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モノレールの子供たち
上野動物園に日本最初のモノレールが開業したのは、1957年だという。
遊園地のおとぎ電車のようなものだと思っていたから、地方鉄道法に基づくれっきとした「鉄道路線」だと知ったときには意外な気がした。
子供の頃、動物園のモノレールは人気があって、大抵行列しなければ乗れなかった。
翻って羽田行きのモノレールは、開業後しばらくの間、清々しいほど、閑古鳥が鳴いていた。
動物園の中の、わずかばかりの間を結ぶ乗り物など、移動手段としてはあってもなくてもよい。しかし、子供にとっては、心躍るアトラクションだった。
おとなと子供とでは、歩ける距離も違う。
乗りたい、乗りたいと駄々をこねれば、親は、いつだって不承不承ながら付き合ってくれた。
わが子が動物園を面白がる年齢になり、せがまれれば、私もやはり、あってもなくてもよいモノレールに乗せてやった。
親が自分にしてくれたことは、自分も子供にしてやらねばならない。そんな硬直した考えから、思考を放棄して、ありもしない義務を果たした気になる。それで構わないと思っていた。
この国は、人類の先陣を切って「超高齢社会」となり、少子化に歯止めがかからない。
それでもなお、動物園のモノレールには、しばしば行列ができていた。
妻と子供だけが乗車し、私は沿線で手を振って、カメラを構えることもあった。
車両も、当然ながら、代替わりをしていた。何代目だったのかは知らない。
初代の車両は、あたかも未来から飛来したかのような流線型で、銀色に輝き、車体全体にわたって大窓が連なる、息をのむほどに麗しい姿だったが、末裔は、夢も希望もない、凡庸ないで立ちに変わり果てていた。
窓辺に座っているはずの妻子の姿を見つけようと、沿道から注視していると、車体には、宝くじがどうの、と下らない字が書いてあって、思わず目を背けたくなるのだった。
或る日、子供たちが首尾よく先頭近くの席に乗り込んだときのこと。
運転士が、おもむろにノベルティの缶バッチをつかんだ手を差し伸べて、
―かわいい子たちだねえ。誰かひとり、おじさんの家の子にならない?
と問いかけた。
都電か、バスか、地下鉄か、いずれ交通局を定年まで勤めあげたといった風貌の、初老の運転士だった。
次女はゴリラの描かれた缶バッチを喜び、その場でさっそくリュックに付けた。
運転士の言葉を真に受けた長女は、怯えて、私にしがみつき
―パパ、パパ、みずきちゃんは、ずっとパパのおうちにいるよ
と言った。
息子であれ、娘であれ、子どもには、いずれは資格や技能を獲得して、世間に羽ばたく術を身に着けて、巣立って行ってほしい。
親であれば、誰しもそう願う。
しかし今、幼子が、不意を衝かれ、動揺し、不安に駆られているのであれば、無論抱きしめて、守ってやるほかない。
―分かった。分かった。もちろんだよ。ずっと一緒に暮らしていこう。心配するな
おでこをおでこに、リズムをとって幾度も触れ合わせながら、そう言い聞かせた。
青森県弘前市に、「ライスボール」という名の、音楽ユニットが活動している。
ライスボールという英語があるかどうかは知らないが、おにぎり、またはおむすびのことだ。
津軽弘前は、りんごの国内生産量の3割を占め、シェア第一位を誇る「りんご王国」だが、米どころでもある。
「ライスボール」は、ご当地アイドル「りんご娘」の姉妹ユニットとして、10年近い歴史を重ねている。
稲作農家を応援するローカル・グループの立場から、青森県産米の名前にちなんだ「まっしぐら」「青天の霹靂」といった楽曲もリリースしている。
最初のオリジナル曲は、親子の情愛を、おむすびに託して歌い上げた「掌(たなごころ)」だった。
その歌詞に、
「この家(うち)に生まれて良かった あなたの子供で良かった」
という一節がある。
「育つ」「成長する」、津軽弁ではそれを「おがる」という。
おがった子から、あなたの子供で良かった、と言われて心揺さぶられぬ親はいまい。
親ごころの急所を突く、こんな剛速球は反則だ、と到底勝ち目のない文句のひとつも言いたくなる。
作詞者には、樋川新一、多田慎也と二人の名前がある。
樋川氏はりんご娘やライスボールを弘前に根付かせようと、四半世紀にわたり頑張ってきたプロデューサー。
多田氏は樋川氏の意気に感じ、東京から弘前に移り住んだシンガーソングライターだ。
「真犯人」は、どちらなのか。
ずっとパパのおうちにいるよ、としがみついてきた長女は、長ずるに及んでさっさと家を出て、遠い土地の学校に進んだ。
修養のためであって、「この家」を棄てたからではない。
愚かな父親は、そう決めつけたがる。
進学先を決めるとき、長女はほんとうは、ほんのちょっぴり、この家を棄てたかったのかも知れない。
さはれ、長女はあの時のモノレールのことを、今でも覚えているだろうか。