【現代小説】金曜日の息子へ|第五話 ビデオメッセージ
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9月23日だった。子供たちのお見舞いにきていた親たちに招かれてプレイルームへ行くと、入り口には折り紙を切って作られたチェーンが飾られていて、なかには大きなデコレーション・ケーキが用意されていた。
この日は俺の50回目の誕生日だったので、不覚にも嬉しくて涙が溢れてきた。感染症対策のために直接は会えなかったけど、彼らが残したビデオメッセージを受け取った。
「ぎんじさんへ。がっこうに行けないのがさみしいよ。体がよくなったら、えいごをおしえてね」
子供たちのビデオメッセージを、1つずつじっくりと見た。俺がどれほど苦労をしてこの動画を見終えたか、君に想像がつくかい? 俺ははからずも涙を流していたかもしれないな。
脳腫瘍になったからか年齢のせいか涙腺が緩くなったようだ。俺はビデオメッセージを受け取って見終えた頃に仲の良かった子供の親が病室にやってきてくれた。彼とお互いうすいビニールの手袋をしたままだったけど特別な固い握手を交わした。
これまで長く、海外で仕事もしてきたので、握手は数えきれないくらいしてきたと思うけど、これは本当に特別な握手だった。同志というのは、きっとこうした関係をいうのだろう…
死を身近に考えてはいけない、と妻は不安そうな眼をして毅然とした矛盾した態度で言う。しかし、その意見について、俺は同意できない。
いつだって人は死を、ついつい遠くのことに考えがちだけど、「明日死ぬかもしれないと思って懸命に今を生きろ」と俺はこれまで君にも子供たちにも話してきたよね。
ずっと現在という瞬間が連続して続くのだから、二度と取り戻せない一瞬一瞬をこれからも大切にしてほしいと思う。
そして死は大きく不規則な足音を隠そうともせずに俺の目に見えるところにまで迫ってきたようだ。
自殺を試みたこともあったし、死を常に意識しながら生きてきた俺にとってもやっぱり死は恐ろしいと思う。人生という対談を降りれば、そこからは考えることも君たちの未来を見ることもできないからだ。
だから今は、仕事のためではなく、楽しみのためにとっておいた本を読んだりしている。特に懐かしいと思える本ばかりを読んでいる。たとえば学生の頃に良く読んだ「わたせせいぞう」の「ハートカクテル」を何度も読み返している。
あるいは長い手紙を書いたりして、死についての考えを遠ざけようと努めても、それを身近に感じるのを防ぐことまではできないでいる。
死はいつだって、俺の意識の中に忍び入ってくるし、時には夢の中にまで入り込んできて私を眠らせないのだ。眠っている間はまだしも、恐ろしいのは目覚めた時だ。
今日死ぬかもしれない…
朝もやが明けきらぬ頃に目が覚めて、薬のせいでまだぼんやりとしている頭に浮かぶのは常にそんな思いなのだ。
脳腫瘍になる少し前に俺が、突然に逮捕されて留置場に20日近くも拘留されたことがあったろ? 不起訴にはなったけど、収監されているときは、刑務所ってこんな感じなのかな? とか、いろいろと考えたものだ。
そして、朝の9時か10時か、時には昼をまわったり、はたまた取り調べがない日もあって、留置場の電話で知らせが来て呼び出されていた。
その電話の要件は俺に対してとは限らない。100%の無実だったから、取り調べをおっくうには思っても電話そのものにドキドキしたりはしなかった。
だけど、ここが刑務所だとして俺が死刑囚だと想像してその電話が「死刑」の知らせだとしたら、「恐ろしい」と心からそう思ったのだ。
昨日も、いつものようにエアポッドを使って昔よくラジオで聴いていた音楽を聴いていると、遠くから女性の叫び声が響き渡ってきた。
※Dionne Warwick 一公式より
今度は、どの子が死んだのだろう?
つい先日も同じようなことがあったから、俺の心臓が口からでそうになって、その夜はいつにもまして、なかなか寝つくことができなかった。
亡くなったのは鹿児島から来ていた9歳の男の子で、誕生日に日に特別な握手を交わした私の若い友人の一人息子だった。
入院したての頃は、明るくて、誰からも愛されて、彼がそこに居るだけで場の雰囲気が華やいだのに、抗癌剤の副作用から顔がむくみ始めると、めったに笑顔を見せることもしなくなった。
白血病だった彼はとうとうにドナーが見つかることがなく、次善の措置として母親の骨髄を移植したものの、予後は芳しいものではなかった。
最後に会った時、彼は雑菌から身を守るため、無菌室の中で透明のビニールに全身を包まれていた。
あれほど好きだったスマートフォンのゲームにも手を触れず、時折、歯を食いしばって声も出さずに泣く以外には、もう何もしようとはしなかった。
小さな遺影を抱いた父親がお別れを言いに来たのは、息子を亡くした3日後のことだった。
「よく頑張ったね」
他に適当な言葉が思いつかず、俺はそんな慰めにもならないことをいってしまった。
これまで世界中で、何億もの商談をしてきたくせに、俺はこんな時には、なかなか適切な言葉を見つけられない性質なのだ。
「鹿児島に帰ったら、また子供ができたらいいね」
別れ際に俺はそんな趣旨のことを言ったように思う。
それこそ場違いな言葉に違いなかったのだけど、子供を一番に考えていた人だったから、単純にそうするのが一番だと思ったんだ。
彼の反応は予期せぬものだった。
「もう子供はいらないです…」
それが彼の答えだった。
「なんでなん?」
俺がそう聞くと、彼は大きな息を吐きながら話してくれた。
「銀次さん、僕は、思い当たることがあるんです」
「思い当たることって?」
「僕は今では真面目に頑張っているんですが、本当は悪い男なんです。この子が生まれるまで、家内にも言えないようなことをしてきたんです。きっと罰が当たったんだと思います。だから、生まれてくる子供に不幸を背負わせたくないのです」
そう言うと、彼はうなだれて嗚咽をこぼした。
俺は黙ったまま、そんな彼をただ見つめていた。かける言葉を探していたのではない、俺はただ驚いていたのだ。
それというのも、自分が悪性の腫瘍に冒されていると知った時から、俺も彼とまったく同じことを考えていたからだ。
手術を受けなければあと半年の命だと聞かされた時は、人生に対する未練で胸がふさがるような気持ちになったのだけれど、その一方で 俺は安堵してもいたのだ。
俺にも思い当たることがあったんだ。
いいや、思い当たる以上のことがあったのだ。
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