湘南電車75年(2)
●色彩をめぐる批判
敗戦の焦土に、ようやく色彩が戻ってきた。
湘南電車の塗色に対する阿川弘之のポジティブな回想は、一般の利用者の感想を代表するもののように私は思ってきました。
しかしその塗色には、当初から疑問を呈する声が、少なからずあったようです。
読売新聞の「編集手帳」(50年3月31日)は、「オモチャの電車のような安っぽい【新装】(?)」とこき下ろしました。
4か月後、改良を施した「新湘南電車」落成の記事は、写真付きで「色も従来より明るいグリーンとイエローオレンジで先頭の車は窓が二つのスマートな流線型」(50年7月27日)と報じました。
読売ははるか後年、世界最大の販売部数を獲得し、ギネスブックに名を刻む新聞に発展しますが、当時は東京のブロック紙。
テレビもない時代に、竣工直後の写真を名古屋から電送して掲載したのは、なかなかの気合の入れようだったと言えましょう。
先頭二枚窓の「スマートな流線型」は、国鉄が採用すれば即ち当時のデザインの本流になります。近代的でかっこよく、かつ製造が容易だったのでしょう、一世を風靡して全国津々浦々の鉄道に「湘南二枚窓」の車両が広まりました。
横道に逸れました。
ここでは、湘南電車の、外形の進化ではなく、塗色の改善に1950年7月の段階で、新聞が報道価値を認めていた事実を確認しておきたいと思います。
ダサい色だという世評が、相当数を占める実態があったからこそ、国鉄は登場後わずか半年足らずで機敏な変更を実施し、それをすかさずマスコミが報じたのでしょう。
私が保有する2両の模型は、片方が50年代(?)、もう一方が90年代に製造された物のようです。対象とした実物も、時代も、メーカーも異なるので、残念ながら実物のカラーの改善を推認する参考にはなりません。
●「鉄道模型趣味」誌「ミキスト」のミステリー
鉄道ファンないし鉄道模型ファンを対象とした、戦後初の専門月刊誌「鉄道模型趣味(略称TMS)」は、1949年に機芸出版社から創刊されました。
実物の「鉄道ファン」よりも、鉄道「模型ファン」に向けた雑誌の方が先に世に出たのは、興味深い事実です。
創刊時から長く主筆を務めた山崎喜陽氏は、1970年代前半のいわゆる「SLブーム」のさなかに、連載随筆「ミキスト」の中で、C62の登場を鉄道趣味界で最初に報じたのはTMSだった、と誇りを込めて、かつ控えめに書きました。
山崎氏は湘南電車について、ミキストの1952年1月号に、新潮社発行「芸術新潮」1951年11月号のコラム「流行」から「一節を転載して御参考に供したい」」として、以下のように長い引用をしました。
「湘南電車の車体は国鉄御自慢の一つらしいが、安っぽいオレンジとグリーンはだれに聞いても好(よ)くいわない。」
「もちろん塗料も悪いのであろう。しかしそれより前に、なぜ蜜柑の橙と緑をまねなければならなかったのかということが、先づ不思議である。現代科学の粋をこらした大工業製品である車体に、どうして安物の絵本のような“空は青、花は紅”式の自然模倣をしなければならなかったのか」
「流行」の執筆者が「安っぽい」「安物の絵本のような」とあげつらったのは、3月デビューの初代の塗色に対してだったか、7月に出た改良型をも含めた上でのことだったのか。今となっては、判断する材料がありません。
「流行」の執筆者名を、山崎氏は記していません。無署名記事だったのかも知れません。山崎氏の引用はまだ続きますが、主張に共感したからこそ、転載したのでしょう。
そのおよそ2年後、山崎氏はミキスト1953年12月号に、「【小説新潮】に近頃【汽笛】と云う鉄道を話題にしたカコミ記事があるのは御存知の方も多いだろう」と、唐突に切り出します。
またしても新潮社。
「芸術新潮」であれば、鉄道模型を「科学」ではなく、「(機械)芸術」として捉えようと考えたTMS・機芸出版社の志向に合致します。
「芸」一文字の共有には、大きな意味があります。
しかし「小説新潮」となれば、話は別でしょう。
小説誌の読者が、TMSの読者よりも多かったことは想像に難くないにしても、TMS読者に向かって「【汽笛】と云う鉄道を話題にしたカコミ記事があるのは御存知の方も多いだろう」と決めつけられては、その根拠は一体どこにあるのか。アンケートでも実施したのか。
面喰らった読者の数こそがむしろ「多いだろう」と反論したくもなります。
この回のミキストは、52年1月号同様、他誌のコラムを思うがままに引用した末に、地の文に還り、当時登場したばかりの新型機関車DD50について筆を進めます。
「DD50の形態だけは誰にきいてもほめる人はなく、DD50のデザインがこうして決ったと云う裏話を小耳にはさめば、あの形態も無理はない。」と。
「汽笛」の執筆者もまた、さきの「流行」同様、明らかではありません。
いずれの評言も、ひとの意見の紹介、という体を装ってはいますが、眼目は書き手自身の主張の補強と正当化でしょう。
事実の根拠を開示していない点でも、両者は共通しています。
いわば「ステルス批評」。私には、そう思えます。
そうして、あらためて注目したいのは、ふたつの文章の書き方の著しい類似ぶりです。
―「だれに聞いても好くいわない。」(「芸術新潮」1951年11月号のコラム「流行」)
―「誰にきいてもほめる人はなく、」(TMS1953年12月号のコラム「ミキスト」)
私は「流行」ないし「汽笛」の、少なくとも当該回の書き手は、山崎氏ご自身ではなかったか、という邪推を捨てかねています。