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『泥人魚』6/1観劇

劇団唐組さんの『泥人魚』観劇。
やすくんの影響で、大阪から弾丸夜行旅〜1泊3日。
テント芝居自体が初体験だったので、色々と驚きの多い観劇体験やった。
弾丸でいったかいがあり、よかった。

◎テント芝居について

”テント内での不思議な出来事が現実世界の一角で起こっている”という何とも言えない感覚を植え付けてくる舞台。
町中の一角と繋がっているようなテント小屋、今まで見た演劇とは違い、きれいなロビーや劇場、きっちりとスーツを着たスタッフはいなくて、靴を脱いで地べたに座り
芝居中に救急車の音や車の音、外の騒音が聞こえてくる感じ、途中や最後でテントの一部が開いて外の世界とつながる感覚、現実世界の一部のようで
現実ではありえない世界に来たみたいな、、この感覚は他の劇場では味わえないな。

今回テントでの観劇で、おもしろかったことは入場方法。
あれは毎回変わるんかな?
事前にスタッフから手書きで書かれた整理番号を配られて、入場時間になると役者の方が大声で××番~××番の方~!!というと、客同士で「何番ですか?」「あ、私25で、、」とか言いながら整列するみたいな感じで。
なんか小学生のときにマラソン大会の順位順に番号札を配られて整列させられてたときのような懐かしい気持ちになって、おもしろかった。

座席は入った人から自由に座っていくスタイルで、基本地べた。
今度から座布団持っていこうと心に誓った。お尻が痛くて痛くて。最近硬いところに長時間座ることってないからお尻がヤワになってることを実感した。やわじり。
ただ、地べたの割には見やすくて、人間ってある程度の身長を超えると座高は大体同じなんやろな。たまにむきむきでごつい人はいたけど、まぁ自由席やからずれてみれるし、全然見えないという心配はないかも。
役者さんが登場されると掛け声がかかったり拍手が起きたり、と面白かった。 

次回への教訓
・絶対座布団いる。
・友達へのお土産で紙袋持ってたんやけど、紙袋はあかん。足モゾモゾしたらその度に音が鳴っちゃう。
・裸足が良い、靴下は三角座りすると足が滑る。

◎泥人魚について

※一度の観劇による私の理解と感想です。

観劇後に脚本も読んで、まずギロチン堤防というのが、比喩ではなくて実際に長崎の諫早にあったことが驚きだった。
書籍のあとがきで唐十郎さんも実際に現地を訪れられていたことから、扱っている題材や情景は現実に近いということを理解した。

しかも、静雄さんも実在した詩人の方やった!
長崎出身で大阪で教員されてた方らしい。大阪というだけで勝手に親近感がわいちゃう。
レインボーう◯ちも通常う◯ちもしてたけど、ええんかな?笑

現実の問題を題材にしながらも、"人魚"や"うろこ"といった不思議な要素が混じることで、現実の厳しさと儚さが描かれていながらも、浮世離れした美しさもある世界になっている感覚がやみつきになるのかも。

泥人魚の舞台は東京小さなブリキ店。だが、キーとなるのは主人公蛍一がかつて所属し逃げだしてきた「しゃっぱ漁協」。
ギロチン堤防ができたことで、海からの恵みが得られなくなり廃れてしまった漁協。かつて漁協で働いていた人たちは、海が廃れた原因のギロチン堤防を建設した相手から、陸での仕事をもらう生活を送っている。
海での仕事が苦しくなり、しゃっぱ漁協のリーダーである漁師のガンさんが陸に上がり片寄から仕事をもらう決断を下したとき、蛍一は逃げ出し上京した。

ガンさんの捕られた眼球に映る背中、

切ない。切なすぎる。
現実で起こっている問題を題材にしているから重たいねん。
全然ハッピーエンドになってないどころか、だいぶ苦しい状況から泥人魚の芝居はスタートしてる。なんかさ、諫早での問題をとりあげよう、ってなったらその問題に立ち向かう過程を演劇にしよう!ってなりそうじゃない?
それを問題は解決せぬまま漁協の人たちの生活は変わってしまったところから始まってて、しかも主人公は生活が変わる、ってときに逃げだした青年て、、芝居で切り抜く部分切なすぎる!!!びっくりするわ!!

そして、そのしゃっぱ漁協でかつてガンさんに拾われ、蛍一が”ヤスミ”と名付けた女性。ヤスミがこの厳しく重たい世界に美しさと浮世離れ感を与えている。人なのか魚なのかわからない存在。
でも実はヤスミは”ツバキ”という名前の女性であり、かつてギロチン堤防を闇建設していた幽霊船から落ちたところを、ガンさんに拾われたことがわかる。しゃっぱ漁協のヤスミは、海を奪った相手の一員ツバキでもあったのだ。

えぇ、しんどすぎる。
ヤスミとして生きてきた日々は、桜貝を集めた日々で、うろこがはがれると、その日々がはがれツバキになる。
嘘がはがれていく様をうろこがはがれるって表現するのが美しくて、
人魚から人になるのが儚くて、この綺麗じゃない逃げられない狭い世界と現実離れした美しさが共存する感覚が好きだな。魚にとって毒となる水と人魚。
昔砂場で見つけたキラキラしたガラスの破片みたいに、宝石の中に混じると決してきれいでも不思議でもなくて、その世界しか知らない子供のころに砂場で見つけたからこそきれいであつめていた宝物みたいな、そういう感覚。                                                                                                                                                                                                                                                       

そして、ガンさんと二郎が交わした約束。ツバキをかけるという約束。
物語序盤でガンさんの代わりにツバキを俺の顔にかけろ!!と二郎に詰め寄る蛍一。ツバキとツバキ、これも言葉かけられてるよね。たぶん。
ツバキは裏切りの象徴みたいな感じで使われているのかな。

最後、蛍一がブリキでうろこをつくったのは、すべてがはがれたヤスミに対して、それなら俺がヤスミとしてこの世界を泳げるようにと送った愛なのかな。
劇中で蛍一が「アップアップとおぼれちまう」ってセリフがある。
蛍一は全然強くない。弱い。大人にもなり切れない。だからしゃっぱ漁協の現実から逃げたが、何物にもなれていない。世界で生きるための「うろこ」がない。そんな蛍一が最後自分でブリキのうろこを作りヤスミへ送るのは、もう超愛やん。蛍一はブリキの人魚であるヤスミと生きると決意してるやん。それが世間から見て幸せなのかは置いといて、愛やんかー。

わたしさ、映画の「天気の子」の結末が大好きで、自分たちが決めた幸せには世界は敵わない、っていう構図をみるとBIG LOVEでたまらんくなる。退廃的な感覚と前向きな感覚がごちゃまぜになる感じがすごい好き。なので、今回の結末もそんな感覚が強くて大好き。
蛍一の役者さんが熱くてまっすぐで少し愚かな感じがすごくにじんでてよかった。

しらない二郎もすごくキーパーソンよね。善の人なのか、悪の人なのか、
わからんのよ。難しい。星が落ちるのを見ていたい。本当はガンさんたちが落ちていく様を観測するただの観測者になるはずが、入れ込みすぎてしまったんやろうか。はしゃいでる姿とかはうそをついているようには見えなくて、どこか苦しんでいる様子もある。蛍一に必死にホウべだ!と言っているし、つかめない!そして憎めない!一回じゃわからん!!

静雄さんなんてもうよくわからんけど、静雄さんが世界観をぐっと深めているんよな。あほらしさというか。厳しい世界と暗くなりすぎない空気。まさかおむつのうんこ、茶色Verと虹色Verをみることになるとは、おもしろすぎる。蛍一とおでこなめ合うときなんか腹の底からわらったわ。天草四郎のコスプレも面白かったし、でもきっと大切な言葉をたくさん言ってるんよね。理解しきれない。面白かったということはわかる。
「まだらぼけ」っていう強烈ワードだけは頭にこびりついたし、使いたい。それだけでも収穫やな。


◎総括

もうわからんところが多くて、本も読んだけどやっぱ舞台でみないとわからないところが多い!!一回見て、咀嚼してもう一回見たい!!
TOKYOーーー!!MONEYーーーーー!!!SCHEDULEーーーー!!
現実は厳しいな。

最後に、、初めてテント芝居を見て、安田くんのテント芝居もみたいという気持ちが爆発しそう。安田くんみてるだけで幸福感で頭いっぱいになるのに、そこに唐さんの描く重たくて不思議で美しい世界が合わさって、安田君の生命力をテントでの環境で受けたら、もう、やばいな。テント世界から帰れなくなりそう。強制で帰らされるねんけど。
次の公演もみたいな~。梁山泊さんの紫テントも今年は日程あわなかったけど、次は観に行きたい。楽しみ楽しみ。できるなら、生きているうちに泥人魚もう一回見たいな。








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