「縁(えにし)の使者の獣医さん」第4話
「悔恨」
僕は、今日も先生のところにやってきた。
今日は風が強くて、花壇が桜の花びらで埋め尽くされていた。
奥さんは風に吹かれ舞う桜の花びらを寂しそうな表情でじっと見つめたまま立ちつくしていた。
まるで奥さんの目から桜色の涙が流れ落ちているようにも見えた。
奥さんは手に色とりどりの花束を持ったまま、散りゆく桜の花びらを悲しそうに見つめているのだった。
でも僕を見つけると、奥さんの表情はぱっと明るくなり、「ベア。おかえりなさい。」といつもの元気いっぱいの明るい奥さんに戻った。
「今日は、いじわるな風が強く吹くから悲しいなって思っていたところなの。『世の中に絶えて桜のなかりせば、人の心はのぞけからまし。』本当にこの風景を上手に詠ったものだなと改めて感心していたところなの。でもベアが元気に帰ってきてくれて本当にうれしい。よかった」と言ってくれた。
きっと誰かが天国に還ったんだ。僕はそう思った。
僕は奥さんを元気づけるためにも、いつもよりくるくる風に逆らいながら元気に飛んで回って見せた。
「ふふふ。よしよし!風になんか負けちゃあだめよ!桜の仇討ち、頼んだわよ!」と奥さんは笑ってくれた。
よかった。そして、僕は花壇を後にして、今日もするりと病院の中に入り込んだ。
今日も病院は大賑わいだ。
続々と飼い主さんを引き連れて、病気の動物たちがやってくる。
ただ、処置室では、待合室などの大賑わいとは打って変わって静かな時間が流れていた。
先ほど天国に還っていったウエルシュコーギーの亡骸が、ちょうど棺の中にきれいに収められて奥さんの花壇の花束を待っているところだった。
プリンは8歳。
どこが原発巣かはわからない原因不明のがん性胸膜炎だった。
「先生。私のせいです。私が漢方薬を途中でやめないで、ずっと飲ませ続けていたら、がん細胞は消えたまま今も元気にプリンは過ごしていたんでしょうね。私のせいだわ。」そう言ってプリンの飼い主さんがプリンの亡骸をさすりながら滂沱の涙を流しているところだった。
プリンは2年前、原因不明の胸水がたまり別の主治医さんの病院でがん性胸膜炎と診断を受けた。
けれど、いろんな検査をしてもその原因のがんがどこにあるのか一向にわからない状態だった。
大きな動物病院に紹介され、そこで全身くまなく、ありとあらゆる検査を受けた。それでも原発巣はわからなかった。 そのため、プリンのがんを根本から取ることもできず、余命半年という宣告を受けた。
飼い主さんは一度は起き上がれなくなるほどのショックを受けたが、そこから猛烈な勢いであちこちの病院のホームページ、しかも余命宣告を受けたがんの末期の動物を治療してくれる病院を探し回った。
そんな彼女の目に飛び込んできたのが「統合医療」という言葉だった。
その病院のホームページには「西洋医学をベースに、東洋医学等(漢方、鍼、灸、オゾン、半導体レーザー等)を組み合わせることでより強力な治療につながり、統合医療は動物の治癒延命、飼い主さんの喜びにつながっている」と書かれていた。
加えて「具体例として悪性リンパ腫治癒、脾臓の血管肉腫の転移抑制、末期がんのQOL改善・延命、椎間板ヘルニア後肢麻痺改善等、統合医療はその力を存分に発揮できると考えています。鍼灸、漢方などの東洋医学を中心に処方、処置をすることで、余命3ヶ月の子の癌が消え3年たった現在にいたるまで元気に幸せに暮らしているという症例さえあります」とまで書かれていた。
「これだっ!」
飼い主さんは翌朝一番に片道1時間半をかけてプリンを連れて先生の病院にやってきたのだった。
早速、プリンの漢方を主軸とした治療が始まった。
プリンは飼い主さんの「なんとかプリンを助けたい」という強い想いがわかるのか、それまではお薬が大嫌いな子だったが、先生が処方する漢方薬はちゃんと我慢して欠かさず飲むことができた。
そんな治療が半年続いた頃から、プリンの胸腔内に無尽蔵に溜まりプリンの穏やかな呼吸を妨げていた胸水が溜まらなくなってきた。
おまけに胸水の中にでていたがん細胞の数が激減し始めたのだ。
その治療効果を確認した飼い主さんと先生は、思わずハイタッチをして大喜びしあった。
そして治療を始めて1年後には、がん性胸膜炎という診断は今のプリンからは想像もできないくらいの過去の病名となっていた。
この1年間は、飼い主さんにとっては望んでいたとおりの治療効果を得られプリンの余命宣告がまるで嘘だったかのようにプリンの身体からがん細胞が消えてしまったことで、先生を頼って遠路、通院した甲斐があった1年だった。
しかし同時にこの1年間は治療の主軸である漢方の薬代が想像以上に高額で家計を逼迫し続けた1年でもあった。
そもそも飼い主さんは「漢方」という民間療法がどれほどの効果があるのか半信半疑でいたが、この1年は藁にも縋る思いで漢方による治療を続けていた。
がん細胞が消えた時、先生に飼い主さんが「漢方がどうやってがん細胞を消滅させたのですか」と聞いたことがあった。
先生は「正直なところ、明確な機序はわかっていないのです。伝承療法として過去から積み上げてきた成果として原発巣が不明の転移がんなどには効くという実績に基づいて私も処方しているだけなのです。おそらくは免疫機能を高める何らかの機序によって、秩序なく増殖するがん細胞を抑制するのだと思っています」と答えたが、飼い主さんは、その時、「やっぱりそうか。漢方でがんが消えた可能性はあるけれど、ちゃんとした効果があるとはわかってないんだ。だから漢方が効いたとは言い切れないかもしれない。」と
元々持っていた漢方などの民間療法への不信感が復活してそう思った。
そして、「それにしては安い薬ではない。もうがん細胞も消えたんだから効果がはっきりしないお薬は飲ませたくない。しっかり食べさせて無理をさせなければ、きっと大丈夫。まだプリンは若いんだから。」と飼い主さんは考えたようだ。
その後、先生は「あと1年間はこのまま、漢方を続けていきましょう」と飼い主さんに伝えた。飼い主さんは「はい。わかりました」と言ったあと、再びプリンが来院することはなかった。
先生はプリンの事が気になり何度か飼い主さんに電話をしてみたが、いつも不在で飼い主さんから連絡が来ることがないまま半年が過ぎようとしていた。
そして、再び先生がプリンを診た時には、プリンは「がん性胸膜炎」の診断が一目見ただけで容易につけられるほど、前回より顕著に増悪した全身症状に苦しんでいた。
先生はプリンの治療を再び始めたが前回は功を奏した頼みの綱の漢方でもプリンのがん細胞を消し去ることは二度とできなかった。
漢方薬の一番の弱点は、口から飲む以外の方法では治療ができないことだ。つまり点滴などでは使うことができないのだ。
すでに口から漢方を飲むことがほとんどできない病状となったプリンを前にしては、漢方薬自体にいくら薬効があっても使うことができないまま対症療法が中心の治療を行うしかなかった。
そして2日後、プリンは苦しい息のまま天国に還っていった。
プリンに寄り添い泣き崩れる飼い主さんを前にして、先生は目に涙をためたまま静かに口を開いた。
「いや。私のせいです。もっと、あなたに漢方の継続を強く強く勧めればよかった。決して中断することがないよう迷惑がられても、あなたにプッシュするべきだったんです。治療代のことなんて、どうにでも対応できたのに。それが悔やまれてなりません。」
そして、「プリン。すまない。助けてやれなくて。ごめんな」と先生はプリンの瘦せこけた身体を痛ましそうにそっと撫でながらそう言った。
先生は治療中断の理由が経済的な負担であったと飼い主さんから聞くに及んで、その生活背景を把握せずに治療中断のまま放置してしまった自分に対して強い憤りを感じていた。
経済的な負担があるなら、分割払いでも何でも治療代のことくらい、どうにでも相談にのれたはずだ。それに気づいてもっと親身になって飼い主さんの相談にのることができていたら、プリンは今もがん細胞が消えたまま元気に幸せに暮らしていたはずだ。
プリンは8歳。まだ逝ってしまうにはあまりにも早すぎた。
先生のその言葉を聞いて、飼い主さんは「先生、すみません。私自身が漢方という民間療法にもともと不信を抱いていたことで、治療代がかかり過ぎると勝手に判断して中断してしまったのです。そんな不信感もちゃんと先生にお伝えして相談すればよかったんです」と言ってその場に泣き崩れてしまった。そして言葉をかけることも憚られるくらい飼い主さんは慟泣し続けた。
しばらくして、飼い主さんの慟泣が嗚咽に変わった時、「私はプリンと、昔飼っていた犬のポチがどうしても重なってしまって、なんとかしてプリンを助けたかったのですが、結局は自分の力不足でした」と先生は飼い主さんの背中に向かって静かに語り始めた。
「ポチ」
ポチは先生と奥さんが結婚してからペットとして初めてやってきた野良犬の子犬だった。
当時、先生は動物の最終処分場で働いていた。
動物の命を救うために獣医になったのに、人間社会の勝手な都合のため、日々、不条理にも、かけがえのない命を自分の手で奪わねばならない毎日に苦しみあがいてのたうち回っていた頃だった。
ある日、その子犬は山間地域で野良犬として捕獲されてきた。
一見、ウエルシュコーギーのように見えるほど立派なピンとしたキツネのような立ち耳をした子犬だった。
その子犬は檻に収容された時はプルプルと震えていたが、先生が子犬の健康状態を確認するために近づくと、まん丸の大きなきれいな瞳で先生を見つめながら、ピンと耳を立て、クルリンとした尻尾を力の限りプリプリと振って、先生に顔を擦りつけてくるような人懐っこさがあった。
他の大きな野良犬たちとの同室でいつも不安そうに檻の片隅に小さく丸まって座っている姿があまりにも不憫で、先生は別の檻にその子犬を移した。
その後、先生がその檻の前を通る度、その子犬は幼気な美しい瞳で先生をまっすぐ見つめ、クルリン尻尾をちぎれそうなくらいマックスに振りながらうれしそうにすり寄ってきた。
先生もつらいことが多い職場にありながら、いつしか、その子の檻の前を通ることが唯一この上ない楽しみになっていた。
その反面、このまま引き取りを申し出る人が来ない場合、安楽死の期限が確実に迫っていることが大きな心のしこりとなっていた。
そして、その期限が明後日に迫った日、先生は家に帰って奥さんに子犬のことを話した。
「俺はあの子犬の処分はできそうにないよ。仕事だからやるしかないのはわかっている。しかも、この職場にいる限り、この子犬のような子はどんどん、これからも集められてやってくるから、たとえ、この子を助けたとしても、そんな子をすべてを助けるわけにもいかない。俺の力だけでは、何一つ、制度を変えることはできないし何一つ解決できないんだ。情けないよ」と先生は自暴自棄になったように両手で頭を抱えながら自分自身を嘲った。
しばらく黙って聞いていた奥さんが、そんな先生をいたわる様に静かな口調で「連れて帰ってきたら?!」と言った。
「えっ?」と先生は弾かれたように顔をあげて奥さんを見た。
「うちの子にしたら?!」という奥さんに対して、
「でも、同じような子犬がこれからもたくさんやってくるかもしれないし、」と先生が言うと「これからも来るかもしれないけれど、来ないかもしれないでしょ?。今のその子とは一期一会の魂の出会いなんじゃないかな。縁が結ばれなければ出会わないと思う。だから、連れて帰っておいで!」と満面の笑顔で奥さんはそう言った。
「そっ、そうか。そうする!!」
先生の答えは即答だった。
こうして、先生のペット第一号として「ポチ」がやってきたのだった。
先生たちとポチはどこへ行くのも一緒だった。
ポチはペットというより、まるで「長男」だった。
ポチがやってきてまもなく長男さんが産まれた。
でも先生たちは「ポチはお兄ちゃんだからね!」と長男さんに教えるほど、ポチは先生たちの子どもであり長男としての地位を獲得していた。
先生はポチを連れ帰った半年後に、本当に目指したかった獣医師になるために最終処分場を退職し動物病院で勤務医として働くことにした。
臨床獣医師になるには年齢的に遅い転職だった。
先生はなりふり構わず、日夜、動物病院に泊まり込んで臨床獣医師としての努力を続けた。
そのため先生が家に帰る事がほとんどなくなった。
お休みの日も泊まり込んで入院患者の世話と治療に明け暮れた。それほど臨床獣医師の道は厳しく険しいものだった。
結果的に家では奥さんと小さな赤ちゃんだった長男さんと二人きりになることが多い。
だからポチは二人を守るのは「長男の自分」しかないと思っていた。
外部からの侵入者や訪問者にとっては「猛犬注意!」と注意書きが張り出されるほど、恐ろしい形相で吠えたてる犬として評判になるほどだった。
先生が自分の動物病院を開くまでの5年間、ポチは見事に奥さんと長男さん、そして新たに誕生したポチの「弟?」の次男さんを先生が不在の間、外敵から守り抜いて見せた。
先生が家で仕事をするようになってからは、今までの5年間へのご褒美(?)なのか、先生が甘やかすことが多くおやつもご飯もたくさんあげることから、ポチは威風堂々とした体格の立派な猛犬として成長していった。
クルリン尻尾も太く大きくくるりんとしたまま立派に立ち上がって、まさに獅子奮迅の雄姿で、引き続き、先生一家を守り続けていた。
そんなポチの異変に気付いたのは奥さんだった。
ポチが8歳の頃だった。
その頃には奥さんは復職していてポチとゆっくり過ごせるのは休日のみとなっていた。
ある日、ポチのおしりの周囲が膨らんでいるように見えた。
そういえば、おしりを地面にすりつけるしぐさも頻回にしている。心なしか、最近、食欲も落ちたような気がしていたところだった。
先生はそれを聞いて、「肛門周囲に数か所、腫瘍がある。ひょっとしたら他の臓器からの転移かもしれない」と言った。
検査の結果、先生の診断に間違いはなかった。
原発巣は胃だった。がんはすでに手術では取り切れないほど、全身に広がっていた。
先生は自分自身を責めた。
毎日、一緒にすごしている自分が忙しさにかまけてポチの異変と病状の進行に気づかずにいたことが悔やまれてならなかった。
ポチは見る見る食べる意欲をなくしていった。
慢性の吐き気がポチの食欲を阻んでいた。
全身は痩せこけていくのに、いつまでたってもおなかがふくよかに見えた。それは腹水によるものだった。
先生は治療に必要な情報を集め、高額な最新の薬も使い、ポチの治療に持てる限りの力を注いだ。
先生はとにかく体力をおとさないためにも、ポチがなんとかエネルギーを摂取してくれるよう、吐き気止めの薬を使い食欲を戻そうとした。
それでも食欲は一向に戻らなかった。
だから、高カロリーのフードを強制給餌で与えたりもした。
「ポチ、すまない。ごめんな。こんなになるまで気づかずに。でもしっかり食べないと、どんどん弱っていくんだ。とにかく食べてくれ。栄養をとらないと免疫まで下がってしまう。だから、すまんが、がんばって食べてくれ」何度も何度もそういいながら、先生はポチに強制給餌を繰り返した。
ポチは、がんばった。
先生の想いに応えようと、吐き気をこらえ、がんばって食べ続けた。
けれど、強制給餌で食べさせることができる量はポチの衰弱を留めるにはあまりにも少なすぎた。
ポチはついには立てなくなった。
先生はそれでも「がんばれよ。ポチ。しっかり食べような!」とポチを励ましながら強制給餌を続けたが、先生が口に入れたフードでさえもポチの身体が受け付けなくなり、ついには脱水予防のための点滴だけがポチの命を支える生命線になった。
ポチはそんな状態になってなお、先生の家の「長男」としての役割を果たそうとしていた。
ポチは立てなくなって点滴を打つような状態になっても、先生たちを外敵から守るため、玄関のチャイムが鳴る度に首をもたげて耳を立てか細い声を絞り出して吠え続けた。
玄関先に立つ人の気配が消え去るまで、玄関に向かって首をもたげたまま威嚇し続け、吠え続けた。
もはや寝ているだけでも呼吸をするだけでもつらいはずであるのに、チャイムが鳴る度にポチはそうやって先生たちを守り続けた。
先生は、日ごと、衰弱していくそんなポチを前にして無力感に苛まれた。
せっかく獣医師になったのに、他の動物たちの命は救えても、大切な家族であるポチを救えない自分自身を心から侮蔑していた。
けれど、どうあがいても、それ以上、先生がポチに対して獣医としてなすべき治療は西洋医学においては何ひとつなかった。
そして、雪の降る寒い早朝、ポチは静かに息を引き取った。
奥さんは気になっていつもより早く目覚めた。
なんだかポチの声が聞こえた気がした。
ポチは1週間ほど前から、家のリビングで生活していた。そこから寝たままでも家族が見えるような場所にベッドがしつらえられた。
ポチは静かに静かにいつもそこから家族全員を見守っていた。
奥さんが駆けつけた時、ポチは、今まさに最期の呼吸を吐き出した直後だった。
最期まで先生たちを守り抜いた“長男”ポチは、安らかで穏やかな笑みを口元に湛えて、まるで眠っているかのように横たわっていた。
もう、牙をむき耳を立て、クルリン尻尾で威嚇することが必要ではなくなったからか、今はクルリン尻尾から力が抜けて静かに安息しているように見えた。
そこに先生がやってきた。
先生は前夜からおそらくポチの命の灯がまもなく尽きることを予想していた。けれどそれを奥さんにさえも伝えることはしなかった。
誰よりも先生自身がポチの命の灯が消えてしまうことを認めたくなかったからだ。
先生は恐る恐る横たわるポチの顔を覗き込んだ。
使命を果たしたという安堵感と「家族を守り抜いた」という誇りに満ちあふれた穏やかな寝顔がそこにあった。
「ポチは本当に私たちを守り抜いてくれたわ。ポチ。もう、これからは安心して、ゆっくり眠ってね。ありがとう。本当にありがとう。ポチは私たちの自慢の長男だった。ポチ、これからも私たちとずっと一緒だよ。」滴り落ちる涙をぬぐおうともせず、奥さんはポチを抱きしめながらそういってポチの顔を撫で続けた。
3階で寝ていた長男さん、次男さんが次々と起きだしてきた。
そしてそこに横たわるポチを抱きしめながら大粒の涙を流し続ける奥さんの姿を見て、ポチの身に恐れていたことが本当に起こってしまったことを知った。
次の瞬間、二人はポチに駆け寄り、すでに鼓動を止めているポチの温かい身体に顔をうずめて声をあげて泣き崩れた。
「ポチ。ポチ。今までありがとうね。いつもいつも守ってくれて。もう、俺たちは大丈夫だ。安心してくれ。これからは俺がちゃんと長男として頑張るからね。」
「ポチ、ごめんね。最期に一緒にいてやれなくて。ありがとう。天国で幸せに暮らしてくれよ」と口々に叫びながら、ポチの身体を奥さんから奪い取って、二人で強く強く長い間抱きしめながら泣き続けた。
ポチの身体は今度は二人の涙でぐしょぐしょになった。
それでも二人は口々にポチの名前を呼びながら泣き続けた。
二人にとって、この世で経験する初めての「最愛のものとの別れ」だった。
最愛のものが自分たちの前から消え去ってゆく、そんな理不尽で、無情で、やりきれないことが、なぜ起こるのか。
一体、これは何の罰なのか。自分たちは、こんなひどい目に合うような悪いことをしたのか。
「答えのないやりきれない思い」と「ポチとの暖かで愛しい記憶」が二人の心で交互に錯綜し続けて、会者定離の無情にただただ涙を流し続ける時間が長く続いた。
その様子を見ながら、先生は呆然と立ち尽くしたまま動くことができなかった。恐ろしいほどの虚無感と無力感が先生の心を覆いつくし先生をその場にくぎ付けにしていた。
自分だけが取り残されたような疎外感を感じると同時に、みんなのようにポチにとりすがり心からの涙を流せない自分にただただ驚いていた。
そんな自分に嫌悪感すら覚えていた。
俺はこんなにも非情な人間だったのか。そう思わざるを得ないほど、自分自身が信じられなかった。
不思議なくらい涙がでてこない。大切な家族が死んでしまったというのに全く、涙がでてこないのだ。
どうしてなのか全くわからない。
いや、先生には自分が泣けない理由が本当はわかっていた。
先生の本当の心はポチが何故死んだのか、自分が最善と信じて行った治療がなぜうまくいかなかったのか、それが知りたかった。
それが知りたくて知りたくて仕方なかったのだ。
それができる方法がたったひとだけある。
剖検。
それはとりもなおさず、苦しみ抜いて死んでいった、そしてようやく死を迎えて安らかに眠れたポチの身体にメスを入れることに他ならない。
家族にしてみれば、死者に鞭打つようなひどい仕打ちだ。
家族は決して剖検など許さないだろう。これ以上、ポチを傷つけることなど許されるはずがなかった。
けれど先生の本心はそれを渇望していた。
先生には、どうしてもそうすることが先生自身の使命のように思えてならなかった。
「ポチの命を奪った病巣を見とどけたい」その思いがどんどん膨らんでポチの死を悼むための涙が流せないでいたのだった。
安らかな寝顔で横たわるポチの傍らで立ち尽くすだけのただならぬ先生の様子を見て、奥さんは先生の心の中の猛烈な葛藤を感じ取っていた。
奥さんは、午後にポチのお弔いをすることを決めた上で、ようやく落ち着きを取り戻した子供たちにいつもどおり登校するように指示した。
そして子供たちを送り出してから奥さんは先生に向かって「どうしたの?」と聞いた。
「剖検したいんだ」
しばらくの沈黙のあと、先生はうめくようにそう言った。
「犬の胃がんは人間とは違い、珍しい病気だ。俺はどうしてポチが胃がんになったのか、どんな風にがんがポチの身体を蝕んでいたのか、それを知りたいんだ。勝手な言い分かもしれないが、それを知ることは俺の使命のような気がするんだ」先生は絞り出すように心の中の思いを吐露した。
しばらくの沈黙の後、奥さんはポチの頬に手を添えて
「ポチ。ごめんね。でもきっと、ポチなら『そうすべきだよ。お父さん‼』って言ってくれるよね」とポチに語りかけた。
先生は驚いて奥さんとポチの顔を交互に見た。
そこには先生の想いを後押しする奥さんとポチの穏やかで静かな微笑があった。
先生はすぐさま、手術室で剖検に取り掛かった。
ポチの腹部を丁寧に消毒し切り開いた。
「これまでつらい思いをしつづけたのに、その上、お腹を開けて痛い思いをさせて本当にすまない。けれど俺は胃がんの病巣を知っておきたいんだ。許してくれ。ポチ」そう言いながら震える手でメスを握り、先生はポチのお腹を切り開いた。
がんはポチの胃を原発巣として膵臓、腹膜、腎にまで転移しポチの臓器に広範囲に浸潤していた。がん性腹膜炎により腹水もたまっていた。
先生はその病巣を目の当たりにして言葉を失った。
「こんなにもひどい状態だったのか。ポチ。本当によく我慢してたんだな」そう言ったきり、先生は底知れないほどの後悔に苛まれた。
「こんな状態で食べ物など受け付けられる状態ではなかったはずだ。それなのに俺は、無理に薬を与え強制給餌をし、絶えず『頑張れ。もっと食べなくちゃだめだ!頑張れ』と言い続けた。なんてこった。ポチはつらかったはずだ。それなのに俺と言うやつはなんてひどい獣医なんだ。」と先生はあらん限りの言葉で自分自身を責め、罵倒した。
自分自身への慙愧と侮蔑がこみ上げるとともに、先生はポチにひたすら許しを請い続けた。請い続けながらも、ポチの身体の中で、のうのうとはびこり続けた病巣の正体を余すことなく見届けようと必死で剖検を続けた。
そして、やっとポチの死因の全容の解明ができたその時、先生の目から大粒の涙が滂沱のごとく流れ出した。
次々にあふれ出る涙がポタポタとポチの身体に落ちていった。
「とにかく、縫合して身体をきれいにしてあげよう」と思い直して縫合を始めたが、とめどなくあふれてくる涙が先生の視界を遮って、一刻も早く切り開いたポチの腹部を丁寧に縫合しようと焦る先生の手元を曇らせてなかなか縫合は進まなかった。
「最期の最期まで、俺はポチを苦しめてるな」先生は心の中で一層、自分を蔑んでそう思った。
その時、両手に色とりどりの鮮やかな花束を持って奥さんが手術室に入ってきた。
「もうそろそろ、ポチを寝かしてあげる時間よ。」
奥さんがそう言うと、先生は我に返ったように「そうだな。急ぐよ」と言って、涙を拭いポチの身体を丁寧に丁寧に縫合した。
そしてシャンプーの後、白い棺に静かに横たわるポチの枕元に奥さんはそっとその花束を置いた。
「きれいだな。よくこの時期にそんなにたくさんの花が咲いていたね。よかった。ポチも喜んでいる。」と先生は言った。
そして先生は美しい花々に囲まれたポチの寝顔に初めて、心から「ありがとう。ごめんな。」と伝えることができたのだった。
午後、ポチの亡骸を荼毘に付した。煙突から天に向かって登っていく煙を見つめながら、先生はポチに誓った。
「余命が限られた動物が最期の時まで、少しでも苦痛なく少しでも長く飼い主さんと過ごせるように、そんな治療ができるような獣医に俺はなるよ!」と。
「導かれた縁(えにし)」
それからの先生はターミナルケア(終末期医療)について、ありとあらゆる情報を集め猛勉強を始めた。
ちょうどその頃は人医療においても特にがん患者の終末期医療の在り方の転換期を迎えていた。
余命宣告されたがん患者のQOLを最優先課題として、どのように最期までその人らしく生きたいと思うのか、その「サポート」に医療が大きく舵を切った頃であった。
先生は民間療法も含めたいろいろな情報を集め、関連本を読み漁った。
そして人医療においても注目を集め始めた「漢方」にその活路を見いだすことになった。
つくづく漢方薬の世界は奥深い。
漢方薬(生薬)は、ごくごく身近に自然に存在する草木や昆虫などから作られていて、長い歴史を経て現在に至るまで、選び残された生薬は、人間を始めとする動物が本来備えている自然治癒力を活性化するのに効果を発揮する。免疫を高めて体内の恒常性を保つ自然治癒力の源となる。
ただ、生薬の効能については、医療的な治療効果において根拠が乏しいとされている生薬も数多いのが現実だ。
だから人医療においても漢方が医療保険制度の適応になる範疇は狭く、費用が高額になることは現在も引き続きの課題ではある。
確かに、医療的に治療効果において根拠に乏しいと言われかねないのが漢方であるが、すでに余命宣告されたものにとっては、標準医療でさえも、すでになすすべはなく無力な存在である。それならば自然治癒力を高める効能があるという漢方を信じてみよう。そういう結論に先生は達したのだ。
もし先生自身が余命宣告された場合にも、「自分なら受けたいと思うであろう治療」を念頭において、獣医療においても漢方を始めとする東洋医学を終末期医療に取り入れることとしたのだ。
ただ漢方には費用が高額という以外に致命的な欠点がある。
それは「点滴ができない」ことだ。
弱り切って、ポチのように経口での投薬を受け付けない状態の動物には、漢方は役に立たないのだ。
だからこそ、余命宣告されてしまったのなら、まだ漢方がしっかりと飲める体力があるうちから確実に漢方治療を継続することが必要不可欠だ。
とにかく生薬の力を借りて、体内に巣食う病原体に対して、自分の免疫力を上げて自然治癒力を高め闘うのだ。
その考え方に共感した結果、先生は漢方の動物薬の処方の仕方について必死に勉強を続けた。そして、がんで手術ができず、抗がん剤も効かないような動物には、漢方処方を積極的に行うようになっていった。
その結果、先生が期待する以上の治療成果が出る動物たちが出てきた。
ポチのようながん性腹膜炎など、全身に転移がある動物たちであっても飲み続けるうちに腹膜炎が収まり、腹水の中のがん細胞がきえるという結果が出始めた。
また悪性リンパ腫には漢方がよく効いた。
余命3ヶ月を宣告された動物が漢方処方から3か月で転移したリンパ腫が消え去った。そしてその後3年間が経過し、悪性リンパ腫で余命宣告されたという気配などみじんもなく元気に飼い主さんと暮らしている動物まで出てきた。
そんな動物の噂を聞きつけて全国から先生に診てもらいに余命宣告された動物たちがやってくるようになった。
プリンも同様に先生を頼ってやってきた1匹だった。
途中中断さえなければ、プリンは今もがんを抑え込んだまま、飼い主さんと幸せに元気に生きていたはずだった。
「救えるはずの愛おしい命を、俺はまた救うことができなかったよ。ポチ。お前と同じ8歳、そしてお前に似た子だったから、今度こそ俺は余計にプリンを救いたかったんだよ。」プリンの棺を泣きながら抱えて帰ってゆく飼い主さんを見送った後、先生はため息をつくように、そうつぶやいた。
先生の胸の痛みが僕にまで伝わってくるような深い悲しみに満ちたつぶやきを聞きながら、僕はその場を離れた。
その夜、僕は先生が心配で、再び病院にやってきた。
僕が神さまのところに還ったときのように、先生がまた泣き続けているんじゃないかと心配で心配でたまらなかった。
病院の中はひっそりとしていた。先生の姿はなかった。
お家にいるんだろうか。僕は先生のお家の中に入ったことはなかった。だって、いつだって先生は病院にいたから。
けれど、今日はお家に入ってみようと思った。
不思議なことに、するりとお家の中にも入ることができた。
やはり、先生は夜遅く一人で泣いていた。
「プリン。ごめんな。お前は、まだまだ飼い主さんと一緒に生きたかったんだよな。飼い主さんとの縁を固くつないでもらうために、俺のところまでわざわざ飼い主さんを連れてきてくれたんだ。それなのに俺は肝心のところで大切な確認を怠ってしまった。そして、取り返しのつかない結果に追いやってしまった。なんてこった。つくづく自分の未熟さがイヤになる。情けないよ。ごめん。プリン。」繰り返しそう言って先生は泣き続けていた。
「ポチ。俺はまたしくじってしまった。お前を助けられなかったように、また俺は大切な命をみすみす見殺しにしてしまった。許してくれ。プリン」
そういいながら先生は頭を抱えて声を殺して泣いていた。
その時、奥さんが曳きたての珈琲の入ったマグカップを手にして部屋に入ってきた。
「おいしいコーヒーが入りましたよ」。
奥さんはそう言って、そっと先生の前に薫りたつコーヒーを置いた。
「ああ、いい香りだ。」
そう言いながら先生はそっと涙をぬぐった。
なんだか、いつも絶妙なタイミングで先生の涙と悲しみを奥さんが止めて和らげてくれている、僕はそう思って安心した。
「プリンには可哀そうなことをしたよ。完全な俺のミスだ。せっかく救えた命だったのに。ポチのような終末期を迎えさせないために、せっかく、これまで統合医療を積み上げてきたというのに、こんなことではポチに叱られてしまうな。何やってんだ!って。」先生は自分自身への嘲りを込めてそう言った。
黙ったまま先生の想いを聞いていた奥さんは、半ば自暴自棄になりそうな先生の心を推しはかるようにゆっくりと口を開いた。
「縁というのは不思議なものね。プリンはポチにとても似ていた。おまけに年齢も病状までも。プリンがここにやってきた時、まるで、ポチが闘病していた頃にフラッシュバックしたような錯覚を覚えたものだわ。
あなたがこれまで必死で積み上げてきた統合医療で『この子を助けてあげて!』とポチが導いたような気がした。
そしてポチそっくりなプリンを統合医療で幸せな終末期に導けたのなら、あなた自身もやっと、ポチの想いに報いることができるんじゃないかと思った。
結果は期待通り、プリンはがんを克服できた。あなたはちゃんとプリンを救ったのよ。
プリンは飼い主さんと1年以上も長く苦痛のない幸せな日々を過ごすことができた。ポチにはできなかった治療をあなたは見事にプリンに行って、プリンの終末期を幸せなものにしたのよ」と言う奥さんに対して、
「けれど、結局、そのあと、治療が放置されて再発してしまった。俺が飼い主さんと治療費のことを話し合って、もっと強引に治療継続を促していればこんなことには。」と言い放って先生は言葉を飲み込んだ。
「そうかもしれない。けれど救いたくてもどうしても救えない命もあるかもしれない。というより、運命といった言葉で表現するのが適切かどうかわからないけれど、終わるべくして終わろうとする命があるように思うの。
プリンは本当なら2年前に亡くなっていたかもしれない。
飼い主さんともその時点でお別れしなければならない運命だったけれど、プリンの魂は、飼い主さんとの縁を切りたくはなかった。まだもう少し飼い主さんと幸せな時間を過ごしたかった。
だからプリンは飼い主さんとの縁がもう少し続くように飼い主さんをここに連れてきた。
そして見事にプリンの望みは叶えられた。あなたの手によって。
そして今度は飼い主さんとの縁を終わらせるために、プリンは治療中断を経て、再び、ここにやってきた。
飼い主さんと思い残すことなく過ごせた幸せな1年半の想い出とあなたへの感謝を胸にプリンはここで旅立っていった。プリンの最期の穏やかな顔がそれを物語っているように私には見えた。
プリンはおそらくこの1年半の間に、自分がやり残したことやペットとしての自分の使命を果たすことが存分にできたんじゃないのかな。
そんな魂が最期の時を迎える時には、ただただ穏やかに終わるべくして終わっていく。プリンはそんな表情をしていた。
痛みや苦しさから解放された1年半の間に存分に幸せを噛みしめながら、やるべき役割を果たすことができたのではないかしら。
だから、プリンの最後の顔はあんなにも誇らしそうだった。
そして、プリンの命の灯が消える前にあなたのところに感謝を伝えに飼い主を連れてやってきた。そんな気がするの。」奥さんは感慨深げにゆっくりと言葉を継いだ。
「あなたは治療中断があったことでプリンの命を救えなかったと自分自身を蔑んでいるけれど、あなたは頻回に何度も何度も受診勧奨のアプローチをしていた。
けれど、それに対する飼い主さんの反応は不思議なほど全くなかった。
病気を治してもらった先生が何度も連絡してきているのにそれに全く対応しない、そんな非常識な飼い主さんでは決してなかったはずなのに。
うまく言えないけれど、どうにもならないこと、というより、そうなるべくしてなっていることもあるように思えるの。
つまり、プリンの宿命、そんな言葉で表現するのがいいのかもしれない。
生きている中で、そうならないようにと必死でもがいたとしても、どれほど抗ったとしても、たった一つの結末に導かれてしまうことがある。
それを運命というのかもしれない。
その運命の中で、生きとし生けるものは縁を紡いだり切ったりしながら
人生を織り成してゆく。
その中で動物たち自身の力では織り成しきれない不具合が生じた時、それをあるべき方向に導く、そんな役割をあなたは担っているような気がする。
動物たちの声なき声を汲み取り動物の幸せのために飼い主をあるべき方向に導く、そんな役割を担っているような気がする。
動物たちは寿命を全うするまでの間、もし、それが困難になりそうな時、飼い主さんとの縁を最後まで紡ぐため、または縁を断つため、みんな、あなたの元に集まってくるように私には思える。
あなたの力が借りたくて、ここにやってくるような気がする。
不思議なことだけれど、私にはそう見える。
他の病院では手に負えないと言われるほどの神経質な子や攻撃的な子であっても、あなたには、みな心を許し、まるで子犬や子猫のように従順になってしまう。
そして、あなたにはその子達の心の声がわかるのか、その子達が望むように飼い主を操っていく。
そんな不思議な光景がいつも繰り返される。
その度、あなたはまるで動物を守るために神さまから遣わされた存在なんじゃないのかしらと思ってしまうの。
変なことを言ってるかもしれないわね。
でも私にはわかる。ずっとあなたを見てきた私だけがわかる。
あなたは他の誰ともちがう。
動物のために生きる特別な獣医さんだと思うわ。あなたは動物の救世主かもしれないわね。」奥さんがそう言ってにっこりと笑った。
先生は、黙ったまま奥さんの話を聞いていたが、「動物の救世主」とまで言われたことに「まさか。俺はそんな大それた存在ではないよ」と少しはにかみながらそう言った。
「けれど、ありがとう。なんだか、気持ちの整理がついた気がする。
俺も今回の治療中断については、飼い主さんは礼儀正しい常識のある人なのに本当に不思議に思っていたんだ。
結局、プリンを救えなかったという思いはぬぐい切れるものではないけれど、現実としてどうにもならない、終わるべくして終わっていく命というものは確かにあると思う。
そして、プリンがやってきてくれたおかげでポチにはしてやれなかった終末期医療をプリンに1度はちゃんと提供できたことに俺はホッとしている。まだまだ課題は多いけどね。」と先生は肩の荷を下ろしたような表情でそう言った。
「あなたはポチの死を無駄にはしなかった。ちゃんとプリンを幸せな終末期に導いたと思うわ。けれど、私はプリンをポチがここに導いたのかもしれないという気がしてならない。
だから今、ポチはきっと誇らしそうに天国からあなたを見つめて、『お父さん、よくやったね!僕もうれしいよ!』って言ってると思うわよ」奥さんがそう言うと、先生は夢から覚めたように、はにかみながら「あっ、ありがとう。これからも頑張るよ」と口ごもりながらも、うれしそうにそう言って、二人は微笑みあった。
僕はそんな二人の姿をみながら、安心して、その場を後にした。
第5話:https://editor.note.com/notes/n8ce921d06fa6/edit/