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故郷について思う、の話

故郷について、みなさんのイメージはどんな感じなんやろか。

私が持つ、私の故郷のイメージは、盆地で、夏は暑うて、冬は寒い。
子供の頃、笠を被ったお坊さんが『ほぉ~っ』って言いながら歩いたはるのを怖がったり、夕方にお豆腐屋さんが来はったらそろそろ家に帰らなお母さんに怒られたり、お盆の頃はお坊さんがバイクで走ったはるのをあたり前に思てたり。
どこに行ってもお寺があって、学校行事は数珠持参が当たり前で、小さい頃から仏さんに手を合わせるんは普通やったり。
いつも季節とともに生きていて、時々みんながおんなじもんを食べる日があったり。
今よりずっとゆったりと、ゆっくりと時間も空間もあったような気がします。

最近は、町が混みだしたんに合わせて人の心もせわしのうなって、得か損かの話を正々堂々としはる人が増えたような気がします。

「お客さんには丁寧に接しなあかんえ」って、母から言われ続けて育ってきましたけど、それはこっそりやるもんであってわざわざ『おもてなししてます』って言うようなもんやあらへんかったのに、それがお商売の『ウリ』として堂々と語られたり、『支払いの対価』やと思われたり。
こっちがこっそり気ぃ使うのを暗にわかってるお客さんが気ぃつこてくれはって成り立ってた優しい空気も、なんか変わってきてしもたような感じがして、気疲れしてる人が増えてるような気がします。

そやけど、それはそれでお商売をされてる人らは仕方ないんやろな。
みんな、京都の中だけで暮らしていけるわけやないし、よそさんにも合わすとこは合わさんと。

昔から観光地やさかいに人がぎょうさん来はるのには慣れてると思てたけど、最近は、もう、びっくりするくらいの人が来たはります。
バスに乗れへんとか、地下鉄まで人があふれるようになってきたとか、電車もぎゅうぎゅうで乗れへんとか、タクシーも捕まらへんとか、自転車も増えて、自動車も増えて、歩く人ももちろん増えて。
地元の人は邪魔せんように歩いたらよろしいんやろうけど、あんまり長い距離やと疲れますやろ。おじいちゃん、おばあちゃんの多い場所でもありますさかい。

ほんで、あんまり混んでるとこ行くと、京都の人だけやなくてよそさんも同じように人の心は荒れるんやろうね。あちこちで、イライラしたりうんざりしたり、そういう気分がじわじわと消えへんシミみたいに伝染してるように思います。
優しかった故郷の空気が、ガツガツとイライラとした気分にどんどん覆い尽くされて壊されていくのを、成すすべもなく見てます。
誰かとぶつかりそうになった時、人より先に行こうとせんと、「お先にどうぞ」って普通に言えてた頃が、ちょっと懐かしく思えます。

そやから、故郷のことはなるべく人に話さんようにこっそりと楽しむようにしたほうがええんやないかと思う時もあります。
そやけど、やっぱりきれいな時はきれいやし、きれいなもん見たら話したいし。なにより、昔の京都を心から愛してくれたはる人がぎょうさんいはるのはうれしいし、誇らしいし。
口をつぐんでるんがもったいないって思わされるような事や物が、私の故郷にはぎょうさんあります。

どこまで話したらええんか、どこまで内緒にしとかなあかんか。これは書く人のジレンマなんやなと悩みつつ、書いてます。

イケズやとか、裏表がはげしいとか言われて、果ては『京都は好きだけど京都人は必要ない』って言葉が当然のように語られるようなご時世やし、人が増えすぎて人間の住む場所やなくなってきてますけど、それでもやっぱりここから離れんと住み続けてるんは、ここが故郷やからなんやろうね。


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