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話し言葉と書き言葉と

京都に住んでいます。
旅の記憶を残しておこうとnoteを書き始めました。

文字を書くのも眺めるのも読むのも好きだったので、感動した事や思った事、心に移りゆくよしなしごとをメモ代わりにつらつらと書き残そうと思ったのです。

いざ書き始めてみると、様々なことに気が付きました。
メモなので箇条書きで良いのだけれど、せっかくなら立ち寄って見てくださる人に読みやすいように書こうと思い始めました。
そうすると、細かなことが気になり始めます。語尾をどうするかとか、どんなテンションで書こうかとか、記事風にすべきかエッセイにすべきかとか。

まあ、よくよく考えると、メモ書きだから読む人のことは考えなくてもいいんだけど、生来サービス精神旺盛なので、なんとなくこだわってしまう。
そして、毎日書くのが楽しくなってしまう。
そんな感じで1ヶ月。

実は、他のところで京都の案内記事を書いています。


だから、noteでは自分にとっての旅である京都以外のところへ行った記録を書こうと思っていました。だけど、毎日書いていたら自分の行動範囲の話が増えてきて、結局、地元京都での普段の話も書いてます。

生まれてからずっと京都に住んでいますので、話し言葉は京都の言葉です。
一方、文字を書くときに使用するのは書き言葉。文体は色々あれ、こちらは書くための言葉。

前述の京都案内の記事は、このハイブリッドの話し言葉風書き言葉で書いています。
話す言葉をそのままダイレクトに文字に落とすのは、けっこう大変な作業です。書き言葉と話し言葉を明確に分けて頭の中で分類しているからなのではないかと思います。直接落とすと混乱して変な文章ができあがるのです。
だから、いつも、一旦書き言葉で書いたあと話し言葉に翻訳しています。
話し言葉は『音』なのでリズムや間が伝わりやすいですが、文字にするとそのあたりが伝わりにくいのでそれをどう伝えるかはけっこう神経を使います。そして、目で見る言葉に翻訳する時に一番気を使うのは目で見て疲れないか、クドくならないかという事です。さらに、仕方ないけど、漢字変換がたいへん。作業中に鉛筆で書くほうが楽だと思うことが多々あります。

そうやって出来上がるのが、私が提供している話し言葉風の京都案内記事。
読み物としてのジャンルは旅記事なので、情報が主役なため文章は添え物的な位置づけですが。

なぜ、ここでそんな事を書いているのかというと、時々ここnoteでも話し言葉風の読み物を書いてみようかなと思い立ったからです。

いや、別にメモやし、宣言せんでもええんやけど、書いといたらちゃんと実現しそうやし。

今朝は、そんなひとりごとでした。

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