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【作者に訊く】『SHOT』に懸ける想い(第2回) 劇団ケッペキ 眠れぬ瞼を跳ねる羊の晩夏公演

 蝉の声や吹き出る汗が在りし日のものになることは、切なささえ感じさせるようです。劇団ケッペキ 眠れぬ瞼を跳ねる羊の晩夏公演 制作の神山卓也です。

 4回にわたってお届けするインタビュー。この記事はその2回目です。前回の記事は、以下からご覧いただけます。


ゲスト:増井怜史朗
取材・編集:神山卓也
写真:三木のあき


去年の執筆活動を経て

——前回のインタビューでは、去年お書きになられた脚本『風に向かって、道を辿って』は「近道なように見えてすごく遠回りをしていた」とおっしゃられていたと思いますが、今回の脚本を書かれている中では、何か去年と違った印象は受けられましたか?

増井:
今回書いたときは、特に舞台プランをよく考えながらやっていました。舞台転換をどうするのかとか、構図をどうするのかとか。演出プランを考えながらやっていました。

例えば、実際に頭の中で役者を動かしながら考えていたんですけど、どう動いたら面白いかなとか、その動きをしている時にどんな言葉を言ったら面白いかなとか、そういったことを考えながら書いていました。

なので、前回の脚本は物語に過ぎなかったけど、今回のは戯曲として成立するように書きたいなぁと思って書いていました。

——いつを始まりとするかにもよると思うのですが、脚本を書きあげるためにはどれくらいの時間をかけていらしたんですか?

増井:
どれくらいだろう。野田秀樹の『21世紀を憂える戯曲集』というものがあるんですけど、その巻末に脚本を書くために参考にした資料の一覧が載っていたんですね。それで、一つの脚本を書くためにも、多くのインプットが必要なんだなって感じました。なので、今まで読んだ本、引っかかっていた本をもう一度読み直してみようと思いました。

その他にも、自分が書きたいテーマに関する資料を図書館で読んだりしていました。それによって、演出プランを考えることも進みましたね。

なので、書き始めた時期は分からないんですけど、構想自体は1年くらい前からあって、昨年末あたりから文字に起こし始めたという感じです。

——構想を練られている時に、たくさんの本を読まれたと。

増井:
まあ、その期間だけでなくて、文字に起こしながらもいろいろな資料に触れていました。

今回のテーマにカメラがあるので、昔どんな写真が撮られていたのかとかを知りたくて。『死ぬまでに観ておきたい世界の写真1001』(ポール・ロウ編)を京都府立図書館で見て、写真ってすごく面白いなぁって感じたりしていました。


写真の面白さ

——もし人に、写真の面白さを伝えるとしたら、どんなことを伝えられますか?

増井:
写真を見て、もの悲しくなったり回顧したりすることはあまりないんですけど、白黒写真なんかは色すらわからないし、においや気温、湿度すらも分からない。視覚的なイメージだけがそこに存在するだけ。だけどその場には、色やにおいもあるんですよね。僕たちと同じような空間に生きていたはずなのに、違う空間に生きていたように感じられることが、不思議だなと思います。

——レンズの向こうには私たちが見ている世界と同じ解像度の世界があったはずで、それが写真という形で視覚イメージ以外が切り捨てられただけで全く違う世界のように感じるというのは、確かに不思議な印象を受けます。

増井:
『死ぬまでに観ておきたい世界の写真1001』の表紙にもあるアフガンガールという写真を見た時に、写真って何も言わないはずなのに、明らかにこの目には意思が宿っているように感じられるんですよ。実際には、この少女が何かを訴えようとしていたというわけではない、みたいな裏話があったと思うんですけど。

でも、まなざしの持つ力というか、何も言わなくても何かが伝わってくるような印象というか、そういうものが写真にはあるなって僕は感じたんです。それは動画とかとはまた違う、静止していても伝える、伝わるものがあるというような。そういうものがあるのが、すごくおもしろいなぁって。

——すごく分かります。

増井:
そもそも、写真と死というものがすごく結びつけられていて。死んでいった犠牲者たちも何かを思い、その抱えていた思いを今を生きる僕たちがしっかりと紡いで書かなくちゃいけないのかなと感じさせられるようなものが、写真なのかなと思っています。不思議な魅力がありますよね。

僕自身は、カメラをやっていないんですけど、できる機会があったら、カメラを始めたいなって思います。

——そうですね。まなざしには、言葉や動きが伴わなくても何かを訴えているような印象を私も抱いています。

増井:

遺跡とかとも似ていると思いますね。本来は産業奨励館として存在していた建物が、原爆ドームという形で残されることで、その悲惨さを伝える存在として私たちに映るというように、写真も後世の人たちがどのような視点で見るかによって伝わるものが変わってくるなって思います。

——写真を見ることによって、もしかしたら写真を見る人自身の奥にある言葉や動きにはならない「考えの基盤」なるものがにじみ出てくるのかなと感じました。

増井:
そうですね。この公演でも、その人が作品を観た時に、その人自身の根柢にあるようなものの「表れ」みたいなものに気付いてくださると嬉しいです。自分がどんなことを考えていたのかなといったことを考えてくれると、僕たちが公演をした意味があるなぁと感じます。


執筆活動と本

——少し話は戻るのですが、今回の脚本は昨年の末頃から文字に起こされたとお伺いしたのですが、いつ、どんなところで書かれていましたか?

増井:
本当にまちまちでした。今回は言葉遊びをしたいなぁって思っていたので、ある程度書いて、筆が進まなくなったら書くことから離れて、でもふと何か思いついたらその瞬間に書き始めるみたいな感じです。それは、深夜でも出かけている先でもです。

場所は、京都府立図書館や家が多かったです。受験をしたときもそうだったんですけど、カフェとか自習室というよりかは、自分の部屋で黙々と進めることが多かったので、一人で居る時間が多かったです。

——京都府立図書館は素敵な場所ですよね。

増井:
きれいで落ち着きますよね。

たしか、どこかの戯曲の論評に書いてあったんですけど、ネットで調べて書かれた戯曲って読み手からもそれが分かるらしいですね。

なので、僕も最初はネットで調べて、そのあと図書館で本に触れたんですけど、やっぱりネットには全く書かれていないことが本にはたくさん載っていました。なので、本って侮れないなって、今回の脚本のテーマに関わらずたくさんの本を読みたいなって、すごく思いましたね。


執筆の苦悩と楽しみ

——執筆活動に際して、少なからず苦悩や楽しみに遭遇されたと思うのですが、特に印象に残っていることはございますか?

増井:
苦悩で言うと、やはりラストのシーンでした。ラストシーンは当たり前ですけど最後の言葉で、だからこそそこまでに紡がれた物語をまとめなくてはいけない。逆に言えば、まとまりきっていないとラストシーンにはたどり着けない。そして、ラストシーンでどういう言葉を発するのかということを考えていた時に、そのラストシーンで本当に僕が伝えたいことが伝わっているのか。それを考えることは、特に前回の脚本での反省もあるので、すごく悩みました。どう終わらせようか、どんな言葉を最後に残そうかと。

ただ、基本的には楽しくて。頭の中で役者を動かしたりしながら、言葉遊びを紡いでゆく感じというか、そういう瞬間はすごく楽しかったです。

——そうなんですね。

増井:
よく、どうやって脚本を書いているのとかどうやったらそんなことを書けるのとかって聞かれるんですけど、僕も分からないです。その時の感情とか、脚本上の人物の状況とか、そういうものからどんどん繋がって出てくるので、書き方とかは今まであまり考えてきませんでした。


 第2回の内容は以上となります。第3回では、演出家としての増井さんに迫る予定です。ぜひご覧ください。

 本日はお読みいただきありがとうございました。

公演情報

眠れぬ瞼を跳ねる羊の晩夏公演『SHOT』
・日時:10月6日(金)18:30、7日(土)13:00/18:00、8日(日)13:00
・場所:京都市東山青少年活動センター
・料金:前売り800円、当日1,000円
・ご予約:https://www.quartet-online.net/ticket/shot
・お問い合わせ:shot.seisaku@gmail.com

 公演公式X(twitter)では、役者紹介やチーフ日記など、様々な情報を発信しております。ぜひご覧ください。

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