今日は明日の前
今日はきのうのあしたで、あしたの昨日。
世の中全てにおいて言い換えができるんだ、ということを30余年生きてきて学ぶ。
よく何もしなくても1日は過ぎていくと言うけれど(特におばあちゃんとかおじいちゃんとか)、そんなことはないわけで。
起きて、布団から出て
ごはん食べて
おしっこして、うんちして(出るときも出ないときも出過ぎるときもあるけど)
ほら。これだけでもたくさん行動。
布団から出られてるじゃん。
入れるもの入れて、出すもの出せてるじゃん。
で、たとえぼーっとそのほかの時間を耐えたとしても
ぼーっと何か考えてることはあるわけで。
だれかのこととか。わたしのこととか。あなたのこととか。猫のこととか。
明日の天気のこととか。
良くないか、それで。ひとまず。
考えるちからは人だけにある特別なものであって。
考えて、思いやって、思い立って、立ち上がってみちゃったりして。
そうやってやり過ごしたり、考えすぎたりすることで年をとっていく。
今日を重ねて明日の向こうへ。
そう考えると毎日ってやっぱりかけがえのないもので、代替のないもの。
いつもいつもそう思うことはできないから、ぼーっとする日にそういうことを考える。
それも明日のための今日になって、今日を今日を続けていく。
って繰り返してたらいつのまにか何も怖くない無敵ばぁちゃんになっていたりしないだろうか。
特技、物忘れ。
忘れる力は人にやさしい。