【第2話】寿命の見える少年と幸薄少女、硝煙の香り。
ダースは俺にこう語った。
「ミレイお嬢様は『イ・リーガル』のトップ、J・D・スロート様の愛娘。日本人の母親との間に産まれた子供なの。赤羽というのは、母方の姓よ」
静かに、まるで赤子に聞かせるように。
「……順調にいけば、後々には『イ・リーガル』を束ねるはずだった。ところが、内部で派閥が出来てしまってね? 命を狙われたお嬢様は各国を転々として、最後にこの日本に逃げてきた」
俺は強く拳を握りしめる。
「今日のように、彼女は命を狙われ続ける。場合によっては事故にみせかけて、とかね。貴方とは住む世界が根本から違うの、ミコトちゃん」
「住む世界が、違う……?」
そして、ようやく絞り出したのはそんな声だった。
それは夜風に流れて、ダースにのみ届く。彼は小さく一つ頷いて言った。
サングラスを外して、蒼の瞳で俺のことを見つめて――。
「だから、もう関わるのはやめなさい。死にたくないなら」――と。
◆◇◆
――自室のベッドに倒れ込み、俺は仰向けになるよう寝返りを打った。
なんの実感もわかない。今日起きたことはあまりにも非日常的で、非現実的で、非常識なことだった。もっとも、常識に至っては『日本の』という言葉が付くが。
だが、そんな細かいことはどうでも良い。とにもかくにも、今まで平々凡々な学生生活を送ってきた俺にとっては、完全にキャパオーバーだった。
「…………」
ため息もでない。
薄く開いた口は塞がらないし、全身に力が入らない。
だって、思いもしなかった。普通に人生を送っていて、死にたくないなら、なんて言われるなんて。そんなのラノベとかアニメの中だけだと思ってた。
それでも、現実なんだよな、と思う。
目を閉じればまだ、あの銃撃の時のことがよみがえってきた。
赤羽ミレイはフランスマフィアの娘であり、その命を狙われている。それはどう足掻いても現実なわけで、俺にはどうしようもないことだった。
「どうしようも、ない……」
そう。そうだとも。
俺には無関係なことだったと。
今ここで、そうだと割り切ってしまえばすべてが終わりだった。
「そんなの……!」
――でも、できなかった。
「赤羽は、ミレイは――彼女だって普通の女の子のはずなんだ!」
俺はそう口にして、身を起こす。
今日見た彼女の仕草や、子供に話しかける姿、そして何よりも普通の暮らしがしたいと。そう語っていた姿には、普通の女の子であることしか感じなかった。
そこにマフィアだとか、命の危機だとか、関係ない。
俺は、ただ一人の友人として。
赤羽ミレイのことを守りたいと、そう思った。
惚れた腫れたはもう、いっそのこと度外視。いまはただ――。
「気合を入れろ、坂上命……!」
ドン、と胸を強く叩いた。
口から漏れた決意は、誰の耳にも届くことはない。
◆◇◆
「おはよう、ミレイ! 今日もいい天気だな!」
「えっ……? ミコト、くん?」
翌朝――俺は校門の前にいたミレイに声をかけた。そして、
「悪いけど、少しだけ時間いいか?」
人気のない校舎裏へと彼女を呼び出す。
ミレイは驚きに目を見開きながら、しかし拒否することはなかった。
「……で、話なんだけど」
「はい……」
俺がそう切り出すと、彼女は身を固くする。
キュッと拳を胸の前で握りしめ、今にも泣き出しそうな顔でうつむいた。俺はそんなミレイに向かって、迷いのない結論をぶつける。
「俺が、ミレイのことを守る。何があっても」――と。
それは、彼女にとっては想定外のことだったらしい。
「えっ……!?」
またも目を見開くと、頬に一筋の涙が伝った。
呆然とした表情。そんなミレイは、どうにか言葉を絞り出した。
「そんな、私にかかわったら――」
――命が危ないのに、と。
そう現実を口にしかけて彼女は、唇を噛んだ。
色んな感情がない交ぜになっている。そのように思われた。
だから、そんな不安を打ち消すように俺は笑みを浮かべてこう伝える。
「俺はミレイの初めての友達だ。大好きな友達が困っていたら、手を差し伸べる。それは当たり前のことで、どんな状況になっても変わりはしない!」
そして、おもむろに手を差し出した。
これは意思表示。俺はもう、決意表明をした。
あと、それを受けるか決めるのはミレイの方だった。
「ミコト、くん……!」
震えた声で、彼女は――。
「ありがとう……!!」
言って、こちらの手を取った。
瞬間に俺は、彼女を強く抱きしめる。
胸の中で泣きじゃくるミレイ。そんな彼女を守るように。
どんな未来が待っていようとも、この決意だけは変わらない。
運命とやら、どこからでもかかってきやがれ……っ!
ミレイを守ると宣言した夜のこと。
俺は自分の部屋で計画を練っていた。なにかと問われれば、いかにすれば彼女が普通の女の子として暮らせるか、というもの。
マンションに送り届けた後は、ダースと初日の黒服男性がいる。そのため俺が基本的に注意するのは、彼女の寿命が急に短くならないか、ということ。
そして、もう一つは彼女を笑顔にすることだった。
「…………んー」
とは、思ったものの。
「お、思いつかねぇ……!」
女の子と遊ぶ機会なんてまるでなかった俺だ。
そんなわけで、妙案がちっとも思い浮かばなかった。先日のデートはほとんど雑談してただけだし、スイーツは食べたけど、それ以外にミレイが喜びそうなものが思い浮かばない。いいや、そもそも普通で良いのか? 話はそこからのようにも思えて……。
「あがぁ――っ!? 駄目だぁ!!」
俺は椅子からベッドへとダイブ。
そして、己の甲斐性のなさに小さく涙するのだった。
するとその時――。
「お兄ちゃん、なに騒いでるの? うるさいんだけど……」
光明が差した。
「あ……」
そうだった。
年頃の女の子が、我が家にはもう一人いるではないか。
坂上海晴――俺の一つ下の高校一年生。こいつ、それなりに流行を気にしているらしく、そういった情報については俺よりも詳しい。
だとすれば、ここはもう兄の威厳だとかそんなのどうでもいい。
大好きな女の子を笑顔にするためだ。
俺はいかなる犠牲をもいとわない――!
「海晴サマ! お願いがあるであります!!」
「え、なに急に――キモいんですけど」
「ぐふっ……!?」
おのれ、海晴の奴め――的確に傷付くことを遠慮なく言ってきやがる!
だが、今日の俺はその程度では屈しないのだ。
深々と頭を下げ、
「頼む、俺と一緒に――」
その願いを口にした。
◆◇◆
その週末のこと。俺は、近所の駅前を歩いていた。
隣にはミレイ――ではなく、海晴である。何故かというと、俺が妹に願い出たからだった。『頼むから、女の子の喜ぶことを教えてほしい』、と。
まぁ、その代償は大きかったわけだが……。
「話題のクレープデラックス、奢りだからね? 分かってるよね」
「分かってるよ! ……くそ、小遣い日までもつか?」
そんなわけで。
俺は財布の中身と威厳を代償に、知識を得たのだった。
いまはその帰り。海晴のいうところの『クレープデラックス』なるものを買いに向かっていた。そうしていると、唐突に妹はこう口にする。
「それにしても、お兄ちゃんが三次元の女の子に興味を持つなんてね?」
「なんだよ、人をキモヲタみたいに……」
「いや、オタクでしょ」
反論すると、そんな言葉が返ってきた。
一刀両断。
「で? なんだよ。なにが言いたいんだ?」
「いやー? お金の使い道なんて、ラノベかマンガ、アニメのDVDしかなかった兄が成長したんだな、と。妹の私としては嬉しい限りなのよ」
「……ずいぶんな言いようだな、おい」
「でも、事実でしょ?」
「…………」
海晴はててて、と先を歩くとこちらを振り返った。
そして、こう言う。
「いまのお兄ちゃんは、たぶんカッコいいよ!」――と。
満面の笑みで、本当に嬉しそうに。
しかし俺はそれに対して、不満をぶつけるのだった。
「『たぶん』は余計だろ……?」
「これからに期待、という意味ですよ~、っだ!」
すると、ころころと笑うのだ。
その反応に、俺は呆れて肩を落とそうとした。その時だった。
「ん、アレって……?」
どこか、見覚えのある人物を見かけたのは。
それは最初にミレイを助けた日に、彼女を迎えにきた黒服の男性だった。
服装は少しラフなそれだったが、サングラスをかけた顔立ちはそのままだから分かる。そして、そんな彼の隣を歩くのは……。
「――――っ!?」
ミレイだった。
それだけなら良い。休日なのだから、と思った。
しかし見過ごせないことがある。それというのは、もちろん――。
「また、少なくなってる!」
またもや、彼女の寿命が短くなっていることだった。