【極超短編小説】発火石
朝、玄関のドアを開けたとき、カタッと何かがぶつかった。
廊下で見つけたのは真鍮製のライターだった。見慣れた彼女のものだ。
僕はズボンのポケットに入れてそのまま出かけた。
昼下がり、用事を済ませた帰り道、公園に寄った。
ベンチに座り彼女のライターを取り出した。
カチッと小気味良い音とともに蓋は開く。
しかし親指でいくら弾いても火が点かない。
何とも言えない不安にライターを持つ手が汗ばんだ。
「いらっしゃい」
いつもの煙草屋のおやじが出てきた。
「このライター壊れてるみたいで‥‥」
おやじはライターを受け取ってカチャカチャといじくり回した。
「ああ、フリントが無くなってるよ」
「フリント?」
僕は彼女のライターの仕組みを教えてもらった。オイルを燃料にしたオイルライターで、フリントすなわち発火石の火花で火が点くことなどなどである。
火が点かないのは、消耗品である発火石が無くなったからだった。
おやじに手ほどきを受けて発火石を補充した。
夕方になっていた。公園のベンチで彼女のライターで火を点けてみた。
穏やかな光を放って炎はボッと微かに音を立てて瞬く。
その炎に、しなやかな指に挟まれたラッキーストライクが近づいた。
いつもの香りに包まれて彼女にライターを手渡す。
「忘れ物」
彼女は僕のポケットに発火石を押し込んだ。