【現代小説】金曜日の息子へ|第六話 クリスマス
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君は俺が毎年、クリスマス前になると、横浜へ商用だと言って出かけていたことを憶えているかい? 我が家では、俺が冬の横浜が好きだということになっていたらしいね。
でも冬の横浜なんて港のネオンが煌めいて寒々しいだけで、行きかう人並みの中で忙しい風景は寒さを余計に際立たせていた。
君も不思議に思っていたんじゃないのかな? まだ再婚もしていなかったし、君はまだ10歳くらいだったけど、ひとり親のせいか特別に勘が良かったから、何かおかしいなと思っている様子だったね。
俺が君の質問をはぐらかすと、君は一緒に横浜へ行きたがったね。それが叶わぬ願いだと知ると、翌年のクリスマスには半日ばかり家出をして俺を困らせたね。
君は特に反抗期もなく育ってくれて俺は助かっていたけど、そろそろ難しい年齢に差しかかっていたし、都合の悪いことに、どうすれば俺が困るのかをよくわかっていたね。
君はあまり友達が多い方ではなかったし、家に帰ってくると部屋に引きこもっていたから寂しいだろうと思ってパピを連れてきた日のことを覚えているかい? 思えば、寂しかったのは俺のほうだったのかもしれないね。
パピは季節が新しい秋に差しかかって西山の紅葉が鮮やかになってきたから、なんとなく焦燥感を覚えた俺はホームセンターをいくつか回って、君の気に入りそうなパピヨン犬を見つけた。それがパピだったんだ。
俺がパピのことを話すと、君はすぐに彼に興味を持って、すぐに熱狂に変わったね。十月末のよく晴れた午後に自宅から少し離れた郊外にある大きなホームセンターへ一緒にパピを買いに行った時のことを憶えているかい?
ガラスケースに「売約済」の紙が貼られているのを見た時の君の落胆と、買い主が他でもない俺たちであることを知った時の喜びようを、使い古されたな言葉だけれど、俺は昨日のことのように思い出すんだ。
予想した通り、君とパピはすぐに親密な間柄になったし、親友同士になるのに時間はかからなかったね。とにかくそれ以降は、君は俺の横浜への小旅行を気にする事はなくなったみたいで、ひとまず安心したものの、 それでも君の俺への疑いはいつまでも俺の中になにか生暖かい塊として残り続けた。
俺はこれから、君に何度も不安なクリスマスを過ごさせてきた本当の理由を話しておこうと思う。このボイスメッセージは恐らく長いものになるだろう。
ひと言で語れない真実などどこにもないのだから、大部分は弁解と取られるかもしれないし、事実その通りなんだけど、世の中には言葉を尽くさなければ伝わらないこともあるのだと信じて始めることにする。
こんなことを話していいのかどうか、俺なりにずいぶんと悩んだ。だけど、もう迷っている時間もないようだ。何しろ抗癌剤の効き目は抜群で、髪の毛ばかりか、いまでは眉毛までが抜け落ちてしまっていて鏡で自分をみると恐ろしくも感じる。
ともかく、俺の命は風前の灯火なことは間違いない。本を読んでいたりするとふいに気が遠くなり、そのまま何時間も眠り続けてしまうことも多くなってきた。入院した初めの頃は熟睡に至らずに、良く夢をみたものだけれど、最近では夢を見ることさえ稀になってきた。
できることならば、夢の中ででも君や妻に会いたいと願っている俺なのだけれど、人は死を意識するとなにかにすがりたくなるのだろうか。「そんなわけで、俺はお気に入りのネイビーのナイロンバケットをかぶって、九州独特の高い空を眺めながらこのボイスメッセージを吹き込んでいる。
どこまで続けられるのか自分でも分からないけども、嘘だけはつかないつもりだ。
これから、君が生まれる三年前のことを話すつもりだ。初めに断っておくと、俺はこれを告白にしたいわけでも、自分の過ちを嘆きたいわけでもない。
そもそも俺は、簡単に過ちを犯してしまうほど愚かな人間ではないし、当時だってそのつもりでいたはずだ。それどころか、周囲の人たちを見回して、どうしてこんな愚かな人たちが作り上げた国がこれほどまでに発展できたのかと驚いていたほどだったのだ。
俺は本当に自信家だった。中学、高校ともに首席で通した俺には、間違いを犯すというのがどういうことなのか想像することもできなかった。俺はいつも何気ないふりをして同級生たちと交わっていたけれど、それは子供なりの処世術というものだった。
毎日がひどくつまらないものに感じていた俺がこの胸に打ち立てていた自負の強さを知ったら、きっと彼らは大急ぎで俺から離れていったことだろう。
「この子が後を継いでくれたら」
そんな父の言葉は何度聞かされたか分からないし、誰よりも俺自身が繰り返しそのことを悔やんでいたんだ。
それでも俺は、自分には何かができると固く信じていた。ただ、それが何であるのかが分からず、終わりのない焦燥感に絶えず駆り立てられていたのだ。
俺は昭和四五年、大阪万博が開催された年に生まれた。子供の数も多かったし、共働きの家庭も多かったせいか、勉強よりも遊んですごした記憶しか残っていない。
それでも本を読むことがとても好きだった俺は、活字がいっぱいに詰まった本を手にすると、いつも小学校の独特な匂いのした図書館を思い出したものだ。図書館はいつだって静かで、俺はそのなかで誰に気を使うことなく、ひとりで過ごすことが好きだった。
そんな俺たちの世代が受験期に差しかかると、受験戦争などという言葉が使われるようになった。みんな必死に勉強していたし、その陰でついてこれない人たちもいて、この頃から格差のようなものが生まれてきた。
その時に人気を集めていたのは「金八先生」だ。
俺が中学を卒業するときに中島みゆきの歌う「世情」をバックに加藤は逮捕された。ついてこれない人はビーバップハイスクールやホットロードの世界観に夢中になっていた。
受験戦争とはいうけれど、どこでそんな戦争があったのか、俺にはまるで思い出すことができない。
正解は一つしかないのに、どうして求められてもいない答えをわざわざ書き込む人がいるのか、俺にはむしろそのことの方が不思議なくらいで、いくら正解を書き込んでみたところで、商売人の後継ぎとして育てられた俺にはあまり関係のないことだった。
いくら考えても、どんなに努力をしてみても、俺が手に入れられるのは、誰かに約束された将来だけで意味のある人生だと感じていなかったし、その頃の俺にとって、人生は疑問だらけだったんだ。
息詰まる家から一秒でも早く這い出たくて、十五歳の俺は、スペインのマドリッド広場の前に立つドン・キホーテのように目の前の人生を眺めていたんだ。
セルバンテスは生涯において何度も投獄されているが、セルバンテスは釈放後、この物語を書き上げたが、この作品はセルバンテスの短編集としての色合いが濃く、作中作「愚かな物好きの話」、「捕虜の話」、「ルシンダとカルデーニオの話」など、ドン・キホーテとは直接のかかわり合いのない話が多く挿入されており、作者の人生観が多く反映されているようで、私はこの作品にずいぶんと共感を覚えたものだった。
没落した旧家というのは安易なイメージだけれども、友人たちは俺の家族をそんなふうに考えていたようだった。
ある時に友人のひとりが俺にこう尋ねた。
「ねえ、神山の家って造り酒屋なんやろ? 酒って飲んだことあるん?」
二十歳になるまで、俺はそんな意味のないことを何度も繰り返し聞かれてうんざりしていた。そうしているうちに家の仕事が卑しいものに感じてきた。造り酒屋の後継ぎの話にまるで興味を示そうとしない息子に、父はどこか物足りなさを感じていたようだ。
それを俺の幼さのせいだと読み違えた父は、酒の神様が祭られている松尾大社に連れ出したりしながら、辛抱強く俺の成長を待っていたようだ。そして、家の仕事や酒の造り方について訊ねられる時が来るのを待っていたのだ。
そうと知りながら、俺は決して父に何かを訊ねようとはしなかった。しびれを切らしたのか、やがて父ではなく、母が俺にいろいろな話をするようになった。彼女は聞き手の気を逸らさない語り部だった。
結局、俺は母に感化されてかなりの数の発酵やお酒に関係する文献を読むことになったし、二十歳の時には商売の在り方について俺なりの意見を持つようにもなっていた。
ただし、ここでは物心ついた頃から沈痛な面持ちの大人たちに囲まれて育った俺が、どうにかしてそこから逃れ、自由になりたいと感じ続けていたということを指摘しておくだけにしたい。
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