東京植物ログ7
昨日今日とお休みで天気がものすごくいいので、いろんな植物の写真をとったのですがなんだかどれもこれも、生で見てたときの感動が思い出せません。このくらい近づいて撮れば少しはわかるけど。これから何か白い小さな花が咲きそうな蕾です。
どうしてこんなにここだけに密集して生えているのか?誰かが植えたものなのか?
ここに水溜りがあったのかもしれません。
いろんな種類が混ざっていてサラダみたいで美味しそうです。もしサラダにレタスしか入っていなかったら、それはサラダではないですよね。それはただのレタスであって、そこにはなにも発生していない。ただのみずみずしいレタスがあるだけ。サラダを作るとしてレタスと合わせるなら、少しクセのある野菜、ハーブ類とか、あるいは食感の異なる野菜、水菜とかがあるといいですね。そうすることでサラダになれる。果物とか穀物類を入れてもいい。しかしあまりに無秩序なもの、たとえばガムとかを入れたら台無しです。
つまり私がこの緑を見て美味しそうなサラダみたいと思ったのは、秩序が保たれつつ混ざり合う、とても清潔な状態だったからだと思います。単品の草が一つあるだけではこうは思えません。道端の草って、そういうところがめっちゃいい。あまりにも正常に美して強くて安心する。
でも私はまだ、自分がどうしてこんなことに感動するのかを深く理解できていません。
こんなきれいな光の季節のせいで、なにもかもよいものに思えてしまうだけの、一時的な噴き上がりなのかもしれません。