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横浜元町ピピのおばちゃん

私がおばちゃんを知ったのは大学生の時だった。友達が元町にあったピピに連れて行ってくれた。ピピは小さいお店、カウンターとテーブル2つ7〜8人でいっぱいになる。ピピのメニューで好きだったのがやきうどん。出来上がる直前に何かをかけてくれた。ワイン?それからふくよかなお酒の香りがするサバラン。大人の味だった。
忘れられないのがクリスマスケーキ。半年?くらい酒に漬け込んだドライフルーツやナッツ。粉は少ししか使わないと言っていたと思う。焼き上がったケーキはシナモンのとても良い香りがした。すぐに食べずにしばらく寝かせて、クリスマスまで少しづついただく。7~8ミリ薄く切って生クリームを添えて紅茶と一緒に食べる。ケーキはしっかり包んで冷蔵庫に入れておけば数ヶ月大分。大事に大事に少しづつ食べた。おばちゃんのクリスマスケーキは形は長方形だったけれどドイツのシュトーレンに似ている。まだシュトーレンなど余り知られていなかった。ドイツではクリスマスイブまで4週間かけて食べるそうだ。

私が結婚する前に鍋は良い物を買ってといわれた。その時買った鍋を今も使っている。結婚後、私は戸塚駅の近くで仕事をしていた。駅の反対側におばちゃんの店があった。不思議にご縁がある。妊娠していた私は美味しいものを食べた。息子はおばちゃんの料理でできている?おばちゃんは戸塚にいた時料理を教えていた。私も参加した。クレープを作った。バナナやクリームの入ったクレープではなく、生ハムやチーズの入った食事クレープだった。                生地はよく練ること、ここはホットケーキと違うところ。生ハムやチーズ、ボリュームがある。立派な食事だ。美味しかった。

私はしばらくアメリカに行っていたが帰ってくるとおばちゃんがまた元町でお店を出していた。娘が山手にあるインターナショナルスクールに行ったのでまたお世話になることに。元町の記事でも書いたが娘の送り迎えで寄るようになった。元町仲通りにあったと思う。友達数人でおばちゃんに料理を習うことになった。友達の家に出張してもらう。和気藹々と楽しかった。結婚前に料理など習ったことはない。タマネギの皮を剥くときは先に根を切り落として、細菌がついているから。今でも土の付いた根をまず切り取る。白菜のサラダ・厚切り食パンの中をくり抜きたまごをいれて焼くトースト今も作る。パエリヤやココナッカレー、大根のそぼろあんかけマナカツオの照り焼き、和食も習った。これを書くために調べたらその時のレシピが出てきた。おばちゃんの手書きのレシピ。思い出の中にしまっておかないで作ろうと思った。

パエリア
作り方は後ほど
大根のそぼろあんかけ

おばちゃんと知り合って20年は経っていた。おばちゃんには色々な事を習った。若い頃、ヨーロッパに料理修行に行ったと聞いたことがある。その頃料理人の世界は男性中心だったろうに。おばちゃんの生きてきた道は困難も多かったと思う。私が会う前にステラマリという店をやっていてステラおばさんと呼ばれていたらしい。

しばらくして今度はおばちゃんがオーストラリアに行く事になった。お店の片付けを手伝った。その時食器を譲ってもらった。今でも使っている物がある。使う度おばちゃんを思い出す。おばちゃんが日本に戻って来たと聞いた。今度は私がまたアメリカに行くことになった。私が日本に戻るとおばちゃんは本牧で料理教室をやっていた。一度その教室に参加させてもらった。多分、それがおばちゃんに会った最後だと思う。おばちゃんの訃報が届いた。そして最後の最後のお別れは三浦の海が見える墓地に納骨するときだった。シーボニアでヨットに乗った方々にも何十年ぶりでお会いした。おばちゃんは海の見える高台で眠っている。

私は常々人がが成長する過程で親や学校の先生以外の大人との出会いが大切だと思っている。その人が良い人でもたとえ悪い人でもだ。特に若い学生時代にステキな大人と出会えたらきっと幸せだと思う。おばちゃんは私が出会ったステキな大人だった。

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