専業主婦とフェミニズム
最近私はフェミニズムについて関心を持っている。
まだ学び始めたばかりで、不勉強は部分がかなりある。
なので、どなたかを不快にさせてしまったらごめんなさい。。。
そんな中途半端フェミニストの私が感じているのは、自ら選んで専業主婦になった私にこそフェミニズム的観点が必要だということ。
私はずっと勘違いしていた。
フェミニズムは働く女性、又は働きたいのに働かせてもらえない女性のための運動だと思っていた。
女性が社会的・経済的に自立する圧力を取り除くための活動であり、自ら選択してキャリアから離脱した私には縁遠いものだと捉えてしまっていたのだ。
しかし、フェミニズムを少しかじったことで、
「私が仕事を辞めたのは、社会に女性の働きづらさが残っていたからではないか?」と疑問を持つようになった。
そして何よりも驚いたのが、「私自身が性差別的な考え方をいつの間にか持ってしまっている」ということに気が付いたことであった。
フェミニズムに興味を持ったきっかけ
そもそも私がフェミニズムに関心を持つようになったのは、中野信子さんとジェーン・スー氏さんの対談形式で書かれた「女に生まれてモヤってる!」を読んだことがきっかけだった。
この本では女性の生きづらさや、何だかモヤってする事象は単に個人の能力の責任だけではなく、社会構造の欠陥(=バグ)にあるとしている。
そのバグの正体がお二人の経験を交えて考察おり、社会を捉えるための一つの見方を教えてもらった。
それと同時に女性の「こうあらねば!」という呪縛の根深さに気が付くことができた。
働く若い女子への搾取
前述の著書の中に職場は「若くて元気のいい女の子を搾取している」という主張があった。
(※Audibleで聴いているんで正確に引用できていません。。。)
私ももしかしたら搾取されていたのかもしれない。
新卒採用時には若いというだけでチヤホヤされた。
これは、若い女子は扱いやすく、一生懸命働いてくれるということを会社は分かっていたからだろう。
私は純粋に期待に応えたくて、若さという武器を手に必死に働いた。
そして、アラサーになるころには燃え尽き症候群になり、「若さの賞味期限が過ぎた自分に居場所なんてもうないのでは・・・」と自身を追い詰めた。
だから私はキャリアに見切りをつけて、自らの選択で専業主婦になった。
今まで、この選択は私の能力が低いせいだと思っていた。
しかし、他にも同じような思いをしている女性がいる。
そうなれば、これは個人の問題だけでなく、社会のバグが絡んでいるのかもしれないのだ。
その問題に気が付き始めると、会社という組織に依存することの危うさを改めて感じた。
もちろん多くの企業が努力して女性の推進に力を入れているのは理解している。
しかし女性が生き延びていくには圧倒的に不利な作りに、どうしてもなっているのだ。
私の中の女性蔑視
フェミニズムを学ぶことで私の中の女性蔑視にも気が付くことができた。
私には2歳の娘がいる。
実は妊娠初期に「男の子だったらいいな」と薄っすら考えてしまっていたのだ。
理由は子どもには「夫のような人になってほしい」と考えていたから。
私は夫をとても尊敬している。
思慮深く、想像力があり人格者なのだ。
それに加えて多大な努力をし、多くの人を助ける仕事をしている。
そんな人に我が子にもなってほしいと思っていた。
しかし女の子であれば「妊娠出産を機にキャリアを私のように手放してしまうのでは・・・」という思いが浮かんだ。
その考えは娘を出産後いつの間にか消え去ったけれど、フェミニズムに触れたことで、私の中にある女性がキャリアと私生活を充実させることは難しいという呪縛を認識することができた。
このままうっかりと過ごしていたら、知らないうちに娘にも同じ呪縛をかけていたかもしれない。
娘の翼を大切にしたい
上記はパキスタンで女児教育の重要性を訴え、ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんのお父さんの言葉だ。
2019年の東京大学入学式での上野千鶴子さんの祝辞に引用されて話題になった。
私はマララさんのお父さんのように、娘の翼を大切にしたい。
自分の身勝手な理想なんて押し付けずに。
女性蔑視に限らず、今の社会には沢山の呪縛がある。
心がザワザワしたときは、自分に問いかけてみたい。
「自分がその考えを持っているのはなぜか?」
「本当に合理的な考えなのか?」
そうやって内省を続けることで、娘の翼を守ることができるのかもしれない。