スズキの鈴木修さんが残したもの


 12月25日に94歳で亡くなったスズキ相談役の鈴木修さんは41年も前に、自動車メーカー未開の市場インドにいち早く進出し、スズキを世界的なメーカーに押し上げた。後発メーカーとして、大手と同じ土俵で勝負せず、あくまで軽自動車でオンリーワンになれる市場を求めた。その開拓精神こそが飛躍の原動力となったといえよう。  

ブランド力が凋落した日本にとって、新たな市場や需要を切り開く鈴木さんのパイオニア精神こそが、不可欠なピースではなかろうか。

【どの国でもいいから一番になる】

 「どの国でもいい。とにかく1番になれる国を探す」。鈴木さんの口癖だったという。インド政府が海外の自動車メーカーを誘致する際、各メーカーは課長や部長が対応したが、トップ自ら交渉に当たったのは鈴木さんだけだった。その本気度がインド政府の心をつかみ、進出の大きな足掛かりになった。  

 スズキはいまやインドの自動車市場で過半のシェアを握る。オンリーワンを志向する鈴木さんの執念と、先見の明の成果だろう。そして今、現地で軽のEVを投入し、トヨタ自動車にもインド向けにEVの軽を供給しようとしている。未開の市場に最初に旗を立て、シェアを獲得することが、時代を超えて企業の永続的な強みになることを如実に物語っている。

【日本が忘れたフロンティア精神】
 戦後間もない日本には、鈴木さんと同じようにフロンティア精神あふれる企業トップが何人もいた。ホンダ創業者の本田宗一郎さんもその一人。やはり「需要をつくりだす」が口癖だった。

携帯音楽プレーヤーであるソニーのウォークマンの例もしかり。ソニー創業者の一人、井深大さんが、旅客機で音楽が聴ける製品を作って欲しいとオーディオ事業部長に頼んだことが起点になっている。  小難しい理屈を抜きにして、「こうなりたい」「こんなものが欲しい」という明快でシンプルなトップの強い思いが、新たな市場を生み出してきた。  

翻って今の日本はどうだろう。確かにあらゆる分野が開拓され、未開の市場そのものが少なくなり、戦後と比べればオンリーワンのモノを生み出しにくい時代ではある。それでも時代が変われば新たな需要のタネができ、いまだ手つかずの鉱脈も生じているはずだ。

失敗を恐れず、そこに果敢に切り込むプレーヤーが増えれば、日本は再び輝き出すだろう。そのことを先人たちは身をもって教えてくれている。鈴木さんたちは貴重なバイブルを残してくれた。

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