30・60・90。
私は、およそ30歳で、精神障害者になった。
色々あったけれど、そこで人生の第一幕が下り、第二幕が始まった。
なぜメンタル疾患になったのかといえば、現実が見えてなかったからだろう。んじゃ、今、現実が見えているのかと自分に問えば、見えてないと言うしかないだろう。しかし、自分の部屋から、沈む夕日のグラデーションに目をやったり、夜、月を見つけたり、朝、部屋を出て、朝日を正面に見たりしたとき、現実に触れている気がする。
朝、ご飯とみそ汁と納豆で、ご飯を作り、うまいなぁと思ったり、なんだか分からないけれど、友人と話をしていて楽しい時間を過ごしていたり、他者からの親切に気づいたりすると、ありがたいなぁと、現実に触れている気がする。
洗濯も、片付けも、月の収入内に支出を抑えられたりしたときも、現実に触れている気がする。
もちろん、しんどさやめんどくささを伴う、現実もある。
言いたいのに言えない事だとか、
忘れたいのに忘れられない事だとか、
もう何か月、ユニットバスを、掃除していないのかとか。わっはっは。
話をもどす。
よ!←戻した掛け声
30前に現実を生きられなかった私は、いつの間にか52才になっている。私の中では、第二幕は60才で下ろそうと思っている。第一幕で「現実を生きられなかった私」は、第二幕で「現実を生きる私」事をテーマにしているのだ。あと八年。ゆっくり、太く、土台や基礎・基本を、静かに育てよう。
第三幕の終わりは、90才。生きてみたいな。
静かな夜。窓からあと少しで半月になる月が見える。いい夜。