小説「2100年 幸福のありか」①朝
小説「2100年 幸福のありか」
①朝
ベッドの上で薄く目を開けた。地下5メートルに造られた住宅団地。地上から引き込んだ朝の光で、寝室が満たされていく。それでも100年前の人類のように、ベッドから起き上がる必要はない。ぼんやりとした頭で、納豆とみそ汁、焼き海苔をイメージし、私の「分身」にテレパシーを送る。朝のルーティーンだ。10分後には、ダイニングの食卓に、温かな朝ご飯が載っていることだろう。なにしろ、家には私の意思で動く、忠実で優秀な「オレ」がいるからだ。
西暦2100年のこの世界で、生活必需品はマイカーでも洗濯機でもない。人間を超えたスーパーAIと人工筋肉でできた、わが分身のヒューマノイドである。自分に代わってテレパシーひとつで家事をこなし、会社に出勤して仕事もしてくれる。5年前、22歳のときに、社会人の門出にと両親が就職祝いに買ってくれた。価格は300万円ほど。令和と呼ばれた時代の「自動車」という乗り物ぐらいの値段だ。もう少し安くなればいいのに。
自動車で思い出したが、私の生活するこの社会では、タイヤを接地させて走る車は存在しない。私の分身は、これから空飛ぶバスで出勤する。渋滞はない。
オレは御手洗瞬、27歳。妻と2人の子どもがいる。仕事は分身たちに任せて、育児と趣味にいそしむ毎日だ。心身の疲れは感じたことがない。50年前まで「ストレス」という言葉があったと学校で習ったが、今や死語だ。さあ、今日はこれからジムに行こうか。
生活はすこぶる快適だが、ひとつ不満があるとすれば日の当たらない地下で暮らさねばならないことだ。春だというのに、温暖化の進行で、地上の気温は40度近い。小学校のころ、かつて日本の春の気温は15~20度ぐらいだったと習った。世界には2050年までに温室効果ガスの排出量を実質ゼロにするという「パリ協定」という取り決めがあったらしいが、結局達成できなかったという。(続く)