ナビとフーカ
前回の記事でも書いたが、ナビは孫のフーカが大好きである。そして、フーカもナビが大好きだと思っていた。ろくに喋ることもできないころから我が家の車に乗ると、犬のむいぐるみを見て「ワンワン」と言ったし、家の中では、「ワンワン」と言ってナビを撫でに行っていた。
ところが、先日我が家に来た時の様子が今までと少し違った。いつものようにナビがフーカを舐めようとすると、「何するのよ、この犬!人の顔舐めないでよ!」と言わんばかりに驚いて避けたのである。現在2歳8ヶ月になるフーカは明確に犬と自分の間の優劣に目覚めたように感じた。
そうかと思えば、犬の散歩仲間で近所に住む二十歳過ぎのお姉さんは、わざわざナビに舐めてと言わんばかりにしゃがんで頬を出す。これは余裕の愛情表現なのだろうか。
ちなみに、ナビは今でこそ、フーカぐらいしか積極的に舐めないが、以前は「舐め犬」だった。私が会社から帰ると「どこに行っていたのよ、このこの!」と言わんばかりに私に馬乗り(犬乗り?)になって舐めていた。私は苦しいながらも妙な喜びを噛み締めていた。
ただし、この舐められ方は、先ほどの近所のお姉さんのそれとは全く異なり、襲われているかの如き絵である。
それはさておき、結局フーカはいずれは自分の立場に余裕ができて、ナビに舐めさせてあげる日が来るのだろうか。いや、そもそも舐めることを呑気に、かつ当たり前のように書いているが、人獣共通感染症というものもあり、決して誉められた行為ではないことは重々承知しているので、この記事を読んで「けしからん!」とご立腹の方がおられたら、お許し願いたい。
話は少し逸れるが、人獣共通感染症で最も恐ろしいのは狂犬病である。日本では人の狂犬病の発症は1956年を最後にないものの、過去には一定数あったはずである。
私は前職で「犬が病気になったので早退します。」ということを平気で言っていたのだが、当時の上司が「犬を家の中で飼うなんて考えられない」と私に毒づいていたことがある。彼にとっては、犬イコール汚い、病気があるという考えがあるのだろう。その考えの根底にはかつて日本でも発症が確認されていた狂犬病の存在があるのかもしれない。あるいは、犬は家を守るための道具としか思っていなかったのか。
私たち夫婦が犬と暮らし始めたのは1998年で、今から26年前である。一緒に暮らしたのはわずか2頭だが、ほぼ半生を犬と暮らしたことになる。もちろん最初から室内で寝食を共にし、すばらしく彩りある人生を送ることができた。
この子たちからもらった喜びや癒し、そして時には苦しさも含めて、私たちの人生は犬なしでは語れない。先ほどの上司の人生をけなす気は毛頭ないが、このすばらしい経験することなく闇雲に毛嫌いしていることに悲しくなり、彼に何も言い返すことができなかったことを今でも覚えている。
さて、話を戻してナビとフーカだが、別に舐めて舐められる関係になってほしいとは思わないが、フーカがナビを通して犬のみならず、広く生き物、弱きものを愛する人になってくれることを祈っている。