こんにちは、hakuroです。
数ある「放浪記」ものの元祖たる林芙美子の「放浪記」をもとに、昭和初期の文化と昭和初期の語彙を集めていきます。
手元にあるのは、
「新潮社 日本文学全集57 林芙美子集」昭和36年印刷
気になったものを現代のインターネットから検索して保存するだけの簡単な作業です。無料の情報ゆえ、間違いはご容赦ください。そしてコメントにて訂正をお願いいたします。
また、画像の無断使用に問題がある場合がありますので、できる限りリンク元も表示していきたいと思います。
トップ画像は道玄坂の昭和初期ごろです。渋谷区立白根郷土館所蔵の写真です。
今回は(四月×日)4段と(五月×日)2段を拾ってゆきます。
(四月×日)
郷里から母を呼び寄せる描写は無いのですが、どうやら一緒に暮らしております。直方時代にとった杵柄(きねづか)ですね。道玄坂でメリヤスの路上販売を行いますが、メリヤスを縫ってくれる安さんが事故で他界し、九州の義父も苦しい生活をしているようです。
(五月×日)
母と二人ぐらしの部屋のひとつを貸間にしようとしたが借りてはつかず、芙美子は派遣の女中の仕事を探します(派出婦)。岡山の祖母が危篤(キトク)なので母を汽車で岡山に送り出すことになりました。
語彙あつめスタートです!
地割り
露店を出すには露店の許可が必要で、現在では道路使用許可を警察に申請するのだろうと思われますが、ここではテキヤ組織が露店の区割りを行っているようです。
放浪記の中で登場する「地割りをしてくれる親分」の立場がどれほどのことかは文章自体からは読み取れませんが、少なくとも任侠映画のコワモテとしては描かれていないようです。「安さんの案内で」入って行った路地裏に「いつも昼間場所割りをしてくれるお爺さん」が存在するので、林芙美子自身は遠目に見おぼえのある顔なのでしょう。
そして、直方時代にバナナ屋台をやっていた母から、そういった、酒を一升持っていくなどのテキヤのあいさつを、教えてもらっているのかもしれません。
火鉢
火鉢といえばこれですが、
テキヤの親分さんなのでこっちの火鉢かもしれません。時代劇のイメージですね。
メリヤスの猿股
温かそうです。ひとつ欲しい。ゴワゴワしますかね?
ランデの死
アルツィバアセフ著 ランデの死
瀬戸物屋
陶磁器を、九州時代は「唐津物」と呼び、東京に来て「瀬戸物屋」と呼んでいます。
総称という意味でなく、正しく産地を言っているのかもしれませんね。
小さなころにそうして暮らしたように、お母さんと一緒に露店でものを売って暮らす。こんな生活がずっと続けばよいのにと読者である私たちは応援します。がんばれ芙美子!
木綿を一反
さらしの木綿を買っても着物にはちょっと・・・久留米かすりか何か、柄のついた別のものだと思います。
瀬戸の重ね鉢
プラの弁当箱など無い時代なのでしょう。容器は要返却でしょうね。こんな柄がついていたかは不明です。
たったかたのた
母がなんの曲を歌っていたのか、少し検索した程度ではわかりませんでした。
どなたかご存知ないでしょうか。
お気楽なコミックソングかもしれません。東京節(パイノパイノパイ)を貼っておきます。
鉄路の白薔薇
すこしも面白くなし。この歯に衣を着せない感じ。その後、大雨の中電車で帰宅します。
電車の中まで意地悪がそろっているものだ。と、先ほどのうらぶれた大学生の言葉を引用しているようです。
かもじ屋
つまりはウィッグでしょうか。日本髪を結うときに追加する髪のようです。
家に帰ると安さんが電車にしかれて危ないと母が言う。
ミシンのペダル
実用重視と思いますので、こんなにオシャレな飾りのついたミシンではないかもしれません。
赤坂のお濠の灯火
母と住んだ部屋は、この版の放浪記では「鳴子坂」と言っておりますが、現在の地名は「成子坂」と呼んでいるようです。江戸末期ごろまで鳴子坂と呼ばれていたとか。
合ってるよな?どうでしょうね。もしかしたら旧鳴子坂という場所があるかもしれませんね。
派出婦
桃割れの髪
16~17歳ごろの町家の娘たちの髪形である。形は銀杏(いちょう)返しの一種で、桃が割れたようになっているのが特色。黒い髷(まげ)の中央が二つに割れて、中から絞りの手絡(てがら)がみえる。かわいらしい年ごろの娘の髪形で、昭和初期まで行われた。
ミレーの晩鐘の口絵
口絵というのは、版画という意味かな?不明です。
日曜の教会に行った少女の日
キリスト教の教会に行く日曜学校、あるいは教会学校のことだと思われます。いつ行っていたのでしょうね?母が実の父のところを出る以前だったのでしょうか。もしそうならば福岡県は北九州市若松ですね。キリスト教会がどれほど普及していたのでしょう。ロシア文学を読むためには必要な下地なのだと思いますので、どこで習っていたか気になっていました。
肩上げ
さなだ帯
キトク
救世軍
林芙美子からは八つ当たりの対象になっておりますが、現在も慈善活動を続ける素晴らしい組織のようですね。
ジンタ
華族さんの自動車にでもしかれてしまいたい
華族(かぞく)は、1869年(明治2年)から1947年(昭和22年)まで存在した近代日本の貴族階級。
調べれば長くなりそうです。紹介はこれっくらいで、あとはご想像ということにしましょう。
今回のまとめ
これにて、短いけれど母との幸せな暮らしは終わり。
月に三十五円出すという日本橋の薬屋の家での約束が無ければ、すぐにでも東京を引き払って、母とともに岡山に行くことができただろうに、薬屋との仕事の約束が出来たがために母と涙で別れることとなる。
それなのに、次の段(十一月×日)には、セルロイドのおもちゃ工場で色塗りの仕事をしている。ままならない人生である。
がんばれ芙美子!
次回お楽しみに!