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強迫性障害になってよかったこと③
「他の問題のレベルが低く感じる」
人生色々ある。
人間関係からのストレス、体力的な負傷、経済的不安、嫌なことって結構あるけど、強迫性に比べると全然マシ。
だいたいなんとかなる。
そこまで不安になることは無いけど、持病の強迫の渦中は、
「これさえ無ければ、どんなに楽だろう。願い事?そんなの要らないから普通に生活させてくれ…(´Д⊂」
まさに最強の苦しみ。
けど、客観的にみてみると、例えば人によっては、
・腰痛持ちで重いもの持つと苦しい
・関節持ちで階段上がるとキツイ
・頭痛持ちで気圧高いと頭痛すぎ
これらとなんら変わらないんですよね。
一日の中で、四六時中、強迫にかられてるわけではない。
私は強迫性以外は特に悩みはない。
人それぞれ、悩みや苦しみを持っています。
腰痛、関節、頭痛、…
強迫もそのうちの一つなんですよ。
ただ、特殊すぎて周りからの理解が得られにくいだけ。
なので、特殊なのは特殊だけど、ほかの方の悩みや苦悩とジャンルは違えど、苦しいのは人として当たり前。
せっかくなったのだから、逆にここから得られるものはなんだろう。
強迫性障害になったからこそ、人に感謝する場面、感謝される場面はどんなシチュエーション?
そこを考えてみると。ある意味なった意味があるのかなと思う。
そうですね、私の場合は、動作がゆっくりなので、一つの所作をゆっくり待ってくれる人のやさしさに触れた時に感謝がうまれます。
感謝される場合は、そうですね。
電気の消し忘れがなく、節電に貢献していることや、仕事上ミスが少ないことに安心感を持たれていることですかね。
人への感謝を抱くのは、無理矢理自発的にはなかなか出来ない。
ほんとに困っていて、苦しんでいて助けられた場合、心から感謝が湧き上がってきますよね。
意味不明すぎて、相手のことを理解しがたい場面。あるある。
理解や共感はできないけど、きっとこの人にとっては重要なことなんだろうな、ということは理解出来る。
やっぱり、人に対する理解しようする姿勢を持つことが出来たことは、よかったなと思います。