると、誰かがゴミをすくい取ろうとした形跡だと考えるかもしれません。

「誰かがゴミをすくい取ろうとした形跡」から、「自分でもゴミをすくいと取れるかもしれない」というアクションにつながり、最後に「自分の身のまわりのことは、他人任せにしないようにしよう」という価値観に気付くきっかけになるかもしれません。

僕は共同住宅の生活に関心があるので、こうした居住者の価値観に変化をもたらす仕掛けづくりのアイデアを、今後どんどん蓄積していきたいと考えています。

こんな経験、皆さんもありませんか…!?次は読者の皆さんのお話を伺いたいと思います。
近々皆さんのお話を募集するアンケートのリンクを用意できればと考えておりますので、その際はぜひお願いいたします。

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