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黄金の種、貧困と希望の交差するウクライナ農村
彼らがウクライナに足を踏み入れたのは2008年のことである。わずか一年間で、驚くべきことに六千ヘクタールもの農地を手に入れた。その広大な土地は、山手線の内側とほぼ同じ面積だ。そう聞けば、その広さの規模感が頭に浮かびやすいだろう。その土地で、彼らは小麦、大豆、ソバの実、そしてマスタードの栽培に乗り出したのだ。
潤沢な資本を持つ投資会社が、壮大な買収戦争を演じて農地を得たと思われがちだ。しかし、その真実は予想を裏切る地道な努力の積み重ねだった。派手な買収劇とは無縁に、彼らの農地獲得の手法は現実的で、長期間にわたる緻密な交渉によって実現したのだ。
ウクライナの農村部を一つ一つ訪れ、地元の重鎮、村長や神父といった人々との深いつながりを築き上げた。彼らは地元コミュニティとの関係性を大切にし、村の利益のために力を尽くした。少年サッカーチームへのプレゼント提供や教会へのバス寄贈といった具体的な行動で、その信頼を積み上げていった。
そして、そうした信頼関係を通じて、農地を所有する村人たちに農地提供の協力を依頼した。村の有力者を介して、共同体に対する奉仕を元にした地道な交渉が進んだのだ。
この地域は小さな農村が点在している。その農村の住民たちは、年金や近郊の都市への出稼ぎに依存して生計を立てている。独立後に与えられた農地は、彼らにとって扱いに困る存在である。農地は大部分が放置され、その実態は語られることのない物語を秘めている。
戦略となるのは、この放置された農地をどれだけ収集できるかだ。これは、ただの土地の集積ではなく、貴重な資源を再利用し、地域を再活性化する可能性のある挑戦である。それは、過去の産業の遺産を未来の可能性へとつなげる、価値再生のゲームと言えるかもしれない。
そしてその一方で、この地域の人々の生活スタイルを改めて考察することも重要だ。年金や出稼ぎという形で生計を立てている彼らの選択は、地域の過去と未来、そして彼ら自身の生活をどのように反映しているのか。そこには、新たな視点や解決策が隠れている可能性がある。
この地域の現状と将来、そしてその間に存在する可能性を掘り下げていく。それが、私たちが立ち向かうべき挑戦だ。
そもそも、この地域における農地の取引は一定の制約がある。具体的には、ウクライナの法律では農地の直接的な売買が禁止されている。この法律の存在は、地域の地形を形成し、人々の生活に影響を与えている。
そのため、我々が対象とする農地の取得は、いわゆる購入ではなく、「借用」である。これは、細分化された農地を所有する村人たち一人ひとりと交渉し、地代を払ってその土地を借りるという形を取る。こうした交渉の中で、人間関係の構築、信頼の獲得、そして村の絆の理解が必要となる。
そして、次のステップは、村ごとにできるだけ多くの人を説得し、その農地を借りることである。これは単に土地を集めるというだけではなく、一つの大きな絵画のように、小さなパッチワークを一つの大きなキャンバスにまとめ上げる作業だ。
このプロセスを通じて、ただ単に大規模な農地を形成するだけではない。人々との関係、コミュニティの絆、そして地域社会の理解を深め、その地の魅力と可能性を再発見する機会ともなるだろう。
我々の経験は、日本での農地交渉と共通点を持つが、その一方で大きな違いもある。日本の場合、地権者が住所不定となっていたり、さまざまな要素により交渉が難航することが多い。これに対して、ウクライナでは村人たちと直接接触し、農地を借りることが可能であり、農地の集約化という意味ではこちらの方が管理しやすいと言える。
しかし、この比較だけでは物語全体を見落としてしまう。それぞれの地域には固有の歴史、環境、そして文化がある。地域との接点を持つことは、単に農地を借りるだけでなく、これらの要素と向き合い、理解し、尊重することを意味する。
では、外国企業と農村が良好な関係を築くためには何が必要だろうか。その答えは、信頼、共感、そして双方向のコミュニケーションにあると言えるだろう。我々が地域に貢献し、地域から学ぶ。それは、企業と地域、そしてその人々との間の持続可能なパートナーシップを形成する道筋である。そして、その過程で、我々自身も変化し、成長していく。それが、真の良好な関係を築くということだ。
約十日前、私たちは印象的なエピソードを体験した。その日、私たちは荒れた道路を揺られながら、西ウクライナの小さなヴォシチャンツィ村を目指していた。ゲオルギーから、今日は借りている農地の所有者たちに対し、年に一度の地代の支払いを行うとの知らせを受け、私たちはその場に同行することに決めた。
この情報は、単に地代の支払いがあるという事実以上の意味を持っていた。それは、私たちが地元のコミュニティと深く関わり、その一部として受け入れられていることの証である。そしてそれは、外国企業として私たちがその地域で役割を果たし、人々と相互に価値を共有していることの象徴でもあった。
広大な農地を抜けると、私たちの視界に村の端にある空き地が広がり、そこには蟻のように集まる人々の群れが見えてきた。
その集まりの中心には、巨大なトラックが駐車していた。そのトラックは私たちの会社が提供したもので、その荷台の上では現地の社員数人がバケツを片手に、何かを丁寧にすくい上げていた。その動作は繰り返され、彼らはすくい上げたものを、荷台の端に設置された直径五十センチほどのパイプに次々と流し込んでいた。
この一連の行為は、見ているだけで何のためのものかははっきりとは分からない。しかし、その動きは精巧に計られているようで、一種のリズムを刻んでいた。そしてそのすべては、パイプを通じて荷台の下に待機する村人たちのところに落ちていく。この光景は、企業と地域、そしてその人々が共同で何かを成し遂げる瞬間を描いているようで、見る者を引き込む力があった。
大きな麻の袋を構えた村人たちは、パイプの出口で落ちてくるものを一心に受け止めていた。
そのパイプから落ちてくるものは、まさに収穫の証、つまり小麦だ。我々が村人たちに年に一度支払う地代は、現金ではなく、この小麦の形で行われる。ここに至るまでの瞬間瞬間が、一粒一粒の小麦となり、村人たちの手に渡っていく。村人たちはそれぞれの袋をパイプの下に押し込み、あたかも音楽のリズムに合わせて踊るように、次々と落ちてくる小麦を受け止めていた。
その姿を見て、一見彼らの生活が豊かとは言えないかもしれない。しかし、その小麦一粒一粒には彼らの労働と希望が詰まっている。そして、それらは我々と彼らとの関係性を象徴しているのだ。それは単なる取引以上の、相互に価値を認め合い、共有するという実感であり、それこそが我々が目指す形の一つである。
村の女性たちは、受け取った小麦を手に口々に訴えていた。
「私には子供が二人もいるのよ。こんな少量の小麦でどうにかできると思うの?本当に必要なのは仕事だ。私はまだ働けるのに…」
「月六百グリブナ(約七千円)の年金で生活なんてできるわけがない。政治家たちは贅沢を楽しんでいる一方で…」
「静かにしろ!騒ぎ立てるな!」
「騒いでいない。真実を話しているだけだよ!」
「小麦などいらないわ。お金が必要なのよ」
彼女たちの声は、農地を借りている我々に対するものであると同時に、その生活環境への不満の声でもあった。私たちの会社が支払う地代は、農地の位置や土壌の質によって変わるが、大体一ヘクタール当たり小麦300キロとなる。これを現金に換算すると、300グリブナ、つまり日本円で約3500円ほどになる。
この情報は、村人たちが抱える生活の苦労や社会の不平等さを思い起こさせる。その背景には、我々のビジネス活動と彼らの生活がどのように交差し、それがどのように感じられているかを示している。それは、私たちの行動が地元の人々にどのような影響を与えるか、そしてそれがどのように受け取られるかを理解する重要な手がかりでもある。
一年の地代が一ヘクタールあたりわずか3500円という金額は、驚くほど低い。それでも、家畜の飼育や僅かな年金で生活を繋いでいる村人たちにとって、これは重要な収入源であることは間違いない。彼らが手に入れたこの微かな収入は、以前は何の役にも立たなかった放置された農地から生まれている。この小さな恩恵に、彼らは感謝の念を抱くことだろう。
しかし、ここには深い問いが存在している。それは、私たちのビジネスが、このような貧困に苦しむ地域社会にどのように影響を与え、それがどのように受け取られているかという問いである。そして、それが私たち自身の商業活動と、その結果として生じる経済的な利益とのバランスをどのように取るべきかという問いでもある。
しかし、その一方で、産業も乏しく、就労の機会もほとんどないこの田舎町での彼らの生活は、悲惨さを超えた絶望感を抱えていることが、痛切に伝わってきた。独立後もなお、抑えきれないほどの貧困に苛まれ、今日まで耐えてきた彼らの生活の厳しさが見え隠れする。何も変わらず、あるいはさらに悪化していく彼らの暮らしは、深い悲哀とともに彼らの日々を彩っていることを、我々は見逃すことはできない。
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