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湘南電車75年(モユニ)

●蛇頭は未来を目指す
タイトルの括弧の中に「蛇足」と書きかけて、やめました。
湘南電車の特徴のひとつに、郵便と荷物専用の電動車モユニ81(1959年の称号改正後はクモユニ81)を新製したことが挙げられます。
モユニは、蛇足どころではなく、堂々16両編成の先頭に立った最初の電車として、鉄道史に名を刻む、立派な「蛇の頭」だったと思い直したからです。

旅客を乗せない「脇役」ながら、モユニは、流線型のトップモードをまとい、6両が国鉄大井工場で呱々の声をあげ、1950年9月に就役しました。
戦災復興が急務だったこの時期の、新製配備という脇役への破格の厚遇です。
国鉄の車両開発陣が、電車を近代化の根幹と捉え、湘南電車のその先に電車特急を、そのまた先に、当時はまだ実現するかどうかさえ覚束なかった、電車超特急を見据えていた、ささやかな証拠のように思えます。
特急こだまが走り始めるまで、先頭のパンタを振りかざして東京駅を出発するモユニは、近代化の象徴、国鉄の一大看板の役割を担いました。

●新幹線への道程
「夢の超特急」の「夢の」には、当初「夢のような」「実現はしない」というアイロニーの意味合いが濃かったと、新幹線開業直後の国鉄の内部資料に、そう受け取れる記述があります。
建設が決定するまでは、国鉄の内部にも、
ー東海道線の輸送力増強は、在来線の傍らに狭軌を張り付けて、複々線にすれば良いのでは
ー長距離は、電車なんかじゃ駄目だ
という反対派がいて、むしろそちらが多数派だったようです。

国鉄の鉄道技術研究所が「超特急列車 東京ー大阪間3時間への可能性」と題した公開講演会を開いたのは1957年5月。
技術的には、広軌別線、電車列車により、すぐにでも実現可能、と初めて世に問うた「観測気球」でした。
この講演は大きな反響を呼び、新幹線推進の機運を高めた、とされます。
電車特急「こだま」が走り始めた翌月、1958年12月に「東海道新幹線建設計画」が閣議承認され、新幹線は、国家的プロジェクトとして正式にスタートを切ります。
ここに至るまで、国鉄は、新幹線実現という秘めたるambitionを、腫れ物に触るように、慎重に慎重に、取り扱ってきたように思えます。

●双頭の蛇
モユニは、長大編成の先頭に付く一方で、最短1両でも運行できるように、車両の両端に運転台を備えていました。
国鉄の車輌技術者が著した「電車のアルバム」には、「深夜の新聞輸送などには、モユニ81だけが2両編成で使われた」とあります。
この短い一節に、私の妄想は、大いに刺激されました。

モユニが、片運転台ではなく、わざわざ製造費用の嵩む両運転台式を採用したのは、湘南電車のためではなく、新聞輸送の利便性のためだったのでしょう。

新聞は、毎日、時間・行先・分量が確約されたありがたい定期客です。しかし、商品の性質上、朝刊輸送は深夜早朝に運行せざるを得ません。
鉄道の側から見れば、終電と始発の間、地上設備の保守点検作業に充てたい時間帯に割り込む、有難迷惑な存在でもあります。
そこに新車モユニを投入したのです。
国鉄は、新聞には歓迎を期待したことでしょう。
主要道路でさえも、舗装の行き届かなかった、1950年代初頭のはなしです。

もうひとつ思い出しておきたいのは、当時の新聞の、情報インフラとしての圧倒的優位性です。
民間ラジオ放送の開始は、モユニ誕生から遅れること2年、1952年のこと。テレビ放送開始は、翌1953年のことでした。
それまでのニュース報道は、NHKラジオを除けば、新聞各紙の独占でした。新聞の公共性に鑑みて、新聞輸送のプライオリティは高くて当然だった、と言えます。

その新聞が、初期故障をあげつらい、面白おかしく「遭難電車」呼ばわりする。
「オモチャの電車のような安っぽい」などと書き立てる。
もっと汚い言葉を浴びせかけた記事も、今では容易に検索できるけれど、つまらないから、止しましょう。
続発した事故報道と、非難や批判、そんな記事を掲載した新聞を、ほかならぬモユニ自身が、2両編成で、せっせと、黙々と、深夜早朝の東海道線の駅ごとに停まって、読者に運び続けました。
ペーソス漂う、これは漫画です。

「電車のアルバム」は、新幹線建設が佳境に入った1962年に刊行されました。
モユニの開発にも携わった技術者が記した、「深夜の新聞輸送などに使われた」という一節は、まことに慎ましやかで、後世の読者には気づくことさえ困難だけれど、過ぎ去った1950年代前半を回顧した、新聞各紙の報道・論調に対する、お茶目なアイロニー。
私にはそう読めます。

陳腐化したモユニ81の後継として、クモユニ74が製作されたのは「電車のアルバム」刊行と同じ1962年でした。
今度は、新製はされず、脇役相応の旧車改造で賄われました。流線型ではなく、そっけない切妻の運転台です。
新幹線の着工にこぎつけさえすれば、後はもうこっちのもの。
新聞電車なんかに、今さらカネはかけられん。
勘ぐれば、そんな本音が透けて見える対応のようにも思えます。
かくて、郵便荷物電車の新造は、モユニ81が最後になりました。

●ラブレター・フロム・モユ二
鉄道趣味の世界に、モユニ誕生を最初に伝えたのは、当時唯一の専門誌だった月刊「鉄道模型趣味(TMS)」です。
1950年7月号は、モユニ81の車体両側に設けられたポスト(郵便差入口)を、「最近の傾向であるアメリカ式の新様式」として紹介しています。
手紙を、ホームから郵便車に直接投函できたなんて、ちょっと愉快ではありませんか。
もっとも私は実物は見たことがなく、利用したこともありません。
模型では、モデルスイモンのHO製品には、郵便差入口の表現があります。

●蛇足(今度こそ)
巳年に臨んで連ねた、長大電車への思い巡らしを、4回で切り上げます。
J・ルナールが「博物誌」に描いた蛇は、僅々、二音節。
ーTrop long(トロ ロン).
拙訳は、
ーながっ!

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