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qutakuta
こころの境界線。
こころの基本は、出す入れるだと仮定する。
上がる、下がるもあるが、それは二番目だとしよう。
次に考えられるの「境界線」というのもあるだろう。
noteに書くのは、「出す」だし、
noteを読むのは、「入れる」だ。
「出す」は、パソコンのモニターが「境界線」の役割を果たしているし、
「読む」も、パソコンのモニターが「境界線」の役割を果たしている。
多くの人は、意識してもしなくても、「境界線」を持っている。「境界線」は、基本、「押されると凹む」し、「凹んでる人を見ると、そこを埋めたくなる」。しかし、それは、素人の話だ。プロは「押されても、簡単には凹まない境界線」を持っていてほしいし、又は「凹んだとしても、今どれくらい凹んでいるか、自覚」できていてほしい。
しかし、書いてみて「本当かなぁ」と、ちょっと疑う
。
私は、たくさんのプロに囲まれていて、その人たちの立ち振る舞いを見ているが、プロと素人の違いが、簡単に凸凹しない事は、少し違うように思う。
でも、簡単に凹凸してたら仕事にならないかもしれない。
ちなみに、私の境界線は、簡単に凹むし凸にもなる。
自分が長く凸の時、相手は話したいんじゃないか?
相手が長く凸の時、自分は話したいんじゃないか?
僕は、時々、そんなことを考える。
本当は、自分のことが、話したくて、話したくて仕方ない。
だから、こんな所に、書いている。