誰かを癒すのに、言葉っていらないのでは
みなさんこんにちは、くるみこです。
先日、イチローが子供の悩みや疑問に答えるYouTubeを見ました。
その中で、これは大人の人でしたが、ケアワーカーの方が、「仕事をする中で、常に前向きでいろとか元気でいろって、障害者の方とか高齢者の方に言うことは正しいのか?」という疑問を投げかけていました。
イチローは、「常に前向きでいることは難しいし、僕は辛い人に頑張れって言えない。ただそばにいることが何よりも強いメッセージになったりする。」と言っていました。
これにめちゃくちゃ共感しました。
休職している間、色んな人が色んな言葉をかけてくれたけど、大体さらに傷ついたり、「そうじゃないんだけど。結局何もわからないんだな。」と絶望が深まったりしました。
でも思い返すと、癒しになっていたのは周りの人たちの行動でした。
ただ話を聞いてくれたり、一緒に遊んでくれたり、ごはんを作ってくれたり。
気を遣った言葉をかけられるよりも、そういう周りの人たちの行動一つ一つが、「自分も大切な存在なのかもしれない」ってなんとなく思わせてくれるようになった部分はあるなと思います。
今もこの世は割と残酷だし、人生は続けていくと辛いことの方が多いような気もするが、まあ頑張って生き続けないといけないんだろうなあ、という気持ちがあります。
もし辛い気持ちになっている人がいたら、私も行動で癒しや勇気を与えられたらいいなと思います。
でも、それでも、言葉で伝えることを諦めない人たちもいます。
瀬尾まいこさんの「僕らのごはんは明日で待ってる」という本の、このセリフがすごく素敵だなあと思いました。
病気になった妻に、夫がかける言葉です。
これ、自分も大切な人が悩んでいたり苦しんでいたりしたら使おうと思いました。
I care for you、あなたのことを気にかけているよ、ということを一番伝えたいのに、私たちは言葉を間違えて誰かを傷つけてしまいがちです。
そう考えると、辛い気持ちでいる人に、説教したりアドバイスしたりするのって、傲慢だよなあ、と思ったりします。
正解は人それぞれ違うのに、自分の考えを伝えるとか、自分の正しさを証明するとか、なんの助けにも救いにもならないように思います。
やはり私たちは聴くことしかできないのではないだろうか。
これは、少し前に流行っていたOfficial髭ダンディズムのSubtitleという曲をきいていても感じたことです。
Silentというドラマの主題歌で、そこまで好きではなかったのですが、いつぞやの紅白のパフォーマンスで歌詞を真剣にきいて、「めちゃくちゃいい曲。。。!」となってそこから一時期リピートしていました。
いや、本当に傲慢ですよね。。。
自分だけはわかっている、この人を救えると思っているその傲慢さ。
私も前は24時間ポジティブ人間だったので気づかなかったのですが、すごく落ち込んでいる時とか辛い時に前向きなこと言われるとめちゃくちゃ疲れるし、絶望が深まるんですよね。
そういうの今求めてないから、ってなる。
伝えたい気持ちはあるのに、上手く言葉にできないし、上手く伝えられないんだよな。
どうもこの主人公はだいぶ前向きでへこたれないみたいですね。
熱すぎて引かれてるのに諦めてない。。。
愛が深いとも言えるし、傲慢な自己満足とも言える。
これは好き嫌いが分かれそうだ。
でもこの主人公のいいなあと思うところは、最後まで考えるという行動をやめないところです。
そこに愛の深さを感じる。
私たちはいつも言葉を間違えてしまいがちだけど、一番大切なのは「あなたのことを気にかけていて、いつでも味方だよ」と伝えることなのではないかな、と思います。
それは言葉でもいいし、行動でもいいし。
そうやってお互いを癒しあって生きていける世の中になってほしいし、せめて自分の周りはそういう世界にしたいなと思います。
🫶