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横浜元町は進化し続ける街だった

「横浜元町ショッピングストリート」の歴史は横浜開港から始まり今に至っていると言われています。初めは外国人向けの商いから徐々にオリジナルのものづくりへ、そして元町商店街は「横浜元町ショッピングストリート」として進化を続けています。

思い出 1

私が小学校4年生の時、伯母が横浜の元町に連れて行ってくれました。当時東京の我が家に下宿していた伯母はDoremeで洋裁を習っていました。ファションに関心があって「横浜元町」がどんな街か知っていたのでしょう。なぜ私を一緒に連れて行たかわかりませんが石川町の駅を降り元町へ向かいました。
商店街を見て歩き、私の目に飛び込んできたのが紺色の靴です。その頃子供の靴は黒・白・赤程度です。もちろんその紺色の靴は子供靴ではありませんが私の心を鷲掴みにしました。大人になったら必ずこの靴を買いに来ようと決心しました。その靴屋は「ミハマ」です。後日談は改めて書きましょう。
これは私の記憶違いかもしれませんが「三愛」の店があったと思います。そこで伯母が福袋を買ってくれました。キラキラしたベルトが入っていたことだけ覚えています。
それからホットケーキを食べました。オシャレなホットケーキ、中に薄く切ったバナナとリンゴが入っていました。その頃ホットケーキを焼くのに凝っていた私は家で何度も作りました。りんごは少し酸っぱい方が美味しかった。このホットケーキは母になってから子供たちにも作りました。
私の「横浜元町」の記憶のスタートです。

元町プラザ

思い出 2

次の「横浜元町」ストーリは大学生になってからです。横浜市にある大学に通うことになったのです。
当時「ハマトラ」がブームの頃です。「横浜トラディショナル」1970年代の横浜正統派お嬢様ファションと言われ、ファション雑誌にも取り上げられて1979年以降全国的なブームとなりました。
「元町」にある「フクゾーのポロシャツ」「ミハマのカッターシューズ」「キタムラKマークのバック」が基本です。

フクゾー
ミハマ
キタムラ

さて、横浜へ行くようになった私はもちろんミハマの靴を買いました。カッターシューズではなく紺色のローヒールバックベルト、白いリボンを縫いつけている定番の靴です。今でも販売しています。タツのおとしごのマークのついた空色のスエットシャツはお気に入りでした。
元町の中程、汐汲坂の方に曲がった所にピピと言うお店がありました。カウンターとテーブルが2つ。7〜8人入ればいっぱいの小さなお店です。おばちゃんが1人で料理をしていました。元町の店に勤めている人や近くの人が食べに来ていたような気がします。ピピに集まる若者達がいました。私をピピに連れて行った友達の知り合いです。学生もいましたが多くは社会人、元町に住んで居る方も。ピピに集まってステーキパーティや食事会がありました。そして皆さんの共通の趣味がヨット。クルーザーを持っている方がいました。ピピのおばちゃんには私と同じ年の娘がいて私も仲間に入れてもらいました。皆んなでヨットに乗りにシーボニアに行きました。風を切って走るのは爽快でした。青春の一コマです。ピピのおばちゃんのお話は改めて書きます。

思い出 3

結婚することになって、私は父に桐のタンスは要らないから、元町ダニエルのタンスを買ってとねだりました。

ダニエル

ダニエルのダイニングテーブルセットは今も使っています。

元町で買った皿も健在


結婚後しばらくして横浜に住むことになり元町に行く機会がふえました。
その頃できた霧笛楼はオシャレなレストラン、特別な時に行きました。

霧笛楼

子供が生まれた時にはシルバーオオノでお祝いのスプーンを作りました。
娘にはスタージュエリーでbaby ringを買いました。

スタージュエリー

おとなしくしていない息子はファミリアでカットをしてもらいました。
オモチャに気を取られている間にカットしてくれました。
その頃家族のお気に入りはイタリアンハウス、楽しく食事をしました。元町に入ってしばらく行って左側、2階にありました。ラザニア、エビグラタン、デザートの柚子シャーベット忘れられない味です。今はもうありません。

近沢レース

母へのプレゼントに近沢レースでハンカチを買って、キャラバンコーヒーで一休み。

ポピー
ケント シルバーオオノ
スミノ

夫も私もポピー、KENT、スミノ、キタムラといつの間にか身につける物も横浜の物になりました。
岩野陶器店で買った皿は今も食卓に。喜久屋洋菓子舗は1924年創業の老舗です。ラムボールが有名ですが私はアーモンドビスケットが好きです。

喜久屋

元町街作り

元町に行き始めた頃は各店舗が自分の店の前だけきれいにしていたので段差があって歩きにくい所もありました。いつの頃か商店街全体で整備が進みました。途中クネクネして運転しにくい時もあったけど、車も停めやすくなりました。今ではスッキリした通りになりました。
元町商店街の街づくりは元町SS会と行政(横浜市)が「元町通り街づくり協定」(1985年策定)に基づき行なってきました。街づくりを研究しているURU総合研究所の記載を見ると「元町商店街の街づくり」は第1期街づくりは昭和30年代(1955~1964)から始まり、歩行者空間を確保するためのセットバックが行われた。第2期は店が主体で車道の改装、電線の地中化もなされ、昭和60年(1985)に終わった。第3期は前期に続くもので2004年のみなとみらい線開通を視野に入れたものだった。
街づくりは周辺にも及び今も続いています。私の元町とのお付き合い期間ににぴったりと一致します。日本各地で行われてきた街づくりの1事例として取り上げられ「横浜市における民間との協働によるまちづくりの仕組み」として横浜市都市整備局長も発表しています。私は文化財の保護について学んだことがあり、街づくりにも関心があります。当時は知らなかったけれど実はずっと体験していたのです。


思い出 4

私は1990年から3年程、横浜を離れて家族でアメリカのボストンに住むことになりました。帰国時、園児だった娘がインターナショナルスクールに行くことに。再び元町とのお付き合いが再開され、娘をスクールに送る日々が始まりました。30年前のお話です。しばらく元町を離れていたピピのおばちゃんが元町仲通りにお店を出していました。近くに厳島神社があったと思います。ピピでの思い出は娘の誕生日パーティーを開いた事です。娘と同級生の可愛いお嬢さんたち。今でも目に浮かびます。もう立派な大人です。
仲通りにもお店が増えて来ました。

ポンパドール

ポンパドールでフランスパンを買い、ユニオンにもよりました。

ユニオン

その頃元町公園に子供用のプールがあり娘を連れて行きました。元町の入り口にマックがあって寄った覚えもあります。元町では2月にチャーミングセールが行われます。セールを利用して買い物をしたものです。普段高い物も買うことができました。(今は9月にも)娘がハイスクールを卒業するまで長いご縁が続きました。娘は元町で絵を習い今では美術関係の仕事をしています。みなとみらい線ができれば便利になるねと言われました。埼玉県と神奈川県がつながるとは・・・思いもしなかった。娘が利用できた期間は短く卒業後はイギリスの大学に。ところが今私はFライナーに乗って母が住む所沢まで行きます。1時間10分くらいで横浜から所沢行けます。話が脱線しました。今でも元町には時々出かけます。買い物に行くことは少なくなりましたが友達を案内したり桜やバラを見に行った時寄ることもあります。久しぶりにアメリカ山公園にはちみつを買いに行った帰りに元町を歩いて来ました。

キャラバンコーヒー 1928年横浜創業
モカとアップルパイ

もちろん、キャラバンコーヒーで一休み。モカとアップルパイ。通りを行き交う人を眺めていました。もう、知った顔に会えるわけではないけれど。

ウチキパン

元町と言えばウチキパンと夫が茶々を入れたので画像アップしました。
ウチキパンは明治21年創業の老舗パン屋さんです。私が元町に行き始めた頃はビルではなく小さなパン屋さんだったと思います。

元町のシンボル フェニックス

皆さんは横浜元町にいらしたことがありますか?
横浜中華街の近くです。ウインドショッピングを楽しんでください。
もちろんお買い物もなさってくださいね。
横浜と神戸は似ていると言われます。私は神戸に行った時ここはフランスだと思いました。観光に行ったパリの街を思い出したのです。
では横浜は?アメリカです。
そうボストンです。
そんなことないかなぁ?

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