
森に怒られる
夜明け前に森の入り口に立ちました。
昨日、今日と氷点下の朝が続いています。
薄暗さの中で、樹々はどこか疲れたように見えました。
雪面は固く、かんじきを着けた足は数センチしか沈みません。
溶けた雪水が積もった雪の中に留まって、氷になっているのでしょう。
ふわふわと積もった新雪の層ならば、空気がたっぷりあって、樹々を震え上がらせることはないでしょう。
けれども、今朝の雪は冷たさで樹々を締めつけているように見えました。
いつもの樹の前に来ました。「ここへおいで」と左右の枝を広げている樹です。
「しばらく、じっと居させてください」
銀シートを敷いて仰向けに寝転びました。
シートを突き抜けてくる冷たさが緩まりかけると、ココン、コココンと樹幹を叩く音が聞こえてきました。
ココン、ココ、トトト・・・
南の方から届く音は不規則なモールス信号のようです。
尖ったくちばしを幹に打ちつけ、なかの虫を取っているのだな。
ぼくは耳だけになりました。
トカ、トカ、トトト、トトトン・・・
森の中には樹幹を叩く乾いた音しかありません。
突かれる樹は痛いかもしれません。突かれることで鳥たちは冬を越せると喜んでいるかもしれません。森の陰にいる生き物たちも聞き慣れた音に居眠りを続けられることでしょう。

ぼくの足音はどう受け止められているのだろう。
当たり前に森に入ってはいるけれど、ぼくの足音は森の中にあってもよい音だろうか。
やっと気づいたか。いい気なもんだな。
遠くの背の高い樹が天辺の細い枝を揺らして、そう言っているように見えました。
森に棲む物の足音と、森に入っては出て行く者の足音とを、森は違って受け止めるだろう。森に生きている物かそうでない者か。

背の高い樹の枝がまた揺れました。
森の外の方からソヮァーと風が来る音が聞こえてきました。
それはだんだんと大きくなっていきます。
ソヮァー、ウーウーウウー・・・
周りの樹々の細い枝がザワザワと速く揺れ、それらよりも太い枝はやって来た風の塊に抗っています。
ぼくの顔にも風が当たります。顔の横に突き出た耳にギョウー、ギョウーと音を立てて風が巻き込んできました。
一度静まった風が再び塊になって森の中を突っ切ります。
「早く出て行け」
風に言われている気がしました。
立ち上がると東の方が明るくなっていました。
森の入り口に向かって歩き出します。
向かう方向からまだ不規則なモールス信号が聞こえてきます。
音を立てずに歩こうと努めましたが、ガリッ、ガリッとかんじきの爪が雪面を噛む音は消せません。
柔らかく、柔らかくかんじき足を雪面に置いていきました。
入り口が見えたので止まりました。
くちばしが樹幹を叩くモールス信号は、いつの間にか鳴り止んでいました。

森から出て、入り口に生えている門番の大樹を見上げます。
「また来いよ」とも、「お前は森の生き物じゃない」とも言われているような気がしました。
ぼくは森と門番に一礼しました。