日本の高齢者は怒りっぽい?!
今日の朝日新聞朝刊の「声」の欄を読んで、少し悲しい気持ちになった。
「学校から 若い世代」の特集で、「日本で暮らして感じたこと」を京都外国語大学留学生別課の学生が投稿していた。
その中に、ミャンマーからきた22歳の学生の「イメージと違った高齢者の姿」という投稿があった。日本に来るまでは、日本のお年寄りは皆優しくて穏やかだと思っていたにも関わらず、バイト先のコンビニでお年寄りから嫌な思いをさせられたという内容だった。
具体的には、友達が後ろから肩を叩いたと思って、「忙しいからちょっと待って」と言うと、肩に触れたのは通りかかった高齢者で、その高齢者は「言い方が失礼だ」と真っ赤な顔で怒り始めたと言うのだ。
また、ある日はタバコの銘柄を言われたが、よくわからなかったので番号を聞くと、机を叩きながら大きな声で「2!2!4!」と言われたそうだ。こちらも高齢者だったとのこと。
ミャンマーのお年寄りはいつも笑って若者と仲良くしているそうだ。そして、最後に「日本のお年寄りを見ていると、若者たちが歳をとることに対して重い気持ちになると思う」と締めくくっていた。
Webを調べてみると、高齢者が怒りっぽくなるのは、怒りの感情を抑制する脳の前頭葉の機能が衰えて、怒りを抑えられないという身体的な原因があるとのこと。しかし、それは日本人に特有の現象ではない。
今回の投稿にあるケースにおいて、少なくとも投稿者が知る限りでは、日本の高齢者はミャンマーの高齢者よりも怒りっぽいということになる。
なぜ日本の高齢者は「怒りっぽくなる」のだろう。
それは「日本の高齢者が不幸だと思っている」からではないだろうか
「不幸だ」という気持ちが頭の中でうっせきして、知らず知らずのうち、あるいは先ほどの前頭葉の抑制が働かずに、言葉や態度に出てしまうのではないだろうか。
(ミャンマーや他国の高齢者の事情はわからないが、)若い頃にがむしゃらに働いてきた日本の高齢者にとって、社会的環境や自分の体調などから思うように働けなくなり、少ない年金とわずかな貯蓄で死ぬまでの生計を立てないといけないことへの不安は社会への憤りとなることは確かだ。
私もそんな不安や憤りを感じることがある。
しかし、不幸だと思ったところで何かが解決するわけではない。素直に今を受け入れ、その中で精一杯生きる。過去を悔やんでも仕方ないし、先のことを不安に思ってもどうなるものでもない。今できることをやるしかないじゃないか。
そんな老い方が、結局は幸福な老いであり、それほど長くはない残りの人生を充実させることになるはずだ。
少なくとも、若者に「こんな年寄りにはなりたくない」と思われるような歳の取り方だけは避けなければならない。
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