あなたの時間が通貨になる世界――時間本位制が変える未来のかたち 第1章

第1章 時間本位制の背景と魅力


1. 労働価値説からタイムバンクまで:歴史的な流れ

(1)お金が生まれる前の交換のかたち

 「時間を通貨にする」という発想は、実は決して新しくありません。私たちが普段使っている「お金」という仕組み自体も、そもそも歴史の中で人間が作り上げてきたものだからです。
 有史以前、人々は狩猟や農耕などによって手に入れた食料や生活必需品を、近隣の人々と“物々交換”するのが当たり前でした。たとえば自分が余分に獲れた獣の肉と、相手が余らせている果物や道具を交換する——そんなふうに、互いの持ち物を直接やりとりして生活を成り立たせていたわけです。
 しかし、物々交換には面倒な点もありました。「欲しいものを持っている相手が、ちょうどこちらの持ち物を欲しているとは限らない」という問題です。そこで、もっと便利な交換手段として自然発生的に登場したのが「通貨」と呼ばれるシステムでした。例えば、貝殻や貴金属(金や銀など)、さらには布や塩が“交換の基準”として使われる地域もあり、これがのちに硬貨や紙幣へと進化していきます。

(2)「労働時間こそ価値の源泉」という考え方

 「お金」という仕組みが広がる中、「いったい何が価値を生み出しているのか?」という哲学的・経済学的な問いが出てきました。その中で重要な理論の一つが「労働価値説」です。
 これはざっくり言えば、「モノやサービスの価値は、それを作るためにかかった労働量で決まる」という考え方です。たとえば農業でトマトを作るなら、種を植えて育てる作業や畑を耕す作業、収穫する作業など、いろいろな“労働”が必要です。その時間や手間がかかるほど、トマトには大きな価値が備わる——こう見るわけですね。
 もちろん実際は、市場の需要と供給やブランド力、希少性なども価格を左右します。しかし「根っこには労働がある」という点を強調したのが、アダム・スミスやデイヴィッド・リカードといった経済学者たちでした。そして、のちにカール・マルクスが『資本論』でこの労働価値説をさらに掘り下げ、市場経済と労働の関係を鋭く分析することになります。

(3)19世紀の実験:タイムストアや労働時間証書

 そんな労働価値説を“実際のお金”として試みようとした先駆者たちがいます。とくに有名なのが19世紀アメリカの「タイムストア」、そしてイギリスでの「労働交換所」の実験です。
 アメリカではジョサイア・ウォーレンという人物が、1820年代に「労働時間」を証書化して地元コミュニティの中で流通させる試みを行いました。ウォーレンは「シンシナティ・タイムストア」というお店を開き、商品を「それを作るのに要した労働時間」で価格表示し、客は自分が働いた時間を証明する“労働時間の券”で支払うことができる、という仕組みにしたのです。
 一方イギリスのロバート・オウエンは、労働者たちの労働時間を「レイバー・ノート」と呼ばれるチケットにして、商品と交換できる場所「国立公平労働交換所」を1830年代に運営しました。これもまた、「1時間労働=1時間ぶんの価値」という発想です。
 当時はまだ産業革命の真っただ中で、労働者たちは過酷な条件で長時間働いても十分な報酬が得られない状況も珍しくありませんでした。そうした不満を背景に、「どうすれば公正な交換ができるか」を模索した人々が、労働時間を通貨にする実験に挑んだわけです。

(4)マルクスの「労働証書」と共産主義構想

 カール・マルクスの「ゴータ綱領批判」には、“将来の共産主義社会では、お金の代わりに『労働証書』を使う”というアイデアが記されています。そこでは「労働者が1時間働いたら、そのぶんの生産物やサービスを得る資格がある」という構想が語られているのです。
 マルクスの時代は、資本主義が急激に拡大する一方で、貧富の格差や劣悪な労働条件が社会問題化していました。彼は最終的に資本主義を乗り越える方法として「共産主義」を描き、「市場やお金が消える世界」を夢見たわけですが、その過程で「労働証書」による交換が登場します。この部分だけ見ると、後述する時間通貨やタイムバンクのアイデアと似通っている点もあって興味深いところです。
 もっとも、マルクスが想定した共産主義社会では「国家や私有財産が消滅し、すべてが共同所有になった後」という大前提があるため、現実の社会でそのまま採用されるのは難しい仕組みでした。それでも、人間が費やす「時間」を基準にした経済という構想自体は、この時点からすでに確かな関心を集めていたのです。

(5)20世紀の地域通貨・時間銀行の発展

 歴史が進むにつれ、世界各地で「時間」を基準にする地域通貨やボランティアポイントのような仕組みが生まれました。特にイギリスやアメリカでは「タイムバンク」という名称で、コミュニティ内の助け合いを促進するプロジェクトが広がっていきます。
 タイムバンクとは、「1時間の奉仕をすると1時間通貨(タイムクレジット)がもらえ、逆に自分がサービスを受けたいときは1時間通貨を支払う」というものです。たとえば高齢者の買い物サポートをしたり、子どもの送り迎えを手伝ったりしたら、そのぶんの時間を自分の口座に“貯金”できる。その後、自分が困ったときに他のメンバーからサービスを受け取れる、といったシステムが多く見られます。
 この仕組みは単純ながらも、人々の「助け合い」を強く促進する効果があったため、多くのコミュニティで歓迎されました。お金が足りないから誰かに頼みづらい——そんな遠慮が、「お金ではなく時間で支払いをする」ことで解消される側面もあったのです。

(6)日本での事例:ふれあい切符など

 実は日本でも、地域レベルの時間通貨に近い仕組みが以前から存在しています。たとえば高齢者向けのボランティア活動で「ふれあい切符」という制度が一時期広まっていました。これは介護や家事手伝いをしたボランティアにポイントを発行し、自分や家族が介護を受ける立場になったときに、そのポイントを使って支援を受けられる、というものです。
 こうした制度は「公的な介護サービスだけでは補いきれない部分を地域住民同士でフォローしよう」という発想に基づき、90年代には一定の成果を上げていました。その後、国の介護保険制度が導入されたり、社会保障の仕組みが変化したことで普及の勢いは落ちましたが、「時間を軸にした助け合い」というアイデアが日本にも根付いていたことがうかがえます。

(7)こうした試みの限界と、再注目される理由

 これら歴史的な事例の多くは、最終的に全国的・大規模な普及には至らず、コミュニティ内の限定的な取り組みや実験として終わったものが大半でした。理由はいくつかあります。

  • 管理の手間
    タイムクレジットを紙の証書でやりとりすると、誰が何時間働いたか、どれだけの「時間通貨」を発行したかなどをきちんと管理するのが大変です。

  • 換金性の問題
    「労働時間チケット」では現金化しづらく、現実の物品購入に直結しなかったので、どうしても主流のお金と併用せざるを得ません。

  • 専門性やスキル格差
    「1時間=1時間」としてしまうと、高度なスキルを提供する人があまり得をしないのではないか、という不公平感が生まれる。

  • 法制度や税制の曖昧さ
    地域通貨が大規模化すると「これは法定通貨の代替になるのか?」という疑問や、税金をどう扱うかといった問題が浮上してしまいます。

 ところが21世紀に入り、ブロックチェーンやスマートコントラクトといった新しい技術が登場したことで、これまでの問題を解決できるかもしれない、という期待が生まれました。データの改ざんが難しい分散型台帳であれば、誰が何時間働いたかを正確に記録し、自動で取引をマッチングできる可能性があるのです。
 こうして、昔の時間通貨のアイデアが「今だからこそ見直される」という流れが起こり始めています。


2. 「お金」から「時間」へのシフトがもたらすもの

(1)お金の役割と、その限界

 私たちが普段使っている「お金」は、生活を成り立たせるうえで非常に便利です。モノやサービスを買うときに、いちいち自分の持ち物と相手の欲しい物を探さなくても、お金を渡せば取引が成立します。さらに、銀行やデジタル決済を介すことで、大人数の間でもスムーズにやり取りができるようになっています。
 その一方で、資本主義社会は「お金を増やす」という目的が強調されすぎる傾向もあります。利益を出すことがすべてに優先され、極端なケースでは環境破壊や労働者の過酷な働き方が見過ごされてしまうこともあります。
 また、金銭的な収入が低い人は社会的に不利な立場に置かれやすいのも現実です。たとえば、誰かを手伝いたい気持ちがあっても、「それじゃ生活できないから、もっと稼げることをしないと」といった事情で断念する場面もあるでしょう。つまり、お金は便利だけれども、社会全体の豊かさや幸せを測るには不十分な面があるわけです。

(2)時間本位制の「平等感」

 時間本位制が注目される理由の一つに、「時間は誰にとっても一日24時間」という平等性があります。もちろん実際には健康状態や家事育児の負担など個人差がありますが、「通貨の単位を時間にすることで、ある程度フェアに価値を測れるのではないか」という発想があるのです。
 たとえば、世界には高い専門スキルを持っていて高収入を得る人もいれば、仕事や生活環境の制約から低賃金しか稼げない人もいます。しかし全員に与えられた時間は平等であり、これを交換の基準にすると、金銭的に恵まれない人でも「自分の時間」を使って価値を生み出しやすくなる、というわけです。
 さらにタイムバンクなどでは「自分が苦手だけど誰かの得意な作業」を気軽に頼みやすくなる、というメリットも指摘されています。お金のある・なしにかかわらず、必要とされるサービスが時間単位で融通し合えるからです。

(3)コミュニティの再生と相互扶助

 時間本位制やタイムバンクが実際に導入されたコミュニティでは、「お金では測りにくい助け合い」が増えることが期待できます。たとえば、近所のお年寄りの家に1時間ほど行って話し相手になる、という行為は、お金で計算すれば「いくらに値するの?」と曖昧ですが、時間通貨なら「1時間の奉仕」としてはっきりカウントできます。
 こうした仕組みは、介護や育児などのケア労働を支えるうえで大きな強みになります。一般の市場では、特に子育てや高齢者ケアなどの分野で「需要のわりに人手が足りない」状況が起きやすいものの、そこに時間通貨を導入すると、コミュニティ住民が気軽に協力し合うインセンティブが生まれます。
 実際に、タイムバンク導入地域の調査では、「お金を介さずに頼めるから気持ちがラク」という声や、「時間で評価されることで、自分の存在意義が再確認できる」という感想が多く見られるそうです。ボランティア精神といえばそれまでかもしれませんが、これを仕組みとして補強するのが時間通貨の強みだといえます。

(4)「時間」は増やせない資源

 時間本位制には、インフレを起こしにくいという特徴も指摘されています。紙幣やデジタルなお金は中央銀行や政府が増刷・量的緩和などを行うことで“通貨量”を調整できます。しかし人間の時間は誰も増やせません。1日24時間、1年365日という制約は絶対的です。
 ある意味、「希少性が最も高い資源こそ“時間”」ともいえます。お金はあとで稼ぐことができても、失った時間は戻ってきません。この希少性が「時間通貨の価値を裏付ける」という考え方もできます。一人ひとりの時間が限られているからこそ、その交換には一定の価値があるわけです。
 ただし、この考え方には「時間の質」という要素も無視できないという反論もあります。同じ1時間でも、熟練者が提供する1時間と初心者が提供する1時間、体力に余裕がある20代と病気を抱える80代の1時間は、本当にまったく同じに扱えるのか? ここは後々の課題として議論される部分です。

(5)お金では得られない「つながり」と満足感

 時間通貨が生み出すもう一つの魅力は、「人同士が直接つながりやすくなる」ことです。
 実際のお金でやりとりする場合、たとえば家事代行サービスを利用するときは企業や業者が間に入り、その対価を支払うだけで直接関係が深まることはあまりありません。しかし時間通貨を使ったマッチングでは、「互いに自分の時間を差し出し合う」という意識があるため、そこにある程度の親近感や信頼感が生まれやすいといわれています。
 お金の世界では「お客様」と「店員」などのビジネス的関係が強調されますが、時間本位制の世界では「助け合いの仲間」としての意識が芽生えやすい。それがコミュニティの絆や連帯感を深めるきっかけになるわけです。特に現代は都会化やデジタル化の影響で、地域のつながりが希薄になりがちですが、時間通貨は「改めて人との接点をつくりやすくする仕掛け」として期待されるのです。


3. 技術革新と時間本位制

(1)ブロックチェーンで解決できること

 では、なぜ今になって時間本位制が再注目されているのでしょうか。その大きな理由の一つは、ブロックチェーン技術の発展です。
 ブロックチェーンとは、取引データを分散型の台帳に記録し、改ざんが極めて困難な仕組みを指します。ビットコインやイーサリアムなどの暗号資産が代表例ですが、この技術は通貨以外にも契約や情報管理など、さまざまな用途に応用できます。
 時間通貨とブロックチェーンを組み合わせるメリットは、大きく分けて以下のような点が挙げられます。

  1. 改ざんされにくい台帳

    • 誰が何時間働いたか、どんなサービスを提供したかといった履歴をブロックチェーン上に記録すれば、不正や二重計上のリスクを抑えられる。

  2. 中央管理者が不要

    • これまでのタイムバンクは地域NPOや行政が運営主体となり、スタッフが記録やマッチングを手作業で行うことも多かった。しかしブロックチェーンを使えば、ネットワーク全体でデータを検証し、運営コストを下げることが期待できる。

  3. スマートコントラクトで自動化

    • 仕事を依頼した人と受けた人の合意が取れれば、ブロックチェーン上で自動的に「時間通貨」が支払われるようにプログラムできる。評価システムや仲介者の承認なども自動化しやすい。

  4. グローバルな交換性

    • 暗号資産の仕組みを応用すれば、時間通貨を世界規模でやりとりすることも(理論上は)可能になる。たとえばA国の人がB国の人の「1時間」を購入する、といった取引もスマートコントラクトで管理できるかもしれない。

 もちろん、それを本当に実用化するには技術面や法規制の問題など多くのハードルがありますが、これまで「紙の労働チケット」では難しかったことが、デジタル技術でカバーできるようになりつつあるのは確かです。

(2)実際に動き始めているプロジェクト

 すでに世の中には、時間本位制やそれに近い発想を取り入れたブロックチェーンプロジェクトがいくつか存在します。たとえば「Chrono.tech」というオーストラリア発の取り組みでは、労働時間をトークン化して取引できるプラットフォームを構築しようとしています。
 ほかにも「Time New Bank」というプロジェクトでは、人の「将来の時間」を売買するアイデアを打ち出しました。専門家の講演や相談枠をトークン化して、先払いするようなイメージです。実際には運営資金や参加者数などの面でハードルがあり、道半ばのものが多いですが、試行錯誤が続いているのは事実です。
 日本でも、スキルシェアサービス「タイムチケット」をブロックチェーン化して世界展開を目指す動きが報じられたことがあります。これまで「1時間○○円」で個人のスキルを売買していたシステムを、トークンを使ってもっと大規模に展開できないか、という狙いです。まだ爆発的な普及には至っていませんが、今後の展開次第では新しいかたちの時間通貨が生まれるかもしれません。

(3)スキルの差やサービス品質への対処

 とはいえ、技術的に可能になったからといって、すべての問題が解決するわけではありません。時間本位制でよく指摘されるのは、「同じ1時間なのに、作り出される価値が人によって異なる」という問題です。
 たとえば、同じ1時間でも、有名なプロのデザイナーが描くイラストと、初心者のイラストが同じ価値として扱われるのかどうか。もし同価値だとしたら、プロが時間通貨を稼ごうとしなくなる可能性があります。逆に、レートをスキルごとに変えれば「平等」という大前提が揺らぎます。
 ブロックチェーン上でスマートコントラクトを組んでも、この問題は避けて通れません。結局は、コミュニティやプラットフォーム内で「評価システム」をしっかり設けたり、高度スキルの人にはボーナスレートを設けるなどのルール作りが必要でしょう。また、実際にサービスを受けてみて不満があれば、利用者が評価を下げる仕組みも欠かせません。

(4)「デジタルプラットフォーム×時間本位制」がもたらすインパクト

 それでも、デジタルプラットフォームと組み合わせることで、時間本位制がもたらすインパクトは大きい可能性があります。
 たとえば、現代はSNSやマッチングアプリなどで、個人同士が直接つながる機会が増えました。これらと時間通貨を組み合わせれば、より多様なスキルやサービスが交換されるようになるかもしれません。旅行ガイドや語学レッスン、オンライン相談、メンタルケア、学習支援など、オンライン上で提供できるサービスはたくさんあります。
 さらにメタバースが普及すれば、3D空間で出会ったアバター同士が「時間」を交換するシーンも想像できます。場所や国境を超えて、文字どおり「世界中の人と時間をやりとりできる」未来が訪れるかもしれない——まさにSF的な構想ですが、技術基盤としては着実に整いつつあると言えるでしょう。


第1章のまとめ

 本章では、時間本位制の歴史的背景や魅力についてざっと整理してきました。19世紀にはすでに「労働時間を直接お金として扱う」実験があり、それが20世紀には地域通貨やタイムバンクとして世界各地に広がりました。お金だけでは満たせない助け合いを実現し、コミュニティの活性化に役立つ一方、大規模に運用するには管理コストやスキル格差の問題、法規制などの課題を伴うことも分かります。
 しかし21世紀の技術革新、特にブロックチェーンやスマートコントラクトの登場によって、そうした課題の一部を解決し得る見込みが出てきました。ネットワーク上で「時間通貨」を透明性高くやりとりし、評価システムや自動契約を利用することで、管理の手間を減らす道が開かれたからです。
 もちろん、実際に社会で広く使われるまでのハードルは依然として高いです。「同じ時間でも価値の違いはどうする?」「税金や最低賃金制とどう折り合いをつける?」「ボランティア精神とビジネスの境界は?」など、クリアすべきポイントは山積みと言えます。
 次章では、こうした「課題やリアルな運用面」にさらに踏み込み、「時間が通貨になる社会」がどのような現実をもたらすのかを考察していきます。メリットだけでなく、そこに潜むジレンマや具体的な障害を見ていくことで、時間本位制の“今後の姿”がよりはっきり浮かび上がるでしょう。どうぞ引き続きお付き合いください。

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