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森に朝がきます

天気予報で日の出前の気温を調べました。
午前6時で-5℃。
たくさん着込んで森に向かいます。

森の入り口に立ち、白み始めた東の方に目を向けました。
遠くの山々のシルエットは濃い群青色。
山のギザギザの上を南に見やると痩せた月が光っています。
あと4日で新月になる月は、やがて昇ってくる太陽に尻だけ照らされて滑らかなカーブを描いていました。
森の中は光が微かに届いていて、雪面が薄墨色にぼやけ、そこから何本もの樹が真っ黒な影になって生えていました。

     夜明けの月。もうじき新月に。

「入れてください。今日は静かに歩きます」
入り口で門番の大樹に挨拶します。
積雪が融け沈んで水分をたっぷり溜めこんだ雪面は、深夜からの冷気で凍り、かんじき無しでその上を歩くことができました。
長靴足の歩幅を十分加減してゆっくりと踏み出します。
樹々や鳥や小さな動物たちを起こさぬよう、力を抜いて雪面に靴底を下しました。
ザクリッ、ザクリッ・・・
靴底が雪面を踏むと、ビスケットを噛み砕くような音がします。
これだけは勘弁しておくれ。
ぼくは一本だけ持ってきたストックで身体を支え、体重を上半身に押し上げながら慎重に雪面を踏んでいきました。

足元の雪面が青白く見えてきました。見上げると樹冠の細かい枝たちが、白んだ空をバックに薄い網になって見えます。
枝を左右に広げた樹の前に来ました。「ここにおいで」と言ってくれる樹です。
雨や晴天が続いたからでしょうか、樹幹を包んでいた雪は幹を中心に擂鉢のように融けていて、雪で隠れていた幹がスルッと長くなって見えました。
樹にも雪を溶かす体温があるのですね。

幹を中心に擂鉢状に雪が溶けていました

擂鉢に落ちないように銀シートを敷き、ぼくは音を立てないように尻を下します。そして長靴足のまま胡坐をかいてじっと前を見ました。

朝の光が射しこんでくると、目の前の樹々が少しずつ黒い影から生き物に変わって見えてきます。
ゴツゴツと鎧を着たような木肌、灰色や薄緑の地衣類がこびり付いた木肌、樹皮が剥げ落ちて白い肉が見えているような木肌。
ぼくはシートの上で石になって樹々を見つめていました。
日が昇り、森の中は白い朝です。
前方の樹々の隙間から西の彼方の山々もはっきりしない輪郭で現れました。
視界の端っこで小さく動くものがあります。
顔を動かさず目だけで樹冠を見上げました。
落ちそびれている枯葉たちのなかで、一枚だけが微風に揺れているのでした。左の方に視線を移すと、こちらでもじっとしている枯葉の中で一枚だけが揺れて、時に回っているのでした。
ああ、動いている葉たちはもう暫くしたら地表に落ちるのだろうな。今は細くなった葉柄で懸命に枝にくっ付いているのだな。

と、一人揺れる枯葉のもっと向こうの樹冠から小さな塊が四つ、一斉に空にばら撒かれました。
キュワ、キュワ、キュワ!
小さな鳥の家族でしょうか、みんな一緒に朝を迎えたようです。

キュワ、キュワ、キュワ

彼らが高い枝の間を飛び回っていると、違う樹冠で彼らよりかは大き目の鳥が二羽、ピョイ、ピョイと声を掛け合い、近づいたり離れたりしながら飛び始めました。
森はすっかり朝です。
ぼくの身体は芯まで冷え込み、じっとしていることが辛くなりました。
けれども、眠っていた鳥たちを驚かさずに森に入って来れたと思うと、少し嬉しくなりました。

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