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言葉をプレゼントし、言葉を受け取る

 11月14日、青春基地の活動として、千葉県立松戸向陽高等学校に行ってきた。7日にも松戸向陽高等学校に行ったが、7日は「ありものと感覚でわたしを表す」コラージュの作成を行い、14日はコラージュの鑑賞を行った。
(↓ 7日の出来事もnoteに書いています!!)


 鑑賞のやり方は、今回新しい方法にしてみた。青春基地が行っているスタンダードな鑑賞のやり方は、グループでコラージュの作品を見せ合って、作品のタイトルをプレゼントしあったり、感想をプレゼントするという方法だ。今回は、作成の時点で「これどう?」「これ見て!」のような自分を見てほしい、気にかけてほしいと思っているかのような発言が私の担当するクラスを含め、様々なクラスで聞こえてきた。そのため、より多くの人から言葉を受け取ることで、見てもらえている安心感だったり、「わたしってこう見られてるんだ」というような感覚を感じてもらうために、クラスを混ぜて鑑賞することにした。生徒たちに感想を書くための付箋を渡し、作品に感想を貼りきる約束で生徒たちを見送って、鑑賞タイムが始まった。

 最初は他クラスの友達の作品を見ることを目的に教室にやってくる。しかし、「付箋を貼り切る」のが約束だったため、自分が見ようと思っていた作品だけでなく、感想を書きたくなる作品に目が行くようになり、自然と数多くの作品に触れることになっていた。そして、多くの付箋で言葉を受け取ることができ、自分と同じ、または異なる価値観にも触れることができる場になった。付箋に書かれた感想を見てみると、ただ、かわいいやかっこいいという感想だけでなく、「英語の部分がいい」「vintageって感じがする」「文字で人隠すのいいね」など、どの部分でどう感じたのかがわかる感想もたくさん出てきていて、すごく面白かった。
授業中に書いてもらったジャーナル(生徒が自分のために書く振り返り)を読んでいて気になったものがある。それは「付箋をもらってどう感じた?」という問いに対しての言葉だ。「自分の好きを共感してもらえてうれしかった。」「意外とみんなわかってない。」この2つの言葉は特に印象に残っている。もちろん、自分の好きなものに共感してもらえたらうれしいし、満たされた感覚になると思う。一方で、わかってもらえなかったり、自分のことが上手く伝わらなくてもどかしさを感じることもある。「必ずしもわかってもらえるわけではない」という感覚は、生徒たちがこれから生きていく中で感じるかもしれない感覚だと思う。コラージュで感じた感覚が、これからの生活でも活きてくるのではないかと感じた瞬間だった。

 鑑賞ワークで他者から言葉を受け取ることで、とてもうれしそうな表情を浮かべる生徒の顔がとても印象的だった。他者の言葉を受けとって、自分と同じまたは異なる価値観を知る。そしてそれらが自分に還ってきて「わたしってこう見られてるんだ」「わたしってこんなこんな感じなんだ」と自分を知る。すごく素敵な場をつくることができた。もし、また別の高校でコラージュの授業を行うときには、自分(個)がおのずとでてしまうような想定外の面白い場を作れるようにしていきたい。

青春基地学生インターン


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