『文字を書く』と『文章を書く』。後者はけっこう難しいというお話し
旅の記事を書くと言いつつ、今日はそうでないお話。
子供の頃から文字を見るのが好きだった。
有り難いことに、日本という国はどこにでも文字が書かれていて、興味を引くものがたくさんあった。
小学生の頃は学級文庫を読み尽くし、図書室にも通い詰めた。
本の中には無限の世界が広がっていた。
義務教育の制度がしっかりあって、識字率の高い日本では、だいたいみんなが字が書けて読める。
だから、文章を書くこともだいたいできると思われている。
だけれども、文章は、単なる文字の羅列ではなく、文字を積み上げて作り上げられた世界を読み手に伝えるという使命を持つと私は考える。
そういった観点から見ると、文章を書くという事は、なかなか難しい。
むろん、読み手であるこちら側の理解力の問題もあるのだろうが、長々と連ねられた文字の行列の中には、文字の意味はわかるけれど、すぐには内容が理解できないものも多々あるように思う。
どうして、そうなっちゃうんだろうか?
そして、文字を使って思いを『伝える』ためにどうすればいいんだろうか?
ハウツー本によると、必ずでてくるのは『一文を短く』『主語と述語を合わせる』『文体を揃える』などという課題が出てくる。
それは、そうだね。
確かにそうだ。
だけど、それだけなんだろうか。
そんな疑問が湧き上がる。
レポートや報告書ならそれでいいのだろう。成果報告や現地調査の結果はそれで伝わるから最低限の伝達は出来る。
●を頭に付けて、大事な単語を並べて、その他の事は極力単純にすればいい。
そして、ややセンセーショナルな見出しを付ければ、なんとなくわかった気になっていただける。
情報の伝達という意味においては、それでいいのかもしれない。
うん、たぶん、それでいいと思う。
だけど。。。。
それで、本当に伝わっていると言えるのか?
そうではなくて。。。。。
頭の中にある映像を、文字という伝達ツールを使って読む人の頭の中に蘇らせるにはどうすればいいのだろうか。
私はそんな風に文字を使いたい。
寒さが緩んできた3月の朝、窓に打つ雨の音を聞きなから、そんな事を考える。
答えは、まだ、見つからない。