【極超短編小説】彼女のオープンカー
サングラスをかけた彼女は運転席から指さした。
僕に助手席に乗れと‥‥。
「おじゃまします」
おっかなびっくりしながら、ドアを開け彼女の横へ座る。
彼女の車に乗るのはこれが初めて。滑らかな皮のシート、艶やかなウッドのメーターパネル、きらりと光るメッキのモール。
その緑のオープンカーは年代物だけど、手入れが行き届いていた。
町を離れ郊外へと走る。流れるようなシフトチェンジ、スムーズな加速、優しいブレーキ。頭の上を通り過ぎる風を感じながら彼女の運転する姿に見惚れる。
郊外を過ぎ緑が増していき、景色は長閑になっていく。
いくつかの峠を越え、濃い緑の木々に囲まれた石畳で彼女は車を止めた。
車を降りた彼女は石畳から延びる長い急勾配の石段を上り始めた。僕も彼女のあとをついて上る。辺りはしんと静まりかえり、ふたりの足音だけがわずかに響く。
整然と並ぶ墓石。その中のひとつの前に彼女は立つ。サングラスをはずし墓石に優しく触れる。そしてラッキーストライクに火を点けて線香代わりに供えた。
離れて彼女を見ていた僕は、なぜだか居たたまれなくなって上ってきた石段をひとりで下りた。
時折聞こえる鳥のさえずりの中、ラッキーストライクの匂い。
彼女は車のキーを僕へ寄越すと助手席へ乗り込んだ。
僕は運転席へ座りキーを差し込んでひねる。
キュルルルル‥‥キュルルル‥‥
エンジンはかからない。
「チョークをひいて」
彼女が指さす。
ブロロロロン
ギクシャクしたシフトチェンジに急加速、カクカクするブレーキ。滲み出る緊張の汗。
彼女の視線に応えるにはもう少し時間がかかりそうだ。