幸せに生きたい
私は福岡県太宰府市で生まれ育った。小学校も中学校も、高校も太宰府市。そんな人生であったためか、学校の教室と通学路以外のことをほとんど知らなかった。これは20歳を超えたあたりで知ったのだが、私は発達障害であったらしく、人付き合いも上手くいかないし、世間とのズレを常に感じていた。
大学は関西圏にある私立に入学した。初めての一人暮らしである。初めてバイトをする。スーパーのレジ打ちである。本当に簡単な作業であるが、客が多くなるとパニックになりミスをする。全ての客が恐ろしいものに思えて仕方なかった。バイトはどのくらい続いたかもう覚えていないが、鼻を手術することになったのでそのタイミングで退職した。
一人暮らしはとても快適だった。全てを一人で完結できる点が、私の性に合っていた。食事も、入浴も、自分のタイミングで実行できる。これがストレスフリーなのである。
高校とは違った友人が大学でできる。高校時代の友人は、私の人生に大きな光を与えてくれた貴重な存在であった。大学の友人は、世界を広げてくれた存在であった。九州から関西圏への移住は、文化の違いを学ばせてくれた。
県外の大学生活ではあるが、相変わらず私の生活範囲は狭かった。大学、スーパー、友人宅が生活の全てである。その流行していたモンスターハンターポータブル2ndGを狂ったようにプレイしていた。PS3を購入することにより、遠隔でも他人と協力プレイが可能になり、部屋に居ながら世界が広がった。共通の敵を倒す、というゲームは、発達障害者でもある程度楽しく遊べた。
人生において特筆すべき事態などなく、大学を卒業する。就活は絶望的であったが親のコネで福岡の地元企業に就職できた。実家暮らしの再開である。
企業では持ち前の対話能力の低さが災いし、様々な問題を起こした。知らないことは当然出来ないし、教わっても理解が遅く、電話対応ではパニックを起こして汗だくになる。精神はどこまでもすり減り早々に限界を迎える。退職を決意するのにさして時間は掛からなかったが上司に止められ何とか仕事を続けた。このときの上司には本当に感謝している。
曲がりなりにも仕事を続けていけたのは、自己実現とか誰かを見返してやる等といった前向きなものではなく、単に酒の力である。
職場では個人的なものから対外的なものまで、飲み会が頻繁に開催されていた。私は元々酒が好きであったので喜んで参加し、好き勝手に飲み散らかしていたし、飲み会がない日は自宅で酔いつぶれるまで飲んでいた。日本酒の一升瓶も、ウィスキーの瓶も、概ね2日で空いていた。
そんな生活であるため、勤務時間の半分は二日酔いであり、その症状のお陰で気がまぎれ、残り僅かな精神で仕事が出来ていたのである。こんな状態でないとまともに仕事も出来ないあたり、本当に人間の出来損ないなんだと思う。
その職場では10年ほど同じ課で同じ仕事を担当していたが他の課へ異動になった。そこはまさに中間管理というような業務をする課であり、対人能力が低い私には絶望的な職務内容であった。1年も経たずに限界を迎え、あっさり退職した。
退職までの間、就職活動をしていた。求人サイトに登録し、リモートで面接を何度も行った。結果は全滅であり、退職日を迎えても何一つ成果が上がらなかった。職場の人間からは、一体何がしたいのかと訊かれたが、明確に答えることもできなかった。単にこの場から居なくなりたかった、というのが本当のところだと思う。
それから私は、昔世話になった客のコネにより、九州のとある県にある牧場に就職した。事務仕事から肉体労働への転職である。
再び県外に出ての一人暮らし。慣れない肉体労働はまともな思考を停止させる。休みは月に5日であり、何をする気も起きない。毎日ベットにぶっ倒れていた。引っ越しの際に持ってきたPCは数か月で壊れ、ネットがつながるTVモニタでYouTubeやネットフリックスを観るだけの日々が続いた。
段々と体力がつき、仕事にも慣れ、冷静な思考をする余裕が出てくると、当たり前だが転職を考え始める。こんな生活をするために生きているわけではないのだ。この生活はあまりにも過酷で、孤独で、未来が無い。
私はこの時になってようやく、幸せに生きたいと願った。そして幸せとは何かを考え始めたのである。
幸せになること、つまり幸福度を上げるためにどうすれば良いのか。とある研究によると、親しい人間に囲まれて生活をすることが幸福度が上がる、ということらしい。
これは本当に納得できた。大学では友人とずっと遊んでいられたし、地元での生活では、親しい人との飲み会があった。確かに楽しかった。これらが貴重で重要なことであったのだ。
また、幸福に生きることを追求した人類の教えに学ぶ。「隣人を愛せよ」である。
人間は基本的に、他人に何かをしてあげたい生き物であるらしい。そうすることで幸福度は上がるのだが、これでは他人に利用されするつぶされる気がする。実際、隣人を愛せよと言った本人が磔にされて殺された訳である。何が駄目だったのかと考えると、彼は自身の教え広めることに注力しすぎた結果、自分の幸せのために行動していなかったのではないかと思う。もしくは自分の再生能力に絶対の自信があったためか。
もう一つの教えは「情けは人の為ならず」である。他人のためではなく、自分のために徳を積む。自分の幸せのために他人を助けなさい、ということである。
私は聖人ではないので、人類を救いたいとも思わないが、どうにか自分を救いたい。その前提を踏まえ上記の教えを実行するのなら、「自分の幸せにつながる件に関し、他人を助ける」ことである。
こう書くととても身勝手で打算的で協調性のない奴のようだ。そういう面も必要であると思う。ただ、他人からの見返りだけを期待して助けるわけではない点を強調したい。これは取引ではないのだ。親しい人との人間関係の円滑化や、友人との信頼関係の向上に寄与することには見返りなど求めずに取り組みたい。
つまるところ、幸福度を上げてくれる人間関係には定期的なメンテナンスが必要であり、幸福の維持にはそれなりのコストがかかるのである。手間暇かかるし難易度も高い取り組みなのだ。
コスト管理の点からみると、誰彼構わず八方美人に生きることは失敗である。人間関係を見直し、慎重に行動する必要がある。一番大切なことは、幸せになることを諦めないことである。
私は現在、福岡県の実家に戻り再就職の準備をしている。幸いにも再就職先はほぼ決まっている。偶然が重なった縁で繋がった就職先であり、そう考えるとこれまでの人生も無駄ではなかったのかと思える。私は預言者でも予言者でもないため先のことは分からないが、幸福に生きることを諦めず人生を続けていきたい。
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