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全力疾走(135期副将 深川)
こんにちは。135期副将を務めました深川大地です。
今回は引退ブログということで、「感謝」「振り返り」「後輩へのメッセージ」の3点を書き記したいと思います。
はじめに、感謝の気持ちを伝えたい人がたくさんいます。
まず135期の同期には感謝してもしきれません。自分が最後まで頑張り続けることができたのは、多種多様なキャラクターで飽きることの無い、常に明るい同期に恵まれたからだと思っています。
そして同期に留まらず、尊敬する先輩方、努力家の後輩達、いつも熱い応援をしてくれた友達、常に導いてくださった監督・コーチの方々、競技に限らずお世話になったOB・OGの皆様、本当にありがとうございました。自分を取り巻く全ての人に恵まれていたのだと改めて実感しています。
また、上手くいかない時でも常に僕を信じ、且つ様々な面で支え、安心して競技に取り組ませてくれた家族にも、この場を借りて感謝の気持ちを伝えたいと思います。
ボート部での4年間は、これまでの人生の中で最も密度の濃い時間でした。ここでは自分のための整理も兼ねて、振り返りを記したいと思います。
僕の初陣は1年生のインカレでした。当時の4年生とダブルスカルで出漕し、引退レースを共にしました。もちろん大きなプレッシャーがありましたが、優しい先輩だったことや高校で経験していたスカル種目であったこともあり、コロナ禍で大会が2ヶ月近く延期しようとも、高いモチベーションを保ちながら楽しく練習することができました。
2年生の早慶レガッタでは、運良く第二エイトのバウで出漕することができました。初めてのスイープ種目でしたが、クルーの7人が同期ということもあり、切磋琢磨しながら練習に励んでいました。初の早慶レガッタを勝利で終え、初めて飲んだお酒が格別だったことは、今でも鮮明に覚えています。
その後すぐに全日本がやってきました。舵手無しフォアのバウで出漕しましたが、自分の技術不足に打ちひしがれる毎日でした。クルーの先輩2人には申し訳ない気持ちでいっぱいで、時には泣きながら練習していました。一方で、この時期はエルゴのタイムが最も伸びた時期でもありました。クルーの同期と毎日歯を食いしばりながらエルゴで補強していました。結果はなんとか8位入賞を掴みました。
夏のインカレ選考では、2000mエルゴでベストタイムを記録しました。隣で引いていた同期と同時に引き終えたのを覚えています。選考の結果、再び舵手無しフォアでの出漕が決まり、同期の中でも圧倒的な実力の2人と、入部当初から面倒を見てくださった先輩との出漕が叶いました。クルーの調子も順調で、日本一を本気で争えるレベルにあると思っていました。しかし合宿でクラスターが発生し、復帰後すぐの大会では体力が戻り切らず、8位という悔しい結果に終わりました。
秋には全日本新人があり、銅メダルを獲得しました。振り返れば4年間で最も日本一に近づけた大会でした。クルー全員が同期で、時にはぶつかり合うこともありましたが、全員が本気で日本一に向かって頭をフル回転させながら練習し、それが結果に繋がったのだと思います。準決勝のスタートで誰も予想していない展開を創り出せたことは、思い返す度に自分を誇らしい気持ちにさせます。
3年生の早慶レガッタでは、メンバー選考で悔しい思いをしました。対校エイトのシートを逃し、第二エイトでの出漕となりました。自分を除く8人が下級生という難しい状況の中、クルーリーダーとしてどのように采配を取るべきか試行錯誤しました。最後は勝利への執念がクルー全体を巻き込み、後輩たちの頑張りもあって勝利することができました。この大会は自分を大きく成長させてくれた最も印象的な経験です。
続く全日本では後輩と軽量級ペアで出漕し、6位入賞で終わりました。後輩育成という面では早慶レガッタでの経験が役立ちましたが、A決勝のスタートでは自分が腹切りをしてしまい、まだまだ自分の実力不足を感じる大会でした。
インカレではまたしても対校エイトの選考で敗れ、ペアでの出漕となりました。あの時自分を突き動かしていたのは、対校エイトに順位で負けたくない一心でした。幸いにも、社会人チームに進まれるシングルスカルの先輩と並べて練習することができ、これまでにない強度で練習することができました。結果は6位入賞で、A決勝進出と、エイトと同順位になるという最低限の目標は達成できたものの、更に上の順位を取りたいという思いもこれまでに増して強くなりました。
最上級生となり、副将に任命されました。正直予想していなかったので、これまでの努力が報われた嬉しい気持ちと、対校エイトに乗れていない自分が背負う責任と期待の重圧に押し潰されそうな心境でした。
秋にはアメリカ・ボストンのヘッド・オブ・チャールズ・レガッタに、舵手付きフォアで出漕しました。右も左も分からないまま出漕したチャンピオンシップのカテゴリーでは、外国のナショナルチームレベルのトップクルーと対戦するチャンスを貰いましたが、正直全く歯が立ちませんでした。一方で、海外の大会でボートを漕ぐという経験は、慶應端艇部にいたからこそできた貴重な体験でした。また、海外遠征という新たな取り組みを一応の責任者という立場で実現できたことは、副将として少しは部に新しい何かを残せたのではないかと大袈裟ながらに思います。
現役最後の早慶レガッタでは、昨年の悔しさや副将としての責任感から、必ず対校エイトに乗らなければならないというプレッシャーがありました。昨年の反省から、エルゴからは勿論逃げずにやり、漕ぎの技術レベルも主将のレベルに近づくまで徹底的に鍛えました。その結果、選考では一番手で対校エイトのシートを掴むことができました。クルー決定後は、一メンバーとして、一最上級生として、必死に練習しました。しかし迎えた本番では1秒差で敗北してしまいました。何か1つのピースで勝敗が変わっていたのではないかと考えると、後悔して止みません。一方で、対校エイトのクルーとして桜橋の大歓声の中を通過することは、入部当初からの夢でもありました。言問橋からどんどん早稲田を追い上げて、横並びで桜橋を通過した際の、大歓声の中に一瞬訪れた静寂は、一生忘れることができないほど心地の良いものでした。結果は一生悔やむものとはいえ、本当に貴重な経験ができたことには、感謝しかありません。
2ヶ月後の全日本では、去年の軽量級ペアでリベンジに臨みました。しかし、体重規定による失格という失態を犯してしまい、後輩や部に大変申し訳ない気持ちを感じつつ、それ以上に自分が本当に情けない気持ちなりました。
ラストインカレでは、対校エイトのバウとして出漕するチャンスを得ました。早慶レガッタの屈辱を晴らせる最後の機会という思いもあり、クルー全体で限界に挑戦し続けるような良い雰囲気を纏えていたと思います。また艇速もパワフルに出せており、納得のいく結果が出ると信じていました。しかし他大学も当然最高の状態に仕上げており、ハイレベルでハードな戦いを強いられました。結果は思うように勝ち抜くことが出来ず、8位という悔しさの残る結果に終わりました。こうして、僕の大学ボート生活は幕を閉じました。
最後に、後輩へのメッセージを残してこのブログを締めくくりたいと思います。僕が最も伝えたいことは、「とにかく自分に自信を持って、胸を張ってやり切って欲しい」ということです。既に入部の時点でお気付きかとは思いますが、ボート部は最高の成長環境です。つまり、最高の仲間達に恵まれながら、最高に過酷な困難に挑み続けることを意味します。何事も最初の一歩は難しいものです。僕も泣きながら入部した一人です。しかしあの時、大学でボートを続けても思うような活躍できるか分からない不安、マネージャーへの転身を余儀なくされてしまうかもしれない恐怖、そういった自分の弱さに勇気を出して打ち勝って、覚悟を決めたからこそ今の自分があるんだと強く思います。みんなは既にそのハードルを超えることができた強い人間です。あとは、そんな素晴らしい決断をすることができた自分を信じて、ボート部を本気でやり抜くことができれば、きっとあの時憧れていた先輩に近づけている自分に出会える日が来るはずです。勿論、道中何か困ったことがあれば僕が力になります。なんでも相談してください。どんな形であれ、慶應端艇部に恩返しができたらと思っています。
長くなりましたが、ここまで読んでくださりありがとうございました。今後は幸いにも自分が一番働きたかった場所で頑張ることができるので、星の数ほどある端艇部で学んだことを生かしながら、次なる夢に向かって精進を続けたいと思います。これまで大変お世話になりました。