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私の実家にまちのお寺がある話 上

お疲れさまです。

最近は、暖かくなり春らしくなってきました。花粉症ではないと思っていたのですが、先日から目の調子があまりよろしくありません、、、
皆さまはいかがお過ごしですか?

本日は、私の家に町内のお寺があることについて書きたいと思います。

お御堂

私の家(正確には敷地内)には、立派な仏様が飾られた「お御堂」という建物があります。ここでは、葬式はもちろん町内の宴会場としても使われていました。

鴨居の上には、町内の人の名前の書かれた黒と金色の札がずらりと並べられています。仕切りも特になく、畳に座った時には、自然と仏様と対峙するようになっていました。

とても異質な空間でありながら、開放的で風通しも良かったため、
だだっ広い空間で一人長机を出して、勉強をしていた時もありました。

一応程度に、ミニキッチンとお手洗いもついています。
宴会の際には、ミニキッチンから作り置きの料理やお酒を提供していました。

祖父が住職をやめた

私の祖父は、町内の住職をやっていました。
日中は家で過ごし、夕方に少しお参りに行くというようなかたちでゆるゆると続けていました。

ある夏、ご飯を残しがちになった祖父。
最初は、家族の誰もが夏バテから来る食欲不振だと思っていました。

しかし、その食欲不振は残暑が過ぎても続きました。

心配になった私たちは、病院の先生に相談したり、栄養食を買い込みました。

時間が経たないうちに、祖父は病院に入らなければいけないほど、身体の自由が効かなくなりました。

町内の住職を引き継ぐのか父や兄は悩みました。
ですが、父も兄も本業があるため引き継ぐことを諦めていました。

無くなった町の居場所

宴会場やちょっとした集まりとして使われていたお御堂。
誰も来なくなったお御堂は、ホコリも溜まりやすくなり、寂しい雰囲気が漂っていました。町の居場所が一つ無くなった気分でした。

ちなみに、建物の所有者の関係性は以下の通りです。

敷地=私の実家
お寺=町内

お寺は町内のものであるため、町内会長の意向もあり、そのまま残されることになりました。家族内で建て壊しの話も出ましたが、どうしようもすることが出来なくなってしいました。

誰にも必要とされなくなってしまったお御堂。

これからの行き先は不安定なままです。

後半へ

次回は、取り残されたお寺を復活するビジョンについて書いていこうと思います。ご興味のある方はまた覗きにきてください。

ご覧いただきありがとうございました。

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