【極超短編小説】裏:輝きの中へ君は行く。そして僕は夢を見る⑤
立錐の余地がないほどの超満員にもかかわらず、ライブハウスの中はしんと静まり返っていた。オーディエンスは固唾をのんで待っている。エアコンが効かないほどのキャパオーバーの空間では、顎から滴る汗も床に落ちることなく熱気の中に溶け込む。
僕は入口近くの壁を背にしていた。ステージを正面に臨んで、ライブハウス全体を見渡せる場所だ。そして、このライブハウスの中で彼女から最も遠く離れた場所だった。
ハレーションを起こすほど真っ白で強烈な明かりがステージに降り立った。それと同時に、空気を震わせる大歓声がライブハウスに充満した。
鼓膜を引っ掻くような一瞬のハウリングの直後に生まれでたのは、下腹を突き上げるドラムのリズム、こめかみを弾いて視界を揺する粒の揃ったベース、世界の見せかけや嘘を握りつぶす歪んだギター。そして彼女の歌声はまるで、彼女の車の排気音と同じように耳をつんざき、深夜にこだまする唯一の永遠だった。
彼女はほとんど教祖だった。オーディエンスは、腕を振り上げ、喉が潰れるほどの祈りのような歓声を捧げる。さながら殉死も厭わない信者のようだ。そして彼ら彼女らの恍惚の眼差しからは、説明のつかない感極まった感情から涙さえ溢れていた。
彼女から渡されていた関係者のパスを首からぶら下げていた僕は、警備員の一瞥だけですんなりと楽屋まで行くことができた。
ステージの終わった彼女は楽屋の隅でパイプ椅子に座ってうなだれ、目を閉じていた。腕はだらんと下に垂れ、指に挟まれたタバコは灰が緩やかなカーブを描いて崩れ落ちそうなくらい伸びている。
僕は彼女のすぐ横のパイプ椅子に座った。彼女の横顔に目を凝らす。汗で濡れた黒髪が額や頬に張り付いている。閉じた瞼の睫毛は軽くカールしている。半開きの唇の呼吸は激しかったステージの名残がある。
彼女はステージに上る前よりもきれいだった。ステージで全てのものを吐き出して、余計なものがなくなったのだろう。目の前の彼女は混じり気のない彼女そのものだった。
彼女がゆっくりと目を開け、僕を見る。
「君をずっと見ていたよ」
僕は彼女の目を見つめながら言った。
「あなたを愛している」
彼女は手のひらで僕の頬に触れ、涙を流しながら応えた。
(つづく)