見出し画像

昭和50年代生まれの貴女に優しい言葉を届けたいの

先週、二年ぶりに地元の中学校の友達、Yちゃんとご飯を食べた。私たちは練馬区と埼玉県のちょうど境目ぐらいにある、当時とても荒れていた公立中学校で出会った。

今日は、地元の中学校で出会った友達の小さな悩みを聞いたら、「普通が良い」という価値観にどれだけ私たちが縛られていたのか気づき、胸がぎゅっとなった話を書こうと思う。

🌿🌿🌿

私の場合、中学校時代は退屈そのもので、心がどんよりしていた。当時好きになったQueenを夢中で聴いていたけど、周りにQueeを知る子は誰もいなかったし、話が合う子もいなくて、「早く卒業して自由になりたいなぁ」なんて思いながら毎日を過ごしてた。

でも、Yちゃんとはウマが合った。Yちゃんは色白で背が高くて、マッシュルームカットの髪型が本当に似合うセンスのいい子だった。Queenの話をしたかどうかは覚えていないけど、周りの子たちと話が合わず退屈していたという点で、気が合ったんだと思う。

中学校の三年間だけ一緒に過ごしたYちゃんとは、卒業してから全く違う人生を歩んできた。それでも、五年に一度くらいは連絡を取り合って、友情を温めている。

久しぶりに会ったYちゃんは相変わらず小綺麗で、余裕のある毎日を楽しんでいそうだった。でも、彼女の何気ない悩みを聞いて、私はハッとした。

結婚して子どもがおらず、お勤めしていないYちゃん。彼女は家で経済活動をしているけど、それをあまり人に話したくないらしい。

「普通の生き方をしていない」と思われるのが怖いんだって。結婚して子どもを産んで、そうでなければ外で働いて──これが「普通の生き方」とされる価値観が、まだ彼女の中に根付いているんだなと感じた。

🌿🌿🌿

私たちの世代って、昭和の日本で義務教育を受けてきたから、「普通が一番」という集団的な価値観を深くすり込まれているんだと思う。

でも、四十年以上生きてきて、時代がものすごいスピードで変わっていくのを見てきた。先行きが不透明で、今年まで正しいとされていたことが、来年には簡単に覆る──そんなVUCA時代を生きている私たち。今では、「これが普通」という基準そのものが薄れつつある気がする。

だから、結婚しているとか、子どもがいるとか、働いているとか、働いていないとか──そんなの、もう関係ないんじゃない? だって、働くっていっても在宅勤務があったり、会社勤めじゃなくてYoutuberだったり、エッセイストだったり、FXトレーダーだってあるわけだし。

それでも、私たちの中にはまだ、「普通でありたい」という横並び意識がしっかり根付いている。時代が変わっても、そこからなかなか自由になれない。それが、私たちの不幸なのかもしれない。

私たちが育つ過程で身につけた価値観や「当たり前」は、大人になってから変えるのが本当に難しい。子どもの頃に当たり前だと思い込んでいたことを、何十年も経ってから「それはもう古い考えだよ」と言われても、心が追いつかないこともある。

さらに不幸なのは、運よくこれまで「普通」の枠の中で横並びに生きてこられた人たちが、時代が変わる中でその枠から外れてしまったときだと思う。

時代に合わせて自分をアップデートできればいいけれど、それが難しい場合もある。そして、ある程度の年齢を迎えてからでは、もう引き返すのも怖くて動けない。そんなジレンマに陥りやすいのが、私たちの世代なのかもしれない。

生きていくって、どうしてこんなに難しいんだろう。そんなことを最近よく考える。

🌿🌿🌿

今日は朝から終日、コーチングの研修でした。 疲れ切ってもうこれ以上考えられない。

きょうはこの辺でさようなら。 おやすみなさい。


いいなと思ったら応援しよう!