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【農業小説】第9話 第四の皿|農家の食卓 ~ Farm to table ~

前回の話はコチラ!

実はつい最近この問題に向き合うことになった。2015年9月に国連サミットで採択されたSDGsだ。

SDGsは国連加盟193か国が2016年から2030年の15年間で達成するために掲げた目標で、ある食関連の雑誌がシェフや編集者を集めて、2030年になると世界は何を食べているか各々が想像するという企画だった。

ここで思い描くのは定食でもない。コースでもない。ただの一皿だけで、未来を象徴するようなものを思い描いて欲しいという注文だった。

予想通りというか…ここで思い描かれたのはネガティブに感じる一皿ばかりだった。こんなのを15年後の未来に食べたいと思っているのだろうか? 彼らの提案に倣うのであれば食物連鎖のピラミッドをどんどん下に降りていかなければならない。

昆虫は確かに優れた食材であるのは確かだ。世界ではそうした食文化もある。日本でも「はちのこ」や「イナゴの佃煮」があるし食べるととても美味しい。

グローバルな視野から見れば海藻もそのうちの一つだろう。僕はワカメの入っていない、みそ汁は少し寂しく感じるけどね。

あとはサプリメントも提案されていたが、未来には食への興味までなくなるというのだろうか? 僕はもっと違う未来があると思う。まず一皿、つまりワンプレートというイマドキの出題が間違っていると思うのだ。

やはり食の基本というのは言葉どおりの一汁三菜だと思う。僕はお米もたくさん栽培しているけれど、食事にお米は必ずしも必要はないと思うのだ。そして三菜としたが、効率よくタンパク質を摂取するためにも肉は外せない。

豆からも良質のタンパク質は取れるんだけど、それってビールと合うのかい? 食の未来は我慢の上に成り立つものであって欲しくはない。

つまり僕は四種類の料理を考えたんだ。これを日本がこれまで辿ってきたであろう食文化の歴史の旅を楽しめる物語のように仕立てた。

日本では古来、食用の家畜を育てる習慣がなかった。狩猟で得たシカやイノシシの肉を食してきたのだ。仏教伝来以降は獣肉全般が敬遠されるようになったものの全く食べられなくなったわけではない。

その後も狩猟で得た獣肉なら食べてもいいけど、家畜を殺して食べるのはダメだった。根底には足が多い生き物ほどダメで、つまりは 哺乳類>鳥>魚 という順番で忌諱される傾向があったのだ。

タコやイカは例外だったらしいけど、それでも獣肉消費量が魚肉を上回るのは戦後の高度成長期より後のことだった。

だから最初の一皿目は日本酒の原料である山田錦を精米したときに出る「ぬか」だけを食べてもらった大人になりたてのイノシシ肉のステーキにした。罠箱で掴まえたウリ坊の頃から育てているので、最高級の豚肉よりも味が良かったりする。

日本酒というのは原料が米といっても、その全てを利用するわけではない。日本酒のラベルに表示されている精米歩合は、玄米重量に対する精米後の白米重量の割合を示しているのだ。

この米は精米のときに表皮が取り除かれ、これが「ぬか」と呼ばれるものになるのだ。そして、醪(もろみ)を搾って清酒を分離した時に残る「酒かす」も、食用として甘酒や、かす汁あるいは漬物などに使えるしウリ坊に食べてもらってもいい。思うに彼らの好物だと感じている。

こうやって育てたイノシシの200グラムのステーキ肉に、旬の野菜を彩りよく添えてやるのだ。つまり戦後の日本において欧米化した夕ご飯に期待してきたような一品なのだ。

これは決して啓発的ではないし、「今」求められているヴィーガンともかけ離れた料理であることも理解している。

そして二皿目は現代を象徴するもので、「ファーム・トゥ・テーブル」の活動において追い求めるすべての理想が組み込まれているのだ。

料理の材料となる鳥は先ほどと同じように「ぬか」だけで育てられている。そんなに「ぬか」があるのかって? 僕の会社は酒蔵の経営もやっていて自分たちで酒米も栽培しているのだ。

僕たちが起業時に考えたこと。それは、いかにして「財閥系企業型」の収益構造を確立するかということだった。日本の財閥系企業グループでは、あらゆる産業分野を網羅する多数の企業群を擁して、グループ内で完結できる仕組みを保持している。

同様に農業でも、ビジネスの「入口」から「出口」までを自社グループに取り込むことによって、生産から販売という核となる事業から付帯収益を生み出すことで、収益源の多様化と業績の安定化を手に入れることができるからだ。

こうした農業経営を利益創出の基盤として、多彩な周辺分野で収益を獲得することによって、起業時に想定した理想的な事業スタイルイコール財閥系企業スタイルを実現してきたのだ。

だから、その軸に「ファーム・トゥ・テーブル」の活動がもってこれたのだと思う。したがって二皿目は蒸し鶏のワサビタルタルソース掛けだ。

このタルタルだって畑の隣で育てた鶏の卵が原料だ。ワサビは僕の会社に出資してくれている静岡の投資家から分けてもらったものだ。

鳥とタルタルといえば宮崎のチキン南蛮を想起させるけど、僕のチキンは蒸し鶏でしっとり感があって丹波の名物になってもおかしくない出来栄えだった。

そして最後の三皿目は、ここでもステーキディナーとして一貫性を保っているヒラメのステーキを提案することにしたのだ。つまりは舌平目のムニエルなわけだけど。

このアカシタヒラメは瀬戸内海や九州など西日本で多く漁獲されている。この丹波は瀬戸内気候と日本海の冷涼な気候がぶつかる立地にあるのでストーリーとしても申し分ない。

しかもストーリーの締めくくりとして瀬戸内産のレモンとオリーブオイルが使えるのだ。

そして「一汁」では一気に立場が逆転する。三皿とも野菜をあしらってはいたもののタンパク質中心だったわけだ。だから「一汁」では、これまでの三皿をあざ笑うかのように、旬の野菜をふんだんに放り込んだ汁物にした。

肉系としては出汁にイノシン酸をだす鰹を使った程度だ。

だからと言って、未来の食の主役は野菜に置き換わると主張したいわけではない。あくまで僕の目的は料理のパラダイムシフトを表現することだ。調理法や食べ方について、食べる人の期待を心地よく裏切るような発想の転換を僕は目指したのだ。

これは食材の産地に対するリスペクトを深めるだけではなくて、世界中で見られる素晴らしい料理から学び、産地から提供される要素のすべてが反映されている本当の意味でのローカルフードを創造したいと考えたのだ。

最高の料理というのは、これまで何千年もの途方もない時間をかけて自然と共に進化を続けてきた結果、文化や伝統など様々な要素と結びついているのだから、どのようにして新しい料理を創造していけばよいのだろう。

僕が未来のために思い描いた「一汁」、つまりは「第四の皿」を架空の料理から実際に食べる料理に進化させるためにはどうすればよいのだろうか。実際のところ、この疑問が本書の出発点になったわけではない。

最初に種苗家との僥倖があって、山辺が育てたフリント種の八列トウモロコシでトルティーヤを作ってタコスを食べたときのような感動を通じて、僕はシェフとしての思い込みをくつがえされたのだ。

その結果、本当においしい食べものには農業。もっといえば土作り、環境を整えるといってもいいだろう。自然の枠組みから食の流通システム全体が関わっていることを徐々に理解するようになったのだ。

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