アメリカの小学校での人種間のいざこざ
アメリカ大統領選挙を経て、否が応でも人種間の対立的な記事やニュースを見ない日はなかったここ最近のアメリカ。
この分断されている感のあるアメリカについては、また機会があれば書こうと思いますが、今日は、アメリカで子育てをしている身として身近にあった話をひとつしたいと思います。
背景
娘は小学3年生で、アメリカ現地の小学校に通っています。
人種の割合としては、おそらく白人が40%, ラテンアメリカ系が40%, 黒人が20%くらいではないかと思います。娘はミックスですが、見た目はアジア系です。おそらく、この小学校で唯一のアジア系だと思います。
この学校では学年ごとのFacebookグループがあり、親がそのグループに属しています。そこでは学校のイベントの告知だけでなく、「〇〇先生のクラスの今日の宿題はなんだった?」とか、「今週のスペリングテストのリストがあったら写真で送ってくれる?」みたいなカジュアルなやり取りが行われています。
きっかけとなった投稿と私の反応
そこで、先日、こんな投稿を目にしました。
「この学校では問題が放置されています。私の娘は、〇〇先生のクラスですが、そのクラスの白人の男の子二人(名誉のために名前は伏せます)から”メキシコ人の子供は悪い子ばかりだ”というような言葉を浴びせらせました。私はこの男の子たちを責める気はありません。なぜなら、このような言葉はそれぞれの親が家庭で発する言葉だからです。ちなみに校長先生、副校長先生、担任の先生にも言いましたが何も変化はありません。
私の娘は今日でこの学校を去りますが、親たちはもっとお互いをリスペクトする教育をするべきです」
私はかなりショックを受けました。けれどその気持ちのざわつき感が何から来るものなのかが自分でもあまり理解できずにいました。
まず、このような発言がクラスであったことはとても悲しいし、ましてやそれは娘のクラスで起こったことでした。そして、この子が学校を去ってしまうということも悲しく思いました。この事件で?他にも何かあったのかな?と。
でも、なんだかそれだけでモヤモヤしているのではない、と思いました。
娘と夫の反応
娘に、このことを話しました。娘は「そんなふうに言われたら私の友達(メキシコ人)は悲しむだろうな」と言いました。でも、娘はこの投稿にあった発言について知らないようでしたし、学校で自分がこのようなことを言われたこともないと言っていました。
夫に、この投稿を見せて感想を聞きました。夫は「これはあってはならないことだね、、、この年齢の子供の口にはフィルターがないからね、思ったことを言ってしまう。だからこそ親は家庭でいうことに注意を払わないと。
でも、こんなふうにSNSに投稿しても何も解決しない。校長先生と副校長に言ったのかな」
言ったみたいだよ、というと、
「そもそも、このFacebookにこんなふうに投稿するのは違うんじゃないかな」
そう言われて、私のザワザワ感はそれだ、と気づきました。
SNSで投稿することの怖さと家庭での言葉の大切さ
この投稿は、この問題を解決しようとして投稿したのではなく、その白人の男の子の親たちへの復讐だと私には思えました。
本気で解決するつもりなら、学校と話をすれば良いのだし、ましてやその子は他の学校に移るのだから、その子は少なくともその環境からは脱することができます。
正義感から投稿したのかもしれないけれど、文脈からはどうしてもその「白人」を責めるような感じが拭えず、そこに私は違和感を感じたのだと思いました。なぜなら、どうしてこのようなことが起こってしまったのか、白人の男の子たちが発した言葉は人を悲しませる言葉ですが、読んでいる我々にはどうしてそのような発言に至ったのか、その背景がわからないからです。
これでは、また対立が深まってしまうのではないか、と感じざるを得ませんでした。
SNSで発言をする怖さは、一方的であることです。
当事者にしかわからないことを、SNSで一方的に発信することで、偏見がたやすく生まれてしまいます。人には必ずバイアスがあるからです。
人種の問題と、SNSの問題を垣間見たような気がしました。
学校のFacebookでのこのような発信は初めてだったので少し衝撃的でしたが、SNS上での一方的な投稿に対してはなるべく心が削られないように、「そういうこともあるんだな」と受け止めたいと思います。
また子育てをしている身として、こどもは親が言うことを本当によく聞いているのだから、家庭で発する言葉が社会に出ていくということを改めて認識し、言葉には心を配ろうと思ったのでした。