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【極超短編小説】グッジョブ
「御子息をください!」
座布団を脇に置いて、その娘は畳に額を擦り付けた。
『お父さん、僕たち結婚するよ』てな報告かと思っていたら、である。
唖然として隣の妻に目を向けると、満面の笑み……ん? いつか見たことがあるような表情? 妻とは幼馴染で、結婚前からの長い付き合いだが、一度だけ見たことがある気がする……まあ、今はそれはいい。
その娘の隣で息子はモジモジと顔を赤らめて、控えめにサムズアップ。 はぁ〜、この息子は……。
何より、男の方が『お嬢さんをください』というのが、一般的だと思うのだが。これは逆だ。それとも私が古いのか? 今はこれが普通なのか?
私は息子が生まれた時のことを自然と思い出した。
息子が生まれたと連絡を受けた時、私は仕事中だった。直ぐにでも駆けつけたかったが、自分の仕事はキチッと片付けなければならない。実際、私の代わりに誰にでもできる仕事であってもだ。
仕事に一区切りをつけ、病院に向かった。病室のドアを開けると、おくるみに包まれた息子を妻が胸に抱いていた。妻の横顔に私は顔をくっつけるようにして、息子を覗き込んだ。
生まれて間もないのに、息子は私達二人の顔を見て、キャッキャッと笑った。それを見た妻は眉を八の字にして『産んだ責任はあるけど。生まれてしまえばもう別の人間だし。どうなることやら』と、胸に抱いた息子を見ながら冷めた感じだった。
私は妻のその表情を見て『ん?』と何か思い出しそうな気がした。
一方で私は嬉しくて嬉しくて、可愛くて仕方なくて、『どうして私が産めなかったんだ!』と半ば本気で思ったし、将来にも期待した。
息子はすくすくと成長した。が、しかし……息子は出来が悪かった。原因は私だと思う。
私は小さな会社の要領の良くない万年係長だが、仕事は真面目にやってきた。手を抜くことはなかった。人の2倍は働いたと思う。その反動だろう、仕事以外は全て息子に費やした。目の中に入れても痛くない息子を、ひたすら可愛がり、甘やかした。溺愛だ。叱ることはなく、まして千尋の谷に突き落とすなんてことは、考えたこともなかった。
で、結果、息子は勉強はできない、運動神経は良くない、負けん気はない、もちろん闘争心の概念がない、胆力なし、欲なし、特技なし。
息子の良いところと言えば……。変わってるところは、小さな頃から人と人が仲良くしているのを見ると、とても嬉しがった。息子が赤ん坊の頃なんかは、私と妻がイチャイチャしたりすると、手を叩いて喜んでいた。人の幸せが好きで、優しいのだろう。
だが息子よ、優しいだけでは食っていけないのだよ。
「まあまあ、頭を上げてください」
しばし思い出に浸っていた私は、ふと現実に戻った。
娘はやおら頭を上げ、背筋をピンと正した。
「結婚を許して頂けますか?」
私を見る娘の目には力が篭もっている。そして額には畳の痕がうすら赤かった。
「こんな倅で、本当に良いのかね?」
私の本心だった。
「はい。わたくしにはもったいないくらいです」
娘の目に一段と力が入る。
「親の私が言うのも何だが、あなたにも悪いかもしれないが、倅には自慢できるようなところなど何も無いと思うが、どこが良いのかね?」
私のより小さな会社に勤め、さらに出世も望むべくもない。結婚を反対するつもりはなかったが、この娘の将来を案じてしまう。
「御子息は優しいです。本当に、本当に優しいです。それだけで充分です。他には何もいりません」
娘はポッと顔を赤くして、横の息子を見る。息子もニコッと笑って、娘の額の赤い畳の痕を撫でた。
「優しいだけではなぁ。お母さん、どう思う?」
私は妻に振り向いた。
「いいんじゃない? 優しく育って良かったわ。あなたのおかげよ」
妻は相変わらず満面の笑み……思い出した! 私が大学を卒業して就職先が決まり、妻に結婚を申し込んだ時の顔だ。 あっ!?
妻の笑みを思い出して、私の記憶はどんどん遡り、色んなことが次々と思い出された。
妻と私は幼稚園の頃からの幼馴染で、ビービー泣いてた私の世話を焼いてくれた。小学校に入学して、初めての算数のテストがあった。妻は満点、私は確か、10点だか20点だった。
妻は私の答案を見た時、眉をハの字にして『どうなることやら』と確かに言った。生まれた息子を抱いた時の顔が、その顔だった!
小、中、高と妻はずっと私の世話を焼き、勉強を手伝ってくれた。大学生になってもレポートや論文の書き方、就職の面接対策等など、事あるごとに力になってくれた。
私はこれまで仕事と息子を甘やかすことしかしてこなかった。妻はそれ以外のこと、躾や行儀作法、教育等など全てを引き受けていたのだろう。だからこそ、優しいだけの息子が結婚相手を連れて来ることができたのだ。
「あなたさえ良ければ、倅を頼みます」
私は頭を下げた。
「ありがとうございます。必ず幸せにします」
娘は涙ぐんでいる。
「ところで、あなたの御両親は何と言ってらっしゃるのかな? 結婚に賛成はしていただけるのかな?」
優しさしか取り柄のない息子が結婚できるのは嬉しいことだが、相手方の親御さんのことを考えると大きな不安が頭をもたげた。
「はい、御子息のことはすでに何でも存じ上げております。わたくしよりも父のほうが気に入っているくらいで、ゆくゆくは、よければ自分の仕事を手伝ってもらえないかと言っております」
娘は私の表情を窺いながらキッとした表情で応える。父親の仕事のことで私から、やはり結婚は反対されやしないかと思っているようだ。
「そうですか。それは良かった。倅さえよければ、お父様の仕事でいくらでも使ってやってください」
息子のことだ、今の会社でもデキる社員というわけではないだろう。いつクビになってもおかしくないことを考えると、この結婚で食べていくことには困らなさそうだ。
「お父様は何か商売をやってらっしゃるのかな?」
私は何気なく尋ねた。
「はい、〇〇コーポレーションの社長を務めております」
娘はなぜか気恥ずかしそうに俯いた。
「え! あっ!!」
〇〇コーポレーションは業界最大手で、その名前を知らない人間はいない。娘の顔も思い出した。最近見たビジネス雑誌で、鉄の塔を背景にインタビューを受けている写真があった。創業家一族の若き副社長だ。
私は思わずテーブルの下でサムズアップしてしまった。グッジョブ!