事務員暦25年のまとめ 5
結婚、妊娠、出産、産休、育休。
目まぐるしい...
育休も残り1ヶ月を切ったころ、人生初の異動の通知。
IT関連の部署に配属となりました。
部署が変わっただけなのに、まるで違う会社に就職したかのように環境が変わりました。
仲間と仕事をする、
上司の理解がある、
優秀な先輩がいる、
仕事が難しい。笑
最初の2年くらいは、旦那の家族との同居のストレス、産後うつも引きずっており出勤の運転中は毎日のように涙が出てました。
なかなか辛い時期でした。
プログラミングを学ぶ
そんな自分とも闘いつつ、産前に一度諦めてたIT分野もっと知りたい、というか会社にいる時間だけでは仕事できるようにならない、と焦っていました。
そもそも、CSSはプログラミングかなと思ってるような超ど素人。
最初はドットインストールなどの学習サービスで学びました。
IT分野は広すぎてどこから勉強して良いかわからなかったのが正直なところです。
焦ってばかりで、なかなか実務に結びつくようなスキルが身についたという実感はありません。
それでも、コミュニティに入ったり、スクールに入ってインフラを学ぶうち、少しずつ知識の点と点が繋がってくる手応えがありました。
先輩の退職
IT部署にはリーダーの先輩がいました。
知識や技術も長けている方で、レベル高くて会社には相談相手もいません。
そんな先輩の話で、
社内には技術的な話がわかる者がいない、
インフラ整備などに金をかけることに理解を得られない、
データをないがしろにする会社の体制、
その他もろもろ、、、、
不満な点、端的に言えば会社の愚痴を横でたくさん聞きました。でもただの愚痴ではなく、至らない点、改善ポイント、まず意識はどうあるべきか、など理論立てて説明を聞いていた感じです。
わたしはそんな先輩の話を聞くのが楽しかったです。
そんな先輩は会社や、周りの理解を得られず、他部門のメンバーと衝突したりするのが重なり、退職を希望します。
退職を希望した際、いいよとあっさり言われたそうです。
もうここで先輩の心は会社へ向かなくなりました。
そんな環境なので、先輩は少しずつ体調を崩し、鬱の診断も出ていました。
わたしは会社にガッカリしました。先輩がどれだけ1人で会社を支えていたか、経営層をはじめ、本当に誰も理解していない事実を確認しました。
悔しかったし、悲しかったです。
子どものこと
わたしの普段の生活は会社と家の往復のみ。
休日も頭の中は仕事の課題解決のことでいっぱいでした。
息子は保育園に預けていましたが、仕事終わり迎えに行くと閉園間際なため送迎、とくに迎えは旦那やお義母さんにしてもらっていました。
なので、わたしが保育園に行く事はほとんどなかったです。
園での様子は分からないし、担任の先生の顔もなかなか覚えられず、何組かもうろ覚え、ママ友1人いない状態でした。
今でも忘れられません。
ある朝。
保育園の駐車場で車から息子を降そうとした時、ふいに
「お母さんは何で保育園にこないの?」
と問われました。
えーっと...
お仕事終わってから行くと遅いから、ね...○△%□×
もう何て答えたか忘れました。
ちゃんと答えていないことだけは覚えています。
これではいけない、、、
会社を辞めて子どものために、自分のためにも時間作ろうと決めました。
そして退職
2021年1月、勇気をだして上司に退職の旨を伝えました。
先輩が退職した直後だった事もあり、すんなりは話は進まなかったです。
上司からも説得されたり、話し合いした結果、パートでの時短勤務となりました。
予定外でしたが、これはこれで勉強になりました。税金とか控除とか、、、
心にも時間にも余裕が生まれ、現在はサロンに入って活動したり、副業のことを考えたりしています。
紆余曲折、本当にいろいろありましたが、契約期間満了を期に今年の12月退職が決まりました。
今はホッとしてるような不安なような、何とも言えない心持ちです。
ここまで自分にあったことを本当に長々と書いてしまいました。
お読みいただき、ありがとうございました。